第43話 お申し込みはフリーダイヤル
グツグツ、グツグツ、時々ボコッと泡が弾ける音。
煮え立つ鍋から紫色の煙が出て、部屋に充満している。
テオドラに送ってもらったマンドラゴラを煮詰めていた私は、カン、と鍋の縁に打ち付けてお玉の水気を弾いた。
「い~い感じに煮え立ってきたわ」
ここまで煮るとマンドラゴラも「グェ…」ぐらいの微かな奇声しか発さなくなるし、もうちょっとって感じ。あとはとろ火で十五分……と火を弱めて振り返ると、完全にグロッキーな顔でトーマとスヴェンがソファーに沈んでいる。だから部屋の外に出てたほうがいいって言ったのに。特にトーマ。鼻にペグと呼ばれる洗濯挟みのようなものを装着しても尚辛いらしく、重度の二日酔いのような顔色の悪さである。
顔合わせたら喧嘩するくせに今は言い合いをする気力もないらしい、トーマの隣で上半身をフラフラさせていたスヴェンが、半死半生みたいな顔で私を指差した。
「おっまえ、マジで闇の魔法使いだろ…!?」
「そうよ」
何を今さら。
シュピビピン、バトンの要領で軽くお玉を回して肯定する私にスヴェンが力尽きて倒れた。軟弱者めが。
「中々凄い色だね」
「流石テオドラだわ。私が育ててたものと同じくらい良い感じのマンドラゴラエキスよ」
「マンドラゴラエキス?」
「煮詰めたときの色で魔力保有量がわかるの」
一応ハンカチで鼻を押さえてはいるけれど、鍋を覗きこみに来る余裕があるアーサーを見習ってほしいわ。
ついでにアーサーについては、こんなものを煮る女性に結婚してほしくないってことで私の婚約者としての株を落としてくれれば万々歳なんだけど。私は小さな頃からやってるから気にならないけど、誰しも自宅でこれはやられたくないでしょ。
「因みに私と結婚するとほぼ毎日この臭いを嗅ぐことになるわよ」
「僕の風魔法があれば換気もバッチリだし、別にいいんじゃないかな。僕はそんなに気にならないよ」
「…………チッ」
「あれ舌打ち?」
そういえば風魔法のプロだったわ。
しかもマンドラゴラにも肯定的だなんてくそ。
「貴方みたいな人と結婚したいわ…」
「僕と結婚するんだよ?」
そうだった。
そうだったけど、残念ながらその選択肢は貴方がこのゲームの攻略対象でヒロインと結ばれる可能性が高い王子様である限り私の中では恒久的にナシよ。
どうしてそんな苦々しい顔を……とアーサーが困ったみたいに笑うけど、こっちにもそれなりに事情があるんで許してほしい。命とかね、かかってるんで。
「おいイチャイチャすんな婚約者共!つーかアーサー魔法使えよ風魔法!」
「魔法植物を煮るっていうのは準魔術に値する行為だから、術者であるヴァイオレットの許可なく僕がこの場で魔法を使うことは出来ないよ。使っても?」
「この臭いにも一応魔力回復効果があるんだけどね」
「だって」
「だって☆じゃねーんだよ開けるぞ窓!」
スヴェンが閉じられた窓のほうにヨロヨロと動き始めたので、仕方なくアーサーに風魔法を使ってもらい、部屋中の臭いを集め換気扇周りに集中させる。超強力空気清浄機って感じね。大体マンドラゴラ煮てる時に窓なんか開けたら公害騒ぎになって私が寮に住めなくなっちゃうじゃないの。
「公害レベルってわかっててやってんのかよ……」
「あのねぇ、再三言うけどこの場に居ることを貴方たちに強制した覚えはないわよ。何しに来たの?」
風魔法で部屋の空気を入れ替え、やっと少し顔色が回復したスヴェンが私を睨み付ける。私の部屋で何しようと私の勝手よ。
「僕はただヴァイオレットの顔が見たかったんだけど、スヴェンが君に用があるって」
「は!?別に用って程じゃねぇけど……」
「許さない……ヴァイオレットに用があるなら……従者である僕を通さないと……」
「うわっ、いいからおまえは無理すんな!」
死にそうな顔でスヴェンの肩を掴んだトーマに、スヴェン本人が若干労るように怒鳴った。
スヴェンがサッパリしたタチだからか何なのか、犬猿の仲と思いきや、時たま相手を気遣ってるようにも見えるのが不思議だ。ゾンビみたいなトーマが怖かっただけかもしれないけど。
「用って?」
「あー……噂に聞いたんだよ!なんか、おまえがモニカを何か、部屋に引き込んで呪いをかけようとしてたとか何とか……」
「噂ァ?誰が?」
「アイツの周りにいる奴らだよ、いつもわらわらいんだろ」
モニカの周りにワラワラ、と言えばあの親衛隊の皆様か。
ザ・衆愚って感じのキャラ付けがかわいそうと言えばかわいそうだけど、まーあんまり人の話を聞かない連中ってイメージね。噂のもとはこの間の、モニカが何故か私の部屋の前で立ってた時の件だろうけど、あれは別に私が呼び出したんじゃないし。
「覚えがないわ」
「まぁ、おまえは何かそういう陰険な感じしないし、そうだろうとは思ったけど」
つまり私への警告に来たのか。
新しい嫌な噂が広がりつつあるから、周りを警戒するようにと。ありがたいけど何なのかしら。良い奴すぎて逆にちょっと警戒したくなるわ。私が睨み付けると、スヴェンは「何だよ」とまだ少し青い顔で答えた。……何か企んでいるようには、見えない。隣の腹黒と違って。
「…ミス・ベネットは何て?私が呪いをかけたって言ってるの?」
そういうタイプの子には見えなかったけど。
「いや、あいつは否定してるんだが、周りが聞く耳持ってない感じだな。“さすが、聖女はあんな悪魔みたいな女も庇うのか!”みたいな流れに持ってかれるのが嫌らしくて、最近は自分のファンから必死に逃げ惑ってるぜ」
「それはそれで不憫ね……」
過度な期待に興味のない好意、悪意を持たれるのとはベクトルが違うけど、興味がない他人からの強い感情っていうのはベクトルがどっちを向いてたとしても怖いもの。追いかける人たちは嫌がられてんのがわかんないのかしら。
「アーサー、何とかしてあげられないの?」
「僕が?」
問いかけると、驚いたようにアーサーが瞬きした。
そうよ、だってあの子はヒロインじゃない。攻略対象である貴方たちがカッコよく助けてあげるべきでしょ。マンドラゴラの異臭漂う悪役令嬢の部屋でダベってる場合じゃないでしょ。
ほんと何でこんなことになってんのかしら。
「でも、モニカが追いかけ回されてる間は彼女が君に近づくことはないし、君にはそのほうが有益なのでは?」
「…………いやまぁ……」
そこまで見透かされていたか。
「あ?おまえアイツ嫌いなの?」
「違うわよ。嫌いとかじゃなくて、これ以上この学園で面倒事に巻き込まれたくないの。いい?まったくこれっぽっちもほんッッの少しもあの子に対して悪感情なんてないから」
「お、おう……」
聞き捨てならない台詞を吐いたスヴェンにお玉を突きつけながら真顔で言うと、危機迫った私の勢いに気圧されたのか、ソファの背もたれに掴まるように縮こまったスヴェンが頷いた。
ヒロインに敵意を持ってるって此処のメンツに思われたら悪役令嬢バッドルートまっしぐらなんだから私も必死だ。てか、いつの間にか攻略対象×3に囲まれる状況がそれなりの頻度で多くなってきてる気がするんだけど気のせい?バッドエンドの予兆とかではないわよね。
ふん、と鼻息を吐いた私の横で考え込むようにしていたアーサーが、少し微笑んで私を覗きこむ。エメラルドの瞳がきらりと美しく、私からすると油断ならない輝きを灯した。
「僕にお願いするってことは、ヴァイオレットはその見返りに僕に何をくれるの?」
「……えっ」
「君ももう気づいてると思うけど、僕が教授陣や生徒たちに“必要以上にヴァイオレットに近づかないように”と伝えてるのは、僕自身の君への好意だよ。君の安全を保証するのは婚約者としての務めだからだ」
ニコリ、と綺麗に微笑まれる。
「でも、モニカ嬢の周りの人間を彼女から遠ざける……っていうと、それは別の話だよね。それなりの労力もいるだろうし、何より好意ってのは悪意と違って押さえつけるのが難しいんだ。逃がし所がないからね」
「……………」
「大事な婚約者のお願いとあれば何でも聞いてあげたいけど、僕もたまにはご褒美がほしいな」
スヴェンが「うわァ…」とでも言いたそうな顔で私たちを見ている。察するに、この人当たりの良い悪魔の本性は駆け引きばかりのお城暮らしでも遺憾なく発揮されたことだろう。
アーサーが結構シビアな性格なのはわかってる。私も際限なく甘やかされたいなんて性格ではないし、むしろ何か頼んだ時に交換条件を持ち出されるのは望むところ。報酬に見合うだけの効果が期待出来るし、変に負い目が増えることもない。
与えるだけなら、相手は子どもやペットでいい。
与えられるだけなら、相手のことなんかハナっから気にかけてもいないのと同義だ。
彼は私を対等に扱っている。
こういうところは、むしろ好き。
「それもそうね。何が欲しいの?マンドラゴラ?」
「それも魅力的だけれど」
そう言うと、アーサーが突然ひざまずいて私を見上げ、イタズラっぽく笑った。
ポンっ、と音を立てて、ヴァイオレットの花がアーサーの手元に現れる。魔法具を袖に仕込んでいたのだ。芸が細かい。
「君の時間を、ヴァイオレット」
「うん?」
「デートしてほしいんだ」
うん?
足元にはニコニコ笑う王子様。
ソファには驚いた様子のスヴェンと、こちらの話が聞こえているのか、その隣でグッタリした様子のトーマ。
「マジでか」
「マジです」
実に美しく愛らしい──つまり、確実に何かを企んでいる顔で、アーサーが小首を傾げた。




