第47話 運命の流れ
「お待ちしてましたよベネット様!」
店につくなり、おずおずと名乗ったモニカを店主は両手をあげて歓迎した。貴族である私より先に声をかけられることにどうも抵抗があるのか、モニカが慌てた顔で私のことを見る。まぁそりゃ、ゲームの“ヴァイオレット”の性格だったら一言二言物申したかもしれないシチュエーションだけれど。
「ヴァ、ヴァイオレット様……」
いや……あれは思わぬ大歓迎に面食らってるだけかな。
そりゃ聖女様がお店に来てくれたら嬉しいんじゃないかしら。何かご利益ありそうだものね。
根本的に、このマギカメイアでは貴族や平民の身分差というのは存在しないも同然だ。少なくとも建前上は。
クインズヴェリの私より他の人間が丁重に扱われたからといって私が体面のために憤ったりする必要はないのである。地上だったらまぁ何か言わないといけないのかもしれないけど。
私がアドバイスなどするまでもなく、宝石店の主人は奥から石を出してモニカに丁寧に説明してやっていた。輝く真珠に、力強いダイアモンド。透き通った色味の石が多いのはやっぱりモニカの魔法が光属性だからってことなんだろうか。
椅子に座らされたモニカが何度も私のほうを気にするように振り返るので、私は適当に店の中を見て回ってるわ、とヒラヒラと手を振る。アーサーが適当なこと言っただけで私は石についての知識なんかないし、マギカメイアの学長が頼んだ仕事だもの、ここの店主が悪い石を売り付けるなんてことはないでしょう。
「お手にとってみてはいかがですか?」
「はぁ、その……ありがとうございます……す、素手でいいんですか?ほんとに……?」
盗難防止のガラスケースの中、それぞれのスペースを保って飾られた宝石たち。
どれも魔力を持っているから、さわさわと囁きが聞こえてくるような気がして何だかくすぐったい。石の声。人の声よりずっと静かで、刺々しくなくて、心が落ち着く。
その時ふと、何となくだけれど、石のざわめきが一際大きいように聞こえる一角がある気がして、私は店の隅を見た。
装飾が施される前の石が飾られているケースとは違う、何だかごちゃついた、もしかすれば、もう力が失われてしまったものなのかもしれない装飾品が一緒くたにされたテーブルの上。
何だろう。
あそこに何かある気がする。
吸い寄せられるようにして近づくと、そこにあったのは、白色の表面に光を浴びて、美しく虹色に輝く石──の、ブレスレット。テーブルに雑多に置かれた他の石とは一線を隠す美しさを持ったそれが、私を呼び寄せた囁き声の持ち主だった。
「この石……」
よくわからないけど懐かしいような、どこかで見覚えがあるような、ないような、不思議な感じがする。
食い入るように見つめていると、後ろからそっと肩に触れられた。ハッとして振り返り、困った顔のモニカと目が合う。どうしたのよ、そんな迷子の子どもみたいな顔して。モジモジと手を組み合わせながら、モニカが恥ずかしそうに言う。
「あの……たくさん見せていただいているんですけど、どれにすればいいのかわからなくて……」
「あなたが気に入った石でいいんじゃない?あなたの相棒になる石なんだから」
「き、気に入った、と言いましても……」
本音を言うのが恥ずかしかったのか、モニカは顔を覆った。
「お、お値段に目が眩んでしまって、とても……!!」
「……なるほど」
確かに庶民感覚的にはちょっと心臓に悪い額よね。
何となくだけど気持ちわかるわ。私も現代日本に生きてた頃は宝石なんかとは無縁の人間だったし。
モニカの場合はお金は学長が出してくれるんだろうけど、それもあって、どれを選べばいいのか自分で決めきれずにいるのか。どれでもいいと思うけどね私は。物は全部確かなんだから、こういうのはフィーリングが大事だと思うのだ。
気を取り直したモニカが私に問いかける。
「ヴァイオレット様は、何か、その……何か、興味深そうな石は見つけられましたか?」
「私? 私はこっちの石が気になったわ」
「これは……?」
テーブルの方を示すと、店主が後ろから声をかけてきた。
「あぁ、それは……申し訳ないのですが、お嬢様方にお売りすることは……そもそも値段はつけられません」
「高価ということですか?既に装飾が施されているから、どなたか買い手がついているとか」
モニカが首をかしげるけど、それならこんな風に乱雑には置かないと思う。
案の定店主はモニカの発言を笑った。
「いえいえ、まさか!それらは魔導装飾というより骨董品です。どこの店もやっていることですが、古くなったり、力を失って持ち主が手放した石をね、私どもはそれなりのお値段で買い取らせていただいてるんですよ。魔導装飾として価値がなくなっても、装飾品としては美しい宝石ですから。そうして、魔法は使えない……貴族の血筋ではないけれども、そういった宝石に興味がある方々に販売するわけです」
「ふぅん、ナグルファルにもそういう人がいるの?」
「いえ、転送魔法で王都に送るんですよ、まとめてね。地上にも支店を構えていますので」
ということはこのブレスレットは魔導師的にはまったく価値のない石ってことか。とても死んでしまった石とは思えない“声”を聞いたような気がしたのだけれど、私の勘違い?
でも綺麗なのにな、と思っていたら、隣のモニカが、何故か固まっていることに気づいた。
「モニカ?」
じっと目を凝らすモニカの視線の先にあるのは、私がさっき心惹かれたブレスレット。
モニカの優しい色合いの瞳に、白く透明な輝きを放つその石が写り込んでいる。彼女がそっと白い指を伸ばすと、触れられたそのブレスレットは、私にはとても……喜んでいるように見えた。
「私……これにします」
「え?」
「は!?」
瞬きした私、声をあげた店主。
けれどあれだけおどおどしていたモニカは、きっぱりとした口調で、誰に何を言われても譲らぬという雰囲気でもう一度繰り返した。
「これにします」
「しっ、しかしでも、それはその、誰かのお古ということに……ベネット様は聖女様の生まれ変わりと伺ってます、何もそんな石を選ばずとも、選り取りみどり、ご希望をお伝えいただければ何でも……」
「希望は伝えました。これにします」
何がそんなに気に入ったのか、モニカの意思は固いらしい。
おろおろした店主が救いを求めるように何故か私のほうを見るけど、まぁ本人が気に入ったっていうなら別にこれでもいいんじゃないかしら。持ち主がどんな理由があってこのブレスレットを手放したのか知らないけど、魔導装飾としての力は強そうだし。
「しかし、他人の魔導装飾を使うということは、あまりその、勧められることでは……」
「そうなのですか?」
「まぁ……他人と契約を交わした石なんだから、合わなかったりすることもあるんじゃない? 詳しくは知らないけど」
私が言うと、モニカはほんの少し困ったように手の中のブレスレットを見下ろして、けれどもう一度見つめたことで、むしろ改めてハッキリ気持ちが決まったようだった。
私のほうをみてキッパリ頷く。
「それでもこの子がよいのです。というより、この子に私がいいと言われた気がしました」
なるほどピンと来ちゃったわけか。
そこまでいうなら。
「……ならそれにしましょう、お支払は学長がしてくださるのでしょ?あなたが選んだと言えば誰も否やはないわよ」
「なっ、ですが、そのぅ……」
「ありがとうございました、大切にさせて頂きますね!」
「あの……!?」
さっさと店を出ようとする私と、店主に向かって頭を下げるモニカ。
売り上げを期待して素晴らしい石を用意した店主には気の毒だが、モニカの買い物なんだから、彼女が欲しいと思うものが手に入ればそれでいいのだ。
ホワイトオパールの魔導装飾は、元々他人のものとは思えないほどモニカの雰囲気や魔力によく馴染んでいた。
「目的のものも手に入ったし、後は別行動でいい?」
「えっ……」
店を出た私が確認すると、モニカは何故か少し悲しげな顔になった。何故そんな捨てられた子犬のような顔をするのかしらこの子は。私って別にそんなこの子になつかれる謂れはないと思うのだけど。だって私悪役令嬢よ。
それとも運命(と書いてゲームシステムと読む)的にはあれか、むしろ私とモニカを接触させて何かトラブルを誘引しようという流れなのか。モニカは悪役令嬢相手にも優しく接しようとする人間のはずだから、私の反応が曖昧なせいで、ゲームとは違う人間関係が構築されつつあるってこと?でも私とモニカの関係がどうあれ、私にとってこの子が私の死因になりえるっていうのは変わらない事実な訳だし、やっぱり接触は必要最低限にしておきたいわよね。
「そう……そうですよね、私のためにこれ以上ヴァイオレット様のお時間を頂くわけには……」
「あ、いや別にそういうんじゃないのよ、悪くとらえないで」
お願いだからへこまないで。悪感情ゼロなのよこっちは。
モニカは残念そうに俯いて、けれどすぐに顔をあげて、私に向けてにこっと笑った。デジャヴ。ハンカチを貸してあげた時も、この子はこんな風に笑ってたっけ。
「私、本当は今日、石よりずっと、ヴァイオレット様に、大切な用事があって」
「用事?」
「お返ししたいものと、お伝えしたいことがあったのです。ずっと……」
そう言って、モニカが鞄の中からいつか私が渡したハンカチを取り出す。受け取ったそれは、ちゃんと綺麗に洗ってアイロンがかけられていた。
ハンカチを返すのがそんなに大事な用?別に人伝にでも、何なら返してくれなくたって別に良かったのに。正直あの日のことは忘れてもらっていたほうが都合が良かったから、こんな風に丁寧な対応をされると、それはそれで困る。
「あの時、庇っていただいてありがとうございました」
ハンカチを片手に微動だにしない私に、モニカが深々と頭を下げる。
そんなに?ってくらい。あの時の恐怖を思い出したのか、頭をあげたモニカが少し微笑んで、濡れた目元を指で拭った。今思い出しても泣くほど怖かったのか……。相手ヤンキーだものね。
「私、あのとき、本当に怖くて……」
「……いいのに、そんな」
「そ、それだけじゃ、なくて、私、もっと前に──」
「……モニカ様?」
モニカが更に何か言い募ろうとした時、人混みの中から、男の声がした。
二人してそちらを見ると、どこかで見覚えのあるような少年少女数人が、私たちを見て怪訝な顔をしている。誰だったか覚えてないけど、たぶん学園でのモニカの取り巻きの一部だろう。
そのうちの一人──露骨に眉をひそめていた巻き毛の少年は、モニカの顔を見ると険しい形相になって、私のほうへずんずんと歩み寄ってきた。
何?と思っていたら、思いがけず、どん、と肩を押される。
「えっ?」
呆気にとられたモニカが声をあげるのが聞こえた。
流石にいきなりそんなことをされると思わなかったから、普通にバランスを崩して、石畳の上にひっくり返りそうになる。わりと強い力だったわよ今の。貴族令嬢に生まれてこんな無礼な真似をされることがあるとは。
バランスを崩した身体が後ろに倒れるのが、まるでスローモーションのように感じた。憎しみに染まったような少年の顔、予想外の出来事に目を見開いたモニカの顔、それを見ながら、ここに尻餅ついたら絶対痛いわ──なんて呑気に考えていると、
ふわり、と、風が。
背中から私の身体を包んだかと思うと、次の瞬間、ひどく慣れ親しんだ、安心感のある腕に身体を支えられていた。
一瞬の間を置いて上を見上げると、何処から現れたのか──私の身体を背後から受け止めてくれたらしい、トーマの顔がある。
「トーマ……」
トーマの顔は少年に負けず劣らず眉間にしわが寄っていた。
……あなた今朝からずっと近くにいたの?
「ヴァ、ヴァイオレット様……」
「モニカ様、この者に近づいてはなりません!呪われた魔力の女など──聖女の貴女が汚れてしまう!それに何故泣いていらっしゃるのですか!?この者が何か──」
私に近づこうとしたモニカに少年が厳しい声でそう言って、他の取り巻きたちがモニカを取り囲むようにして私の視界から切り離した。「違います!どうして……どうして私の話を誰も──」とかなんとかモニカが叫んでいるのが聞こえるけど、彼女の周りの人間は聞く耳を持っていないらしい。これが逆らえない力の流れだというなら、彼女も何だか、かわいそうだ。
私はトーマの腕の中で、少年の罵詈雑言を聞き流しながら、逆らいがたい運命力のようなものを感じていた。
私にとってモニカはまぎれもなく死因。
そう、それは別にモニカの人格とか、私にどんな感情を抱いているかはたぶん関係ないこと。究極的に言うと、この子がたとえどんなに私のことを好いてくれても、この子に関わることで、私の運命は死へと導かれるのだ。
この先、こういう、モニカの周りの取り巻きたちっていうのもたぶん、ヴァイオレットの死因になりうる。なるほど。そうか。そうよ、わかってたことではあるけど。
モニカがにこっと、私に向けて笑った時の顔が思い浮かぶ。
(──なんか、ちょっと)
いやんなっちゃうな。
「学外なら俺達の目が届かないとでも思ったのか!?おまえなんかが聖女に取り入ろうったって、誰も──」
「それ以上口を開くなら」
私を抱きかかえているトーマが唸った。
「お前の首の骨を噛み砕く」
「なっ、そ、獣人風情が、僕を誰だと──!」
「名乗らなくていい。僕の主に乱暴を働いて、侮辱した人間の名前を覚えてやる気はない」
牙を剥いたトーマが唸る。
人を殺しそうな獣の形相に、弁がたつようだった巻き毛の少年が青ざめるのがわかった。
いけない。こんなところで彼が“転身”したら皆パニックだ。あれに腹が立つのはわかるけど、ていうか、トーマの牙があんなモブの血で汚れるのはそっちのほうが私嫌よ。ほねっこ噛んでて。せっかく綺麗な歯なんだから。
「ちょ、トーマ──」
「やめとけバカ犬!」
今にも狼に変わりそうだったトーマの頭を背後から叩いたのは、これまた予想外な人物だった。
「……スヴェン!?」
何でここに。
赤髪の少年は、「オッス」なんて気軽な口調で目を白黒させる私に軽く手をあげて挨拶する。
何でいるのかよくわかんないけど、たぶん今のでトーマがちょっと我に返った、気がする。「スヴェン様」「四大魔法公爵家……」一触即発の雰囲気の中、彼の登場に安心したのは怯んでいた取り巻きたちも同様のようだ。一応私もその四大魔法公爵家の人間なんですけどね。闇魔法の使い手には人権もないってか?産まれたときから知ってる。
スヴェンは、我に返っても変わらず拗ねたような目つきのトーマを無視して、私のほうを見ながら話しかけてきた。
「アーサーに言われて来たんだよ、街中で喧嘩が起きると風紀的によくないから見てこいって」
「いやあなた……犬なの?」
「おいやめろ、俺は褒美なしでも動くぞ」
そういうことじゃなくてね。
「僕だって褒美なんか……」
「あごめんトーマ、犬ってそういうことでもなくって」
よしよし。
「まー状況はよくわかんねぇけど、喧嘩はなしで頼むぜ、王子様からのお達しなんで」
「アーサー様の……」
「学園の外まで目を配っていらっしゃるのね」
「モニカ様を見守ってくださっているんだ、きっと。王族の方と聖女は深い関わりが……」
スヴェンの発言で、取り巻き達は退散する口実が出来たらしい。これ幸いとモニカを連れてその場を去ろうとする。モニカはまだもがいているようだったけれど、私が小さく首を横に振ると、はっとした顔になって、それきり大人しくなった。せっかくトラブルが回避できそうなのだ。これ以上、ここで妙な騒ぎを起こすのは避けたい。
あの巻き毛の少年だけ──どこか不満そうに私のほうを睨み付けていたけれど、トーマの睨みに押されてか、彼もまた、それ以上の侮辱は口にせずに立ち去った。
あとに残されたのは、気安いといえばもうすっかり気安い面子だ。この二人だってモニカの攻略対象=私にとっての死亡フラグに連結してるんだから、こう気安くちゃいけないんだろうけど。
「……助かったわ二人とも」
「アーサーの奴、急に出てこいっつーんだもんな。休日だぜ?人使い荒いよな!つか、それはまぁいつものことだけどよ、おまえはおまえで何か変なのに喧嘩売られてるし、つくづく変な奴らだよなぁおまえらって」
「光栄ね……」
「……ヴァイオレットを侮辱するならおまえのほうを噛みちぎってやる」
「してねーだろ侮辱は!」
トーマ、ちょっと落ち込んでる?
彼の性格的に、私が突き飛ばされる前に何とか出来なかったのを気にしてるんだろう。私を抱えるトーマは少し気落ちしているようで、今は気楽なスヴェンがそばにいてくれるほうがトーマの精神衛生にはよさそう。気が紛れるというか。
「……それで、あなたを此処に寄越したアーサーは?」
今朝までイヤリングで繋がってたのに。
いざこざがあった時に出てこなかったのは、立場上露骨に私を庇えないせいかと思ったけど、もう出てきてもいいのに。それとも此処にはいないのだろうか。
私が見上げると、トーマが呟く。
「……学長からの呼び出しがあって、急遽、戻らないといけなくなって」
「人を地獄のデートに送り出しておいて……」
しかも本来自分が務めるべき役割を私に押し付けておいて、あんにゃろう。
いやわかってる。
アーサーにも王族としての立場ってもんがある。あの人の不自由さは他でもない私が十分わかっていて──だから代わりにスヴェンを寄越したんだろうし、学長の呼び出しに逆らえないのは仕方ないけど、今度会ったら何かしらとっちめてやるわ。えぇ。あのとき、トーマが来る一瞬前に受け止めてくれた風が誰の魔法であっても同様よ。
込められていた魔力が失われている感じがあるから、たぶん、イヤリングに込められたアーサーの魔法が発動したってことなんだろうけど──
……ていうか逆にそんな細工をしてたってことは、こうなることが若干わかってたってことなのでは?
「絶許だわ」
「ハ?」
スヴェンが首をかしげた。
 




