第42話 一度はやりたいやつ
「えぇ、そう、まとめて送ってほしいのよ。大丈夫?……助かるわ、ありがとう」
相変わらず通話口でキャンキャンうるさいテオドラにお願いして連絡用の魔法具を切ると、側に控えていたトーマが不思議そうな顔で私を見た。
「何で今更マンドラゴラなんて」
「必要だわ。もう人前で気絶なんかしたくないもの」
私がテオドラに送ってもらえるよう頼んだのは、彼女に栽培を任せてきたアルタベリー邸宅のマンドラゴラ。
味はひどいが魔力補充にこれ以上適したものはないと思われる秘伝のマンドラゴラ汁。闇魔法を使うぶんには必要ないけれど、スヴェンとの勝負のときみたいに、闇魔法以外の力で状況を切り抜けなければならない場合もある。
闇魔法をちゃんと、安全な形で戦闘に応用できるようになるまでは(果たしてそんな日が来るのか?というのは置いといて)、これからもちょくちょく氷魔法は使っていくことになるだろうから、煮汁のストックは用意しておかないと。
「部屋にキッチンがついてて良かったわ。まさか中庭で煮るわけにはいかないものね。ねぇ?」
「……あれは公害」
青い顔でトーマが唸った。
臭いもそうだけど、人面がついた野菜なんか衆目で似てたらいよいよ以て私の学内での評判が恐ろしいことになりそう。ただでさえバチバチに怖がられてるのに。
相手に特定の場所まで赴いてもらう必要がある通話と違って、荷物は小さなものなら転送魔法で簡単に送ってもらうことが出来る。とはいえ、この転送魔法っていうのもマギカメイアの技術力あってのものらしいから、地上ではそう易々とは使えない。
ゲームとかアニメでは簡単に使われてるイメージだったけど、物質を離れた場所に転送するというのは“ユグハー”世界においては限りなく高度な魔法という扱いらしい。
確かに、“転送魔法”って何属性に分類される魔法なのかしら。アルキバなんかは私を連れて自分の身体を亜人街まで“転送”させたことがあったけど、あれって一体どのくらい高度な魔法なんだろう。アルタベリーのうちと館を繋げた異次元的な魔法といい、丸っきり私たちが扱っているものとは違うような気がする。
魔法には火、水、風、土、あとは無とあって、我がクインズヴェリ家の氷魔法は水魔法の派生という扱いだ。ヒロインの使う光とか私の闇っていうのはたぶんそのどれにも当てはまらないもので、かなり特殊なレアケース。
因みに、無属性っていうのは、単純な力魔法のこと。基本的には物を動かしたりするくらいのことしか出来なくて、使いようによっては勿論強いけれど、私たち貴族のほとんどが自分の魔力属性を問わずに使うことができる魔法でもある。
こうした魔法の基礎的な部分についても、マギカメイアに来て新しく知ったことがある。
それは、私たち貴族は限られた属性の魔法に純化した存在であると思っていたし、地上ではそう教えられていたけれど、実際のところはもうちょっと話は複雑だってことだ。私たちは、無意識に複合的な魔法を使っているらしい。
例えば、スヴェンの炎の剣。
あれはスヴェンの火の魔力を使って剣の周りに炎を発生させてるわけだけど、同時にその炎を“常に剣に纏わせる”状態に保っているのは力魔法。
「火の精霊、水の精霊……土の精霊……風の精霊」
送られてきたマンドラゴラの包みを受け取り、部屋に戻るまでの間、指折り数えて、今も目に見えないだけでそこら中にいるとされる精霊のことを考える。私がブツブツ言っているのがトーマは不思議なようだった。
「何を言っているの?」
「うん?うーん、闇の精霊って見たことないけど、そういえば光の精霊っていうのも見たことないと思って」
「光の……」
「たぶんでも、少なくとも闇の精霊はアルキバがいるって言ってたから、いるはずなのよね」
ソーン先生の授業で習った通りなら、私の眠りの闇魔法を実行してくれてるのはその“闇の精霊”ってことになるわけだし。
私は少しだけ精霊が見えたりもするけど、それはアーサーみたいなよっぽど精霊に愛された人が魔法を使った時に限ってたり、かなり限定的なものなのだ。今まで闇の精霊を見たことがなくても別に、不思議って言うほどでもないけど。でも一回くらい見てみたいわ、私にこの厄介な加護をくれる精霊たちの姿。
とりとめのないことを考えながら自室のある廊下に差し掛かった瞬間──
「!!!」
「ヴァイオレット?」
私は咄嗟にリズミカルなステップでやや後方を歩いていたトーマの背後に隠れた。何故なら私の部屋の前に見覚えのありすぎる姿があったもんで。暖かみのあるオレンジの髪、可憐な仕草、清楚な制服がよく似合っている我らがヒロイン、モニカ・ベネットそのひとである。
何で私の部屋の前に立ってんのあの子。一人みたいだけど、いつもうじゃうじゃ引き連れている親衛隊はどうしたのだろう。
「……モニカ?」
ヒロインに気づいたトーマが呟いた。
……あなるほど、トーマに会いに来たのか?それなら頷ける。
ついつい忘れがちだけど、トーマは立派なヒロインの攻略対象。何となくモニカの表情からは緊張した乙女感が察せられないこともないような気がするし、たぶん絶対そうだ。何のイベントかわからないけど、校門で部活終わりの憧れの先輩を待つ女子高生、みたいなふんわり定番ラブイベントオーラを感じる。
そうとなったらオジャマ虫は退散するに限る。
いのちはだいじに、これ鉄則。授業は楽しいけどちゃんと自分の命の危険がそこかしこに転がってることを忘れないようにしておかないと。
「ごめんなさいトーマ、ちょっと急用を思い出したから、このマンドラゴラを私の部屋に……」
「は? ちょっと待って、ヴァイオレット一人での行動は……」
「アデュー!」
「──ま、待ってください!」
何か言われる前にさっさとバックレようと思ったら、思わぬ人物に引き留められた。
可憐な──けれどちょっとビックリするくらい大きな声で叫んだのは、誰あろう、ヒロインであるモニカだ。そんな大きな声出る子だったんだ?弱々しくて泣いてるイメージしかなかったから思わぬ声の大きさにちょっとビビった。トーマもびっくりしてるわよ。腹式呼吸が出来ている。
「ヴァイオレット様!」
しかも名指し。
うーーーーんこの。
ダラダラと制服の下で背中に汗が伝い始めるのを感じる。これを無視して立ち去るのは……悪手……ですよねどう考えても。
これまでは、モニカの親衛隊連中の妨害とか、徹底して授業以外では人の多いところを避けて過ごすことで“個”として識別されるエンカウントを極力避けてきたけれど。
(どういう展開?)
まさかヒロインのほうから部屋まで出向いてくるとは。
こんなんゲームにはなかったはずだけど、正直もうだいぶストーリーは変わっちゃってるからなぁ。その影響なのかしら。モニカがどういうつもりなのかわかんないけど、こうなったらもう、無難にやり過ごすしかない。
私はにっこり、見た目ばかりは上品な微笑みを作ると、私を呼び止めたモニカのほうへ向き直った。
「……あらごきげんよう、ミス・ベネット」
「あ、あ、あの、ご、ごきげ……その、こんにちは、ヴァイオレット様」
わかる。
平民出だと「ごきげんよう」って典型的なお嬢様キャラって感じでちょっと言いづらいわよね。
笑顔の下で私が親近感を感じているなどと思いもしないのだろう、モニカはやたらとモジモジしながら、何か言い淀むように目を伏せた。側にいるトーマが、そこまで警戒しているようではないけれど、奇妙なものを見る目でもたつくモニカを眺めている。
「……怪しい、者?」
「怪しくないわよ、あの子のことは大事にしなさい」
「何で?ほとんど知らない人」
「…………とりあえず悪い子じゃないわ」
声を低めて問いかけてきたトーマにひそひそと微動だにしないまま囁き返す。
トーマ曰く“知らない人”であるモニカの肩を私が持つのが不思議なようだが、私から言わせればトーマのほうが乙女ゲー攻略対象キャラとしてヒロインに対する対応がなってない。そんな朴念仁に育てた覚えはなくってよ。あの子はたぶん貴方に会いに来てるんだから、今すぐ優しい言葉の一つでもかけてきなさい。なんなら世話焼きおばさんポジも辞さないわよ私は。それなら死なずに済むんでは?っていうのもあるし。
「あの、私、お話がしたくて……」
「ホラ行ってきなさい、レディが勇気を出して貴方に──」
「ヴァイオレット様と」
「会って話がしたいって──」
…………………………………うん?
うん?
何だか間抜けな沈黙が、広いマギカメイアの廊下にふわりと落ちて広がっていった。
「ミス・ベネット」
「はい」
「私と?」
「はい!」
「彼ではなく?」
隣にいる無表情のトーマを指し示す。
「じゅ、従者の方には……先日、保健室に運んで頂いたお礼を申し上げたく思いますが、その、それとは別に……」
「えっ、ほんとに私に会いに来たの?──闇の魔法を使う呪われた女って噂がたってる私に、光の聖女様が一人で?」
別に卑屈になって言ったわけでも、“呪われた女”っていうのを本気にしてるわけでもなかった。
ただ、そういう噂が立ってるのは事実だし、モニカはゲームの中でもひたすら攻略対象たちに守られるか弱い臆病な女の子だったし、典型的な巻き込まれ型ヒロインで自分から何か行動するってタイプでもなかったような記憶があるし──それに何より、あの時廊下で泣いてた感じからも、まさしくそういう部分が強い女の子なんだってことが感じられたってだけで。
つまり、アーサーみたいな腹黒かスヴェンみたいな天然馬鹿でもないかぎり、臆病な女の子が一人で私のところに来るっていうのは、それって結構スゴいわよ、と思って口に出した一言だったんだけれど。
それが何故かモニカの逆鱗に──というか、彼女の見えない尻尾を踏んだらしかった。謎に。
「ヴァイオレット様は呪われてなどおりません!!!!」
きっと穏やかな顔に力を込めたモニカの声が、幸運にも他に人のいなかった廊下に響き渡る。発声がいい。ナイス腹式呼吸。……冗談はともかく、その声は思わず側にいたトーマが私を庇うほどに大きく、圧が強かった。
「す……スイマセン……」
真っ正面から食らった私が思わず素で謝ってしまったくらいには。
何だこの展開……というか、この空気は。
怒鳴ったモニカは私の言葉を聞いて、ハッと顔を赤らめさせ、慌てて言葉を繋げようとしたけれど──
「モニカ様!?」
「よ……よかった、こちらに!」
さっきの叫び声を聞いてか、誰もいなかった廊下にわらわらと人が集まってきた。トーマがごく自然と私を守るように自分の背の後ろに隠してくれる。
現れたのはそのほとんどが親衛隊の皆さんらしい。モニカを探してたんだろう、私の存在に気づいた全員があっという間に戸惑うモニカを取り囲み、恐れと敵意のこもった目で私を見る。砂糖菓子に集るアリみたいね貴方たち。
「モニカ様に一体何を……!?」
「いくらクインズヴェリ公爵家の人間でも、聖女に手を出したらただじゃすまないぞ!」
「そうだ、この方はこの国の重要人物なんだからな!?」
そしてこれである。
全くもって謂れがないとしか言いようがないが、なるほど、と思う。
みんな恐る恐る、って感じではあるけど、やっぱりヒロインと関わると私へのヘイトっていうのはちょっとずつ溜まってくシステムになっているらしい。集団のヘイトが高まればヒロイン個人との衝突イベントがなくても断罪に持っていけるってこと?ゾッとする。
(ゲームシステムって怖ぇ……)
「ヴァイオレット、こいつら全員、ヴァイオレットに無礼だ」
そして隣で目を血走らせて唸っているトーマも怖い。
怒ってくれるのは嬉しいけど、こんなところで貴方が転身なんかしたら全員パニック間違いなしだからダメ。
私は気を取り直すと、トーマにちょっと微笑みかけて、私を睨むモブの皆さんに向かってにっこり笑いかけた。
「ミス・ベネットには何もしてない……って言っても信じる人が貴方たちの中にいるかはわからないけれど……ここでは何も起きてないわ。正当性のある批判なら受け付けるから、何かあってから文句を言いに来てちょうだい」
私は忙しいのよ。
そう言いながら、トーマに持たせていたマンドラゴラの包みに手を突っ込む。あ、これがいい感じっぽい。
「今からこれを煮るんだから!」
「ヒッ……!?」
満面の笑みで“グゲェェェ……”と呻き声をあげながらモゾモゾと動く野菜を見せびらかしてやると、生理的な嫌悪感からか、親衛隊諸氏はモニカを連れて蜘蛛の子散らす勢いで逃げていった。
……まったく、仮にも魔導師の卵連中が魔法植物にビビり散らかすとは。かわいいでしょ?テオドラが育ててるから、我が子というより姪っ子マンドラゴラって感じね。いい感じにエグく出来ている。
「紋所ってこんな感じかしら?」
このもんどころが目に入らぬかー!っていっぺんやってみたかったのよね。
誰もいなくなった廊下で、はっは、と笑ってやると、トーマがため息をついて、何故か拗ねたように鼻をならした。




