劣等剣士は頼まれる
午後の授業が終わり、俺は帰り支度を済ませて学園長室へと向かおうとしていた。
教頭先生が俺に剣術を広めてほしいなんて、嬉しいけど理由が気になるな。
「ちょ、ちょっと待って!」
突然、制服の裾をつかまれた。
「どうしたクラウディア」
「どうした、って、私あなたの師匠に謝りたいって言ったじゃない」
「あぁ……」
クラウディアにジト目を向けられる。
別に忘れていたわけじゃない、本当だ。
「……それとも、やっぱり迷惑だったかしら」
容姿の良いクラウディアが目立つせいか「きゃああ、これって、こ、告白?」「フったのか、雷姫を……!」「はぁ、オレも剣術やろ……」などと周りが小声ではやしたてる。
そうでなくとも、こう、目の前でいじらしそうにされると、抗いがたいなにかがあった。元々断るつもりもないけど。
イーサンの強化魔術は斬れても、この抗いがたいなにかは斬れそうにない。
「迷惑じゃな──」
「大迷惑でぇぇぇえええすっ!」
俺とクラウディアのあいだに水しぶきが舞う──エルシーが教室の床を魔術で滑りながら割り込んできた。
「アルディナクさんへの謝罪を口実にハイドくんの家に行こうとするなんて、とんだ恥知らずな金髪ですね。不純異性交遊として学園に報告します」
「それはあんたのほうでしょうが!」
ぐぬぬ、とおでこがくっつきそうな距離で睨みあうふたりを放っておいて、俺は学園長室へ向かう。きっとケンカするほど仲が良いというやつなのだろう。あっ、ほらふたりともついてきた。
「ハイドくん、学園長室に呼ばれているんですか?」
「ちょっと剣術についてな。悪いけどクラウディアは待っててもらえるか」
「だって。エルシーは帰ってもいいわよ」
「いいえ、わたしには金髪痴女からハイドくんを守る義務があります」
「痴女はあんたでしょ! 授業のとき変な声だしてたじゃない!」
「とりあえず静かにしてくれ。学園長室の前だぞ……」
ふふん、とドヤ顔を見せるエルシーに、クラウディアは白い歯を噛みしめていた。
たぶんこれがふたりの日常なんだろうなきっと。
「失礼します」
「あらあら、ハイドさんもブリッツ家とテティス家のご令嬢に言い寄られて、大変そうですね」
学園長室に入ってすぐ、アンジェルム教頭先生は俺を見て微笑んだ。
聞かれてたのか……
教頭先生に手招きされて、俺は学園長室の真ん中に置かれたソファーに座った。対面には教頭先生だけでなく、歴戦の戦士のような風体のゴウラン学園長までいらっしゃる。
出された質の良い紅茶を飲みながら、俺は思案を巡らせた。
学園のトップふたりが、わざわざこんな場を設けて俺に剣術を広めさせたい理由って、いったいなんなんだ?
「それで、ハイドさんの本命はエルシーさんとクラウディアさん、どちらなのでしょうか」
「ぶっ──!」
まったく意識していない質問を投げられて、俺は紅茶を噴き出してしまった。
俺が噴き出した紅茶は、柔和な笑みを浮かべた教頭先生が指をパチンと鳴らしただけで、そこだけ時間が巻き戻ったように元通りになる。これは……かなり高位の魔術だぞ。
「私はエルシー君を薦めるぞ。彼女は細身の割に意外と筋肉質な体つきをしている、きっとよい戦士になるだろう」
「学園長は黙っていてください。わたくしはハイドさんに聞いていますので」
「む、むぅ……」
ぴしゃりと教頭先生に言われて、学園長は大きな体を小さく縮こまらせる。
八賢者のひとり、風の賢者が丸め込まれている構図に、俺はどう反応していいのかわからなかった。
教頭先生は柔和な笑みを浮かべたまま、ひたすらに俺の返事を待っていた。
俺は学園長の気持ちを察した。無言の圧がハンパない。
「……なーんて、ほんのちょっとした冗談ですよ」
ふふっ、と教頭先生は上品に笑う。
冗談でかけていい圧じゃなかったぞ。
「いきなり本題に入るのもなんだか気が引けまして。困らせてしまって申し訳ありません」
教頭先生は頭を下げる。
基本的に見下されてきた俺は他人の悪意に敏感だが、それは教頭先生からは感じ取れなかった。
にしても、クラウディアの次は教頭先生か……なんだか今日一日で頭を下げられてばかりだな。
「気にしていませんから大丈夫です。それより、どうして俺に剣術を広めてほしいんですか?」
教頭先生と学園長の表情が真剣味を帯びる。
「元々アトランティアは魔術学園ではなく"武術"学園でした。魔術を含めた剣術、槍術、斧術、弓術……個々人の特性に合わせた武術を極めた、武人を輩出する学び舎だったのです。ところが、世間の武術に対する認識が徐々に変わっていってしまいました」
「魔術こそ万能。魔術さえあれば他の武術なぞ不要だと、そんな風潮が世間に広がっていってな……アトランティアの周囲で魔術以外を主に教えていた教育機関は、経営難でどんどん潰れていった。
前学園長もギリギリまで粘ってはいたが、最終的には学園を守るために、魔術以外の武術を切り捨てなければならんくなったのだよ」
ゴウラン学園長は沈痛な面持ちで口をとじた。
やたらと剣術が虐げられているとは感じていたけど、そんな背景があったとは。
「ハイドさん、わたくしたちは剣術を含めた他の武術が、魔術に劣っているとは思っていません」
「あぁ。そもそも戦い方が全く違うのだから、本来は比較するのもおかしな話なのだ」
「ですが、一度世間に広まってしまったイメージは、そう簡単に払しょくできるものではないのです。見た者の常識を根こそぎ変えられる技術でもない限りは。そこで──」
俺の腰に携えられた白金に、ふたりは目を向けた。
「師匠の剣術、ということですか」
ふたりは頷く。
たしかに俺が師匠の剣術を見せてきた相手のほとんどは、剣術を見下さないようになっていった。いまだに見下しているのはイーサンとウィルマクくらいなものだろう。
「どうか、ハイドさんのお力を貸してはいただけないでしょうか」
しなをつくる教頭先生の糸目がひらかれた。
このひと物凄い美人なんだけど……!
「無論、タダでとは言わん。学費全額免除、学食永久無料券、我が校と提携する機関・施設の最高クラスの優待券に、校外学習や修学旅行などのイベント費用は全てこちらで負担させてもらう。もちろん、ハイド殿の成績にも大きく加点させてもらうつもりだ」
学園長からは破格の内容が提案された。
これは師匠の剣術を広めることで得られるものだ。
俺ひとりが手に入れていい内容でもなければ、俺ひとりで決めていい内容とも思えない。
「すみません。師匠と話をしたいので、少し時間をください」
了承してくれたふたりに「ありがとうございます」とお礼を伝えて、学園長室を後にする。
「おまたせクラウディア。それじゃあ行くか」
「う、うん……」
「わたしもオトモします」
「なんでよ。なんのオトモなのよ」
「もちろんハイドくんの貞操を金髪から守るオトモです」
「ハイド。なんかエルシーが勝手についてくる気満々なんだけどいいの?」
「俺は構わないよ。師匠もダメとは言わないだろうし」
背後でエルシーが鼻を鳴らしてクラウディアがうなってるけど、もうツッコまないことにした。
白を基調とした校門をくぐると、なにやら外が騒がしかった。
「息子さんに剣術を教えられたキッカケはなんだったんでしょうか、アルディナク様!」
「そ、それは話すと結構長くなるというか……」
「ハイド君があれほどの強さならば、ぜひアルディナク様の剣術もお見せ願いたい!」
「も、もう見てのとおり結構な歳でな……ぜ、全盛期のワシだったらな~……」
「結婚してください!」
「わ、ワシには一生愛すると決めた妻がおるので……!」
何十人もの保護者に、俺の師匠は詰め寄られていた。
師匠は俺と目が合うと、保護者たちに囲まれているのをものともせずに、風の如くすり抜けてきた。見事な体さばき、さすがは師匠だ。
「は、ハイドっ! 助けてくれ! いろんな意味でもう限界じゃ!」




