クライネ・エンゲル ~ダークエルフの少女とアコーディオン弾きのウィル~
コンサートホールには、人間やエルフ、ドワーフにホビットなど様々な人種が集まっていた。
ステージには何やら特殊な機械と、そこに繋がれたスピーカーが二台ほど置かれている。
その傍らには、一人の女性が立っていた。
スラリとスタイルの良い、少しだけ耳の尖った金髪の女性。
周りが静かになると、その女性は口を開いた。
「皆様、本日はお集まりいただきましてありがとうございます。今回、皆様に聞いて頂きたい物は、およそ二百年ほど前に作られた一枚のフォトノグラフでござます」
女性は周りを見渡し、一呼吸着くと続ける。
「今まで再生不可能とされてきましたこのフォトノグラフですが、こちらの装置を使うことにより、なんと再生する事に成功いたしました。記録されていたのは一曲。アコーディオンの伴奏に乗ったとても美しい少女の歌声でした。まさに天使の歌声と言っていいほどのその声色は、聞くものに安らぎを与えてくれるでしょう」
女性は特殊な機械に近づくと、その電源を入れる。
「では早速。と言いたい所ではありますが、まずはこのフォトノグラフにまつわるエピソードをお話させていただきたいと思います。是非とも、最後までお聞きいただければと思います」
◆◆◆
とある大きな街の片隅。その路地裏に、一人の少女がうずくまっていました。とても長い耳を持った茶褐色の肌をした、ダークエルフの少女です。
ダークエルフは疎まれる存在。故に、街ゆく人には石を投げられ、暴言を浴びせられる毎日。彼女の居場所は、そんな薄暗い路地裏しかありませんでした。
そんなある日、少女の目の前に一人の青年が現れました。
大きな帽子をかぶった青年は、少女に優しく声を掛けると手を差し伸べました。
「やぁ、これは素敵なお嬢さん。こんな所に居たら風邪をひいてしまうよ」
季節は冬。落ちていた布切れを何枚も重ね暖を取っていましたが、少女は今にも凍えそうでした。
しかし、少女は差し伸べられた青年の手を払いました。
その少女の行動に、青年は怒るどころか笑顔を浮かべます。
そして、カバンからひとかけのパンを取り出すと、少女に差し出しました。
「せめてこれぐらいは受け取ってくれないかな」
首を横に振る少女。
困り顔の青年。
「う~ん、困ったな。まぁでも、気が向いたら食べてよ」
青年はそう言うと、強引にパンを握らせると去って行きました。
その後ろ姿を見つめる少女。
少女は混乱していました。初めての優しさに。
少女は困惑していました。初めての温もりに。
どうしてこんな私に優しくしてくれるのだろう。人間からは闇の使者と恐れられ、怖がられ、石を投げられる私に。
どうしてあの人の手は温かいのだろう。私に暴力をふるう人間の手はとても冷たいのに。
でも、その優しさも見かけだけで、もしかしたらこのパンに毒でも入っているのかも知れない。
そう思うと、少女はカチカチになったパンに口を付ける事は出来ませんでした。
そして、次の日も、また次の日も青年は少女の元を訪れました。
場所をかえても、まるで追いかけてくるように。
ある日、少女は尋ねました。
「どうしてそんなに私にかまうの? もしかしたらあなたも人間から石を投げられるかも知れないのに」
すると青年は笑顔でこう答えました。
「なんだか君をほおっておけなくてね。それに、故郷に残して来た妹と重なってしまってね」
少女にはその気持ちが理解できませんでした。なぜなら少女には兄弟は居ませんでしたし、幼い頃に両親を亡くしています。
そんな孤独な少女が、青年の気持ちなど理解できるはずはありません。
「意味……分かんない」
「ははは、意味なんて無いさ。ただ僕が君の事をほおっておけない。ただそれだけだから」
青年は再び手を差し伸べました。
「良かったら、家に来ないかな? あまり贅沢はさせられないけど、ここよりは遥かにマシな場所だとは思う」
少女は少し戸惑いながらも、その手を取ることにしました。
少なくとも青年は悪い人ではなさそうだという事、今より安全な場所に、何より暖かい場所に行けるかも知れないと思ったからです。
「僕の名前はウィル。ウィル・ハンナヴァルト。君の名前は?」
青年のその質問に少女は首を横に振ります。
「覚えて、無いの」
少女には幼い頃の記憶が有りません。そのため、自身の名前さえも知らなかったのです。
青年はポンと手のひらを叩くと、こう言いました。
「よし! じゃあ君は今日から【ライナ】だ」
その突然の提案にポカンとする少女。
「ライ、ナ? それが、私の名前?」
「ああそうさ。よろしくね、小さな天使さん」
青年の家は、決してキレイと言えるものではありませんでした。洋服はそこらに脱ぎ捨てられ、ゴミは散らかし放題です。
けれど、少女にとっては今まで過ごして来た環境と比べると天国のような場所でした。冷たい雨や、肌を切り裂く風、そして何より石が飛んでこない場所。
これ以上に幸せな事はありません。
部屋を見回すと、ふと少女の目にボタンが沢山ついた箱のような物が映りました。
少女が首を傾げながら聞きます。
「ねぇウィル、これはなぁに?」
「ああそれはね、アコーディオンという楽器さ」
「アコーディオン?」
「そう。僕はね、アコーディオン弾きなんだ」
青年がにこやかに言うとその楽器、アコーディオンを持ち上げ、抱きかかえるように持ちました。
「こんな風にボタンを押しながら蛇腹を動かすと音が鳴るんだ」
青年が流れるように箱の左右についているボタンを叩きながら蛇腹を伸ばしたり縮めたりすると、綺麗な心地よい音が鳴りました。
「ラララ~ラ~ラ~~ララララララ~~~」
アコーディオンの音に合わせて青年が歌います。けれど、その歌はあまり上手ではありません。
「まぁ、こんな感じで街で演奏しているんだよ。でも、僕は歌が下手だからあまり稼げなくてね」
ハハハ、と青年が力なく笑いました。
そして、またアコーディオンを演奏し始めます。
少女は、その音色に合わせ歌いました。先ほどの青年の真似をするように。
少女の歌声を聞いた青年は、驚いた様な顔を浮かべると演奏を止めてしまいました。
「驚いたな。透き通るような歌声で、まるで天使に囁かれているようだよ」
少女は恥ずかしそうに俯きます。今までそんな事を言われたことがありませんでしたから。
そして、青年は自分の夢について語りました。少しだけ尖った特徴的な耳を弄りながら。
「僕はね、歌で世界を平和にしたいんだ。もちろんそれが夢物語だって分かっている。でも、種族が違うだけで、生まれが違うだけで差別や虐待を受けなければならないのはおかしいと思うんだ」
少女は青年のその言葉に、その想いにとても感銘を受けました。それは自身が虐待を受けていたからにほかなりません。
「ライナの素敵な歌声なら、僕なんかより皆の心に響くんだけどなぁ……」
青年が何を言いたいのか少女は理解してました。ダークエルフである少女が、人前で歌う事など許されるはずが有りません。
それからというもの、青年は曲作りの合間に不思議な研究を始めました。
少女が何をしているのか尋ねても『秘密』と言って教えてくれませんでした。
ですが、青年が決して少女をないがしろにしていた訳ではありません。時間を作っては少女の為に演奏し、少女はそれに合わせ歌を歌いました。青年が初めて少女が歌うために書いた曲【小さな天使】を。
◆◆◆
少女と青年が一緒に暮らし始めて二年が過ぎました。
けれど、決して二人の生活は豊かではありませんでした。青年は人気のある大衆的な曲を弾かず、世界の平和を願う歌ばかり書いていました。
そんなある日、青年が不思議な装置を完成させました。
樽状の箱が特徴的な装置です。
青年が詳しく説明してくれましたが、少女には理解出来ませんでした。ただ分かったのは、音を記録する物、ということだけ。
「これがあれば、ライナの素敵な歌声を世界中のみんなに聴いてもらうことができる!」
くまだらけの目を爛々と輝かせながら青年は微笑みました。
「さぁ、早速録音してみよう」
青年のアコーディオンの音に乗せ、少女が歌います。
何度も青年と一緒に歌った歌【小さな天使】を。
演奏を終え、装置を停止させると青年はゆっくりと膝から崩れ落ちるように床に倒れました。
「ウィル!!」
少女が駆け寄ります。
「だ、大丈夫。ちょっと目眩がしただけさ」
少女は驚きましたその痩せ細った青年の体に。
少女の肩を借りながら青年がなんとか立ち上がると、机に向かいました。
そして、手紙を書き終えると、フォトノグラフと一緒に少女に手渡しました。
「これを、コイツを届けてくれないか。故郷で僕の帰りを待つ、妹の元に」
少女は首を横に振ります。
「いや! ダメ! 私を……私を置いていかないで!」
少女は悟りました。それが青年の最後の願いだと。
だから少女は拒否しました。孤独を恐れたために。
「そんなこと言わずに、頼むよ」
青年は力なく苦笑いを浮かべると、少女の頭を撫でベッドに横たわりました。
「君の歌声は……きっと世界を平和にする……。だから、それをみんなに聞いてもらわなくちゃならないんだ……例え、この命にかえても……」
「ダメ! ウィル!」
少女が青年の手を握ります。しかし、もうそんな力すら残っていないのか、青年が握り返しては来ません。
「今は……まだ、君が表に出ることは……できないけど、い……いずれ、差別が……無くなったら、きっと、その時には……」
少女の手から、スルリと青年の手が抜けました。
浅く数回呼吸をすると、瞳を閉じ、青年は静かに息を引き取りました。
「嘘だ! イヤイヤ! ねぇウィル! 起きてよ!」
何度も何度も体を揺すります。けど、いつものように寝ぼけた声で『おはよう』と言って起き上がることはありません。
だんだんと白くなっていく顔。冷たくなっていく手のひら。
少女は絶望にうちひしがれ、泣き叫びました。
きっと、私と出会ったから死んでしまったんだ。私と出会わなければ、私の歌を、世界平和の歌ばかり作ることはなかったのに。
そして少女は立ち上がります。
青年との約束を果たすために。
少女は走ります。青年の故郷を目指して。
少女は走ります。罵声や飛び交う石をはねのけながら。
私には消えない名前がある。私は闇の使者なんかじゃない。彼は私の事を【ライナ】と呼んでくれた。
少女は休みなく走り続けました。転んでは立ち上がり、膝を擦りむいても、肘を擦りむいても。
一刻も早く、青年から託された物を届けたくて。
青年の故郷はどの辺りにあるのかは知っていました。前に青年から聞いたことがあったからです。
少女達が暮らしていた街から二百キロほど離れた場所。山の麓にある農村。
少女はその一際大きな山を目指してただひたすらに走ります。
街道、通りかかる町、様々な場所で罵声を浴びせられ、それにもめげずに。
やがて夜が明ける頃、数キロ先に農村が見えました。
青年の話にあった通り、山の麓にある農村。
その村の、青い屋根の家が目指す場所でした。
少女は心身ともにボロボロでした。ちぎれそうな手足を必死に動かし、一心不乱に目指します。
村にたどり着くと、辺りはシンと静まり返っていました。
足を引きずりながら、一直線に彼の家に向かいます。
満身創痍で家にたどり着くと、最後の力を振り絞り扉を叩きました。
力なく、崩れ落ちる少女。
扉を開け、その姿を確認した青年の妹は、少女を抱き抱えベッドに運びます。
妹は一目でその少女が【ライナ】だとわかりました。
その特徴が、兄から送られてくる手紙にかかれている物と一致していたからです。
ベッドに横たわった少女が意識を取り戻すと、手紙とフォトノグラフを妹に渡しました。
手紙を読んだ妹は、少女に向かってこう言いました。
「あなたは私達の家族よ。今は安心して休みなさい」
その言葉を聞いた少女は、安心したように笑みを浮かべると瞳を閉じました。
それから、青年の妹は研究を始めました。
兄の願いを叶えるために。少女の声を世界に聞かせるために。
「そうして私が長年の研究の末、完成させたのがこの装置なのです」
女性の声はかすかに震えている。
「それでは、聞いてください」
女性が再生ボタンをおすと、スピーカーからは綺麗なアコーディオンの旋律と、透き通るような、心が洗われるような少女の歌声が、ホール全体に響き渡った。