無能養子は襲来する
「本当はハイドの野郎をいますぐぶっ殺しに行きたかったんだけどよぉ。ずーっと待ったをかけられてたからな。いまからこの力が振るえるって思うと、ゾクゾクするぜ……!」
なに、あれ……?
学園にいたときのイーサンとは違う、もっと禍々しいなにかが、あの男の中に潜んでいる気がした。
「気をつけてエルシー、あいつなんだか様子がおかしいわよ」
「ええ……。いったいここに何の用なんですか」
「用って、ここは修練場だろ? だから修練しに来たんだよ」
イーサンが手をかざす。
感じたことのない威圧的なマナが、あいつの手のひらに集約していくのを感じる。
「ハイドの野郎をぶっ殺す、その修練をなッ!」
圧縮された風の塊が、砂や塵を巻き上げながら私に向けて迫ってくる。
「きゃああああっ!」
悲鳴を上げたのは私ではなく、エルシーだった。
水のバリアと大剣の両方でも防ぎきれず、吹き飛ばされた彼女は背中を壁に打ちつける。
「エルシー! あんた、どうして……」
「……言いましたよね。あなたの面倒をみるようにハイドくんに言われたので」
エルシーはペッと唾を吐くように血を吐きだして、体勢を立て直した。
ハイドの前では絶対に見せないガサツな素振りだけど、私にはそれがほんの少しだけカッコよく見えた。
騒ぎを聞きつけた衛兵たちがやってきて、イーサンを取り囲んだ。
「お? なんだなんだ、このオレの的になりたいってか?」
衛兵のひとりが、イーサンに向けて光属性の拘束魔術を発動させる。
そのままイーサンの胴に巻きつくかと思われた光の輪は、あいつの体に触れる直前に、金切り音を上げて霧散した。
あの特徴的な消え方と音には身に覚えがある。
「いまのって……!」
「課外授業で倒した細いゴブリンのときと同じですね」
エルシーがイーサンに向けて水流を放ったが、結果は同じだった。
次々と放たれる魔術は、すべてあいつに触れる直前に、不快な高音を立てて消えていく。
「無駄なんだよ無駄ぁっ! テメェらの貧弱な魔術なんざ、いまのオレ様には通用しねえんだッ!」
イーサンが咆えると同時。あいつの体から突風が巻き起こった。
取り囲んでいた衛兵たちは、抵抗も虚しく防御魔術ごと吹き飛ばされる。
「あんた! 自分がなにをしてるのかわかってるの? こんなのは犯罪、即刻退学よ」
「あ?」
ぎょろりとした目を向けられ、思わず背筋に悪寒が走る。
悲鳴をあげそうになったのをこらえて、私は両手に双剣神薙を握る。
「ちょっ、いまのあなたじゃ無理ですよ! 足手まといなんでどこかに消えてください。そのまま帰ってこなくていいので」
「私の面倒をみるひとの発言とは思えないわね。あんたらしいけど」
エルシーはムッとした顔で私の腕をつかんできた。しかも割と本気で。
この馬鹿力……! 普通につかまれても痛いのに、魔術の反動が上乗せされて形容しがたい激痛が走った。
それでも、握った剣は離さない。
「…………ぜーんぜんっ、痛くない、わっ!」
「うわ……いまのあなたすごい顔してますよ。ハイドくんに見せてあげたい……いえ、見る拷問はさすがに可哀想ですね、ハイドくんが……」
「見られるほうも拷問だから絶対やめて」
エルシーは観念したように手を離すと、私に手をかざした。
軽い浮遊感を覚えるのと同時に、体の痛みが和らいでいく。
「わたしは回復魔術は専門じゃありません。これは応急処置ですから、勝手に無理をされても責任はとれませんよ」
「十分よ。ありがとう、エルシー」
なんとなく予想はしていたけど、彼女は青い瞳を丸くして眉を寄せていた。
「そういうのやめてください。なんか気持ち悪いです」
「ひとのお礼は素直に受け取る女の子のほうが、可愛げがあってハイドも好きなんじゃない?」
「えっ、それは人間から受け取る場合の話ですよね?」
「あんたって本当にブレないわね。悪い意味で」
「どこかのメンヘラ金パツンデレさんとは違いますので」
突然現れた魔術の効かないイーサン。
成すすべなく倒れていく衛兵。
意地になったせいで長く持ちそうにない私の体。
こんな状況だっていうのに、私は自然と口端をつり上げていた。
それは隣にいたエルシーも同じだ。
私と彼女の表情から、笑みが消える。
「──遅れないでよね、エルシー!」
「──誰に向かって言ってるんですか」
エルシーと左右に分かれて、イーサンを挟み撃ちにする形で追い込む。
あいつに魔術を直接撃っても効かない。
それなら、残りのマナを全部、両手両足に注ぎ込む!
「……っ!」
全身が焼けるように熱い。
体の内側から発してくる熱が、これ以上はダメだと訴えている気がする。
「だから無駄だっつってんだろッ!」
突風を躱す。ハイドの剣に比べたら止まって見えた。
「無駄かどうか決めるのは、あんたじゃない──私よッ!」
イーサンに肉薄する。両足に割いていたマナを両腕に回す。
「ハイド流双剣術──【千羽鴉!】」
「いっ──!」
私の剣から逃げるように、イーサンは後ろに飛んだ。
──本命が待ち構えているとも知らずに。
「ハイドくん流大剣術──【ディメンションブレイクッ!】」
「ぐああああああぁあぁあああッ!」
エルシーお得意の大質量をもった一撃が、イーサンの背中に直撃した。
めきめきと音を立てているけど、アレは骨が……想像するのはやめておこう。
「……痛てぇじゃねえか、このクソアマがぁぁッ!」
途端、イーサンの体が膨張した。
ばっくりと開いた背中から紫色の背骨のようななにかが飛びだし、エルシーを上空に打ち上げる。
気づけばイーサンは元の体形の四倍近くは膨れ上がり、異形と化していた。
「オレに力をくれた奴が教えてくれたんだよ。ハイドのクソをなぶり殺したかったら、まずはクソが大切にしているモンをぶっ殺すとイイってなぁ──」
丸太のような腕をイーサンが振り上げる。
その瞬間、上空のエルシーを取り囲むように無数の闇の刃が顕現した。
「や、め……」
「あん?」
「やめてえええええぇぇぇーーーーーーっ!」
私の叫びは、イーサンの嗜虐心をいたずらに刺激しただけだった。
「ギャハハハハハハハハハハハッ! 最ッ高―だぜ! クソ野郎になびく女共が、オレ様を前に打ちひしがれる姿はよぉ……!」
「クソ野郎? ああ、自己紹介ですか。もっとも、醜い虫になびく女性なんてひとりもいないと思いますが」
「……あ?」
イーサンの視線が上空に向けられた。
傷だらけのエルシーが、イーサンの頭に大剣を振り下ろそうとしている。
「そんな攻撃、間に合うワケねえだろッ」
紫色の刃の切っ先が、エルシーへと向けられる。
「動け、私の足……!」
足の神経を雷魔術で無理やり刺激する。
ハイドからもらった双剣を握りしめる。
痛みも構わず跳躍して、剥き出しになった紫色の気持ち悪い背骨に。
「はあああああああぁぁぁぁああああ────ッ!」
二本の剣を、思いっきり叩きつけた。
「ぐあっ……クソが!」
でも、私の一撃はほんの少しイーサンを怯ませただけだった。
無常に放たれた闇の刃が、エルシーの体を貫かんと迫っていく。
「どうだハイドッ! これがオレ様に逆らった報いだああああぁぁぁッ!」
そのときだった。
エルシーの隣で。
「アルディナク流剣術奥義──」
私の師匠が──空を飛んでいた。
「──【朧蓮華】」
「なッ……!?」
イーサンがぎょろりとした目をさらに見開く。
宙空を埋めつくす無数の刃が、瞬く間に青いマナへと還っていく。
途中でエルシーを抱きかかえたハイドが、私の真ん前に着地する。
「よく、頑張ったな」
そう静かに話した彼の背中が、とても大きく見えた。




