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お題小説

逢瀬数十秒

作者: 水泡歌

 デートの日。2人お気に入りの喫茶店。

 買ったばかりのワンピースを着て、いつもの席に行った私を待っていたのは、深刻な顔をしたあなたと、とても綺麗な女性と、12本の赤い薔薇の花束でした。

 あなたは青白い顔をして私に言いました。

「結婚することになったんだ」

 隣に座る女性は微笑みながら言いました。

「そう言うことですので、彼と別れて下さるかしら」

 その手には真っ赤な薔薇の花束が。

 12本の薔薇の花束。意味は「私の妻になってください」。

 彼女は私の視線に気付くと誇らしげに笑って言いました。

「彼が私に贈って下さったんですのよ」

 私はただ小さく笑って言うだけでした。

「そうですか」

 驚きはしませんでした。

 あなたと私の家柄には大きな差があり、いつか、いつの日か、ふさわしいお嬢さんをもらうのだと思っていました。

 どうやらその日が来たようです。

 別れの言葉は何が良いだろう。

 そう考えてみたはいいものの、この場にそぐう言葉は何も思い浮かばず。

 私はただあなたの前の一口も口をつけていないカップを指さして、

「コーヒーが冷めますよ」

 そう言うのが精一杯でした。


 お別れの日にはもったいないほどいいお天気でした。

 春の空気が心地よく、こんな日でなければ、あなたと一緒に公園や河原で楽しくおしゃべり出来たのにと思いました。

 せっかくおしゃれをしてきたと言うのに。

 水色のワンピース。

 不思議なものですね。

 今朝はこの水色が快晴の空色に見えたと言うのに、今は何だか涙色に見えるのです。

 喫茶店に残してきたあなたの姿が浮かびます。

 泡沫の夢のような恋でした。

 あなたの声が好きでした。

 あなたの感覚が好きでした。

 あなたの愛情が好きでした。

 この街はあなたの残り香が多過ぎる。


 私はこの街を離れる決意をしました。


 築くことは難しいのに壊すときはひどく容易い。

 決断をした私の行動は早く、新しい日常を営む街はすぐに決まりました。

 列車に乗り込み、出発の時を待ちます。

 駅のホームの人々をぼんやりと眺めます。

 向こうの街に行ったなら、きっと忘れることが出来ましょう。

 どこにも名残がなければ思い出すこともないでしょう。

 この身体に染み込んだものもきっと薄れていくでしょう。

 この街と別れるまであと少し。

 そう思っていた私の目がひとつの姿を捉えます。

 見開かれる目。

 そんなはずがない。あの人がこんなところにいるはずがない。

 そう思うのに瞳は逸らすことが出来ず。

 こちらに気付いたあなたが近寄ってきます。

 窓越しに目が逢うこと数十秒。

 後悔。

 悲しみ。

 愛情。

 愛情。

 永遠の愛情。

 声無き表情だけの贈り物。

 発車のベルが鳴り、あなたの身体が離れていきます。

 遠ざかっていく駅のホーム。

 遠ざかっていくあなたの姿。

 私は両手で顔を覆います。

 忘れられない。忘れることなど出来やしない。

 窓越しのたった数十秒の逢瀬がこれからの私を生かしていくのだと思います。

 この人生があとどれほど続くのかは分かりません。

 あの方はあなたから立派な薔薇の花束を受け取ったことでしょう。

 でも、どんなに美しいものであろうと花は必ず枯れましょう。

 私はあなたから贈られたものが無形のもので良かったと思うのです。

 触ることも飾ることも抱きしめることも出来やしない。

 形なきもので良かったと。

 そう、思うのです。

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