魔神は高らかに嗤う
闘技場の異変は、光る十字架に張りつけられているウィルマクとイーサンだけではない。
あまりにも静かすぎる。
観客席に目を向けると、人々は精気を失ったようにぐったりと倒れていた。
ダンジョンで倒れていた生徒たちと同じだ。マナを抜かれている。
「悪いな、わざわざ来てもらったのに見苦しいモンみせて。まァもうちょっと見てもらうんだけどさ」
「こ、これまでのこと、すまなかったハイド! 私を助けてくれ!」
「お、オレも謝る! 助けてくれよハイド!」
ヴィクターは愉しそうに口元を歪めている。
「だってよハイド。どうする、こいつらを助けたいって思うか?」
「……いったいなにがしたいんだお前は」
「ハハッ、助けたいって言わなかったなァ。おいアンタら、まだまだハイド様への謝罪とお願いが足りないんじゃねえのか。そんな貧困な語彙じゃなくてもっと言葉を尽くせよ」
ヴィクターが指を鳴らすと、十字架に張りつけられたふたりに電撃が走った。
ふたりは苦悶の表情を浮かべて叫ぶ。
「……くっ、ハイド貴様! これまで育ててやった恩を忘れたのか! この恩知らずめ!」
「これ以上謝らせてテメェはなにがしたいんだ! クソ野郎がッ!」
「…………」
「……クククッ、ハハハハハハハッ! こいつは想像以上に傑作だなァ」
ヴィクターは腹を抱えて、心底愉快そうに笑った。
「オレが言うのもなんだが、こいつらは本当に救いようのないクズだ。こいつらがピンチに陥っているのは、勝てもしないのにオレに歯向かった自己責任、判断ミスだってのに、怒りの矛先を向けるのはオレじゃなくて救ってくれないハイド……正直、アンタが絶句する気持ちもわかるぜ」
「──勝手に俺の気持ちをわかったつもりになるなよ」
魔剣白金を振りぬく。
光る十字架はあっという間に青い塵になり、解放されたイーサンとウィルマクは地面に落ちた。
「……おい、これはどういうつもりだ? まさかこのカスどもを救うつもりか」
「別に救っちゃいない。ただ、イーサンは修練場襲撃の費用を払い終えてないし、ウィルマクも王都騎士団から指名手配されてる。罪を償うのが筋だろ。少なくとも裁くのは俺でもお前でもない」
「殊勝な考えだなァ。でもって、つまらない考えでもある」
ヴィクターは片手でウィルマクの胸倉をつかみ、軽々と持ち上げてイーサンに叩きつけた。
「「ごべばあぁっ……!」」
「そんなぬるい考えで、こいつらが反省するとでも思ってんのか」
「いや、たぶんしないだろうな」
「だったらいっそ潰しちまってもいいだろ」
ヴィクターが光の槍を顕現させ、ウィルマクとイーサンを刺し貫こうとした。
俺は白金を抜刀し、光の槍を消失させる。
「もう一度聞く。お前はいったいなにがしたいんだ」
「オレは一通りの属性は使えるんだが、さっきから見てのとおり、一番得意な魔術は光属性でなァ」
天に向かってヴィクターが手のひらをかざす。
ヴィクターの真上を中心として、空が暗闇に覆われていく。
「嫉妬、怨嗟、依存、暗澹、厭世、執着、憎悪、憤怒、絶望……そういう人間の暗くて醜い感情が、残念ながらオレの魔術を映えさせるのに必要なんだよ」
「全然残念そうには見えないが」
他人から悪意を向けられるのには慣れている。
ただ、こいつは、魔神は違う。
こいつが人間に向けているのは、悪意なんかじゃない。
「ハハハッ、なんでもお見通しってか──そうさ」
こいつが向けているのは。
「──オレはな、人間のそういう顔を見るのが、大好きなんだよッ!」
ただの快楽だ。
暗い空から、光り輝く巨大な槍が飛来する。
やつのマナだけじゃない、おそらく闘技場の、たくさんのひとから吸い上げたマナによってつくられている。
「アルディナク流剣術複合奥義──【回帰魔穿斬】」
巨大な槍の斬り口から、勢いよく青い粒子が噴きだす。
噴きだしたマナは空に溶けることなく、本来の宿主の元に還っていく。
「へぇー、そんなことまでできるのか。やっぱアンタに魔術は通用しそうにないなッ──!」
ヴィクターは右手に直剣を顕現させ、斬りかかってきた。
「お前、剣術も使えるのか」
「まあな。他の魔神どもが剣術を広めさせるなってうるさくてよ」
上下左右に揺さぶりをかけ、時折突きを織り交ぜた不規則ながらも鋭い太刀筋。
「たしかに剣術が広まりすぎると人間どもの絶望した顔を楽しみにくくなるからな。そいつはオレにとっても嬉しくはないが……煩すぎたやつが結構多くてな。あいつらの顔もなかなかだったぜ、まさか魔神が剣術をーって感じでなァ」
ヴィクターの剣術は、数多の実戦によって洗練されたモノだった。
……正直、惜しいと思ってしまうくらいに。
「……その余裕、気に入らないねえ」
黒い粒子がヴィクターの周囲を覆う。
すると姿形が変わっていき──
「あははっ、やっと少しは驚いてくれたわね」
──ヴィクターの姿が、クラウディアへ変化していた。




