第38話 氷VS炎
「私はモニカ・ベネットを指名したはずだが」
ざわざわと騒ぐ生徒たちの中、マティルダ先生が怪訝そうに石畳の上に立つ私を見る。
モニカって誰よ、と思ったけど、指名した、ってことはヒロインの名前か。そういえばヒロインの初期設定の名前ってそんなんだったっけ?今更すぎる。
「ミス・ベネットは体調が優れないそうですので、私の従者が医務室へお送りしておりますわ」
「体調が?」
ニコリと笑って言うと、途端にざわめきを増す周囲の生徒たち。「体調不良だって?まさか!さっきまであんなにお元気そうだったのに」「あの人が何か呪いをかけたんじゃ…」「おい相手は四大魔法公爵家だぞ、滅多なことを言うもんじゃ」「いやだ、モニカ様が!」まぁそりゃそうなるわよね。さっきまで普通に授業受けてたのにいきなり体調不良ってあまりにも不自然だもの。しかも呪いをかけたという点はあながち間違いでもないっていうか実際ばっちりかけたし。不意打ちでぐっすり眠って貰いましたーアッハッハ。そして強制的に寝落ちさせたあの子を医務室へ送り届けるよう、戸惑っているトーマに預けて、急いでグラウンドまでやって来た次第である。いやほんと私何やってんだろう、って自分で思わなくもないんだけれど。
「──黙れ!」
ざわついた生徒をマティルダ先生が一喝する。
切れ長のまなこに収められた赤い瞳が、私を見定めるように頭上から眺め下ろす。
「おまえが代理で戦う理由は?」
「え?」
「ベネットが出られない理由はわかった。だが、それでおまえがあいつの代わりにそこに立つ必要はないだろう。私はおまえを指名していないのだから」
私がここに立っている理由。
先生の言うことはもっともだった。モニカが体調不良だということだけ伝えれば、先生は改めて別の生徒を指名したかもしれない。ただでさえ悪目立ちしてる私が、これ以上目立つような、反感を買うような真似をわざわざする必要はなかったのかも。
──でも。
「おまえは何のために自ら戦いの場に立つ、ヴァイオレット・クインズヴェリ」
先生の問いかけに、私はニッコリと微笑んだ。
淑女らしく小首をかしげ、数メートルの感覚を挟んで対峙する少年を手で指し示す。
「彼を医務室送りにするためです」
スヴェン・マグナスを。
「──はぁ!?」
「っ、ぷく、ぁっはっは…!」
当然驚愕したのは当のスヴェン、こらえきれずに吹き出したのはさっきから先生の隣で口を押さえていたアーサーだ。何がツボだったのか、らしくもなくヒーなんて声あげてるけど、仮にも婚約者の言動を死ぬほど面白がってんじゃないわよ。
医務室送りっていうのは何も文字通りボコボコにしたいとかそういうわけではない。この後本来あるはずだったスヴェンとヒロインの交流イベントを何とか成立させたいってことだ。戦わなくても話くらいすればイベント換算されるでしょ。良心の呵責に耐えかねて身代わりを買って出てしまったが、あまりイベントを起こさずに進めて私にも予期できないルートに入りでもしたら、それこそ私がどんな死に方をするのかわからなくなってしまう。ユグハーの攻略キャラは三人だけではないが、私としては自分が把握できているアーサー、スヴェン、トーマのいずれかのルートに入ってほしいのだ。
「おまっ……上等じゃねえか!」
しかし、私の発言をスヴェンは言葉通りの挑発として受け取ったらしかった。赤い頭から湯気が出そうよ。もっと怒ってこの後うっかりミスでもしてくれたらいいのに。
尚も笑いを堪えるアーサーに釣られたように、「ハッ」とマティルダ先生が吐き捨てるように笑った。
「いいだろう、好戦的な女は好きだ!」
「いやですわ先生、私、穏健派を自負しておりますの」
「どの辺がだよ!?おまえマジで……ホンッット絶対泣かせてやるからな!」
私を指差しながら怒り心頭のスヴェンが叫ぶ。
私なんか泣かせたところで得るものなんか何もないと思うけど。意外とすぐ泣くわよ私は。クローゼットの角に小指ぶつけた時とか。何はともあれ先生からの許可も貰えたことだし、これで私とスヴェンが闘うのは確定だ。闘うって言っても、正直、ぜんぜん勝負にならないとは思うけどね。
カツン、とマティルダ先生が石畳にヒールを打ち付ける。すると、先生の足元から波紋のように魔力の波が広がって、私とスヴェンが立っている石畳が四方十五メートルほどの正方形型に盛り上がった。なるほど、これがステージってわけね。
「双方、魔導装飾を出せ!魔導師同士で合意の上、正式な決闘をする際は、立会人に己の魔導装飾を調べさせる習わしだ」
「立会人は私、アーサー・ルクレティウス・ユグドラシルが、我が王国を見守る大樹ユグドラシルに誓って公平に務めます」
ニコニコと手を挙げるアーサー。観客から黄色い声があがった。
魔導師同士だとそんな手順があるのか。魔導装飾に妙な細工をしてないかとか、そういうのをチェックする意味があるんだろう。アーサーはまずスヴェンのほうへ向かい、彼も首にかけているらしい魔導装飾を簡単に調べた。そうして、特に問題は見当たらなかったのか、すぐに私のほうへやってくる。
近づいてきたアーサーの、女性のように綺麗な手の中へ銀の鎖を落とすと、彼は翠の瞳で真剣にそれを眺めた。
立会人は公平である必要があるから、魔導装飾のチェックの最中に言葉を交わしたりは出来ない。彼が何を考えてるかはいつもよくわからないところがあるが、今回の私の突飛な行動についてはどう考えているのだろう。笑ってくれてはいたけど、とんだ考えなしだと思われただろうか。まさか目立ちたくてこんな真似をしたとアーサーが考えることはないと思うが、意味がわからない行動をしている自覚は自分でもある。私に銀の鎖を返したアーサーは、私の視線に気づくとふっと柔らかく目元を和ませて、何も言わないままマティルダ先生の所へ戻った。
「双方問題はないかと」
「──うむ、それでは殺し合いを始める!」
「もとい授業のデモンストレーション、ですが」
「武器の使用は一種類に限るが、得物を持っているのはマグナスのほうだけか?」
「……エッ武器?」
そんなん聞いてないけど。
先生がそう言って見たスヴェンの手には鞘に納められた長剣がある。普通に気づかなかった。てか、あんなんで切られたら私普通に死ぬんだけど。私物なんだろうけど、私にも誰か長物支給してくれない?されても使いこなせないけどね!
そもそも王宮に出入りし、魔法戦闘の訓練を受けているだろうスヴェンと田舎で必死こいて自分の苦手な魔法を伸ばしていた私ではマトモな闘いになろうはずもない。抜かれる前に眠らせちゃえばワンチャンあるだろうかってくらい。でもなぁ、この大衆の前で大っぴらに闇の魔法なんか使っちゃうと、また後が面倒そうなのよね。スヴェンを呪い殺したなんて思われてパニックにでもなったら……
「ビビってんのか?退くなら今のうちだぞ」
悩む私を挑発するようにスヴェンが笑う。
何なのこのやろー。こちとら退けない事情があるのよ。
「退かないわ。貴方を医務室送りにするまではね!」
「そんなに恨み買うことしたか俺!?アーサーの、……つったことそんな怒ってんのか!?」
「?」
何の話かしら。
▽▽▽
「──開始!!」
マティルダ先生の低い声で号令が響いた瞬間、動いたのはスヴェンが先だった。
彼の持つ鞘に納められたままの長剣から煌々と炎があがる。マグナス家は火の魔法を代々司る家門だ。はっきり言って、氷のクインズヴェリが相手取るにはかなり分が悪い。
「死なせるつもりなんかねーけど、怪我くらいは避けらんねーぞ!」
そう言って踏み込み、運動音痴の私からしたら一瞬のうちに至近距離まで詰め寄ってくる。ちょちょちょ、ちょっと待った!
咄嗟に腕の回りに氷の盾を作り出して、横凪ぎに振られた鞘つきの長剣を防ぐも、炎の剣なんて相性最悪だ。男子が好きそうな魔法トップスリーに入りそうなカッコいい魔法入学前から身につけてんじゃないわよ!
ジュウウウ、と物凄い勢いで私の氷が溶けていく音がする。お兄様やお父様の氷だったらこんな初期レベルの炎で溶けるなんてことは万が一にも無いんでしょうけど、私だからしょうがない。質で敵わないならとにかく量で防ぐしかない。
ガン、ガン、ガン、と作った側から氷が削れて散らばり、あっという間に溶かされて溶けて水に変わっていく。
氷の槍を作ろうにも、ただでさえ氷魔法の生成スピードの遅い私が物理で押されちゃどうしようもなかった。手も足も出ないってこのこと──しかもこいつマジで遠慮なくガンガン来るし!女だからと下手に手加減などされてはそれはそれでムカつくので、男女平等が徹底してる姿にはむしろ好感が持てる、持てるが、しかし、こっ、この野郎!
(んなこと、考えてる、場合じゃない!)
逃げ回りながら、盾とも言えないレベルのただのでかい氷を生成し続けて、瞬時に溶かされながらも何とか攻撃をしのぐ。完全に防戦一方だ。さてさてさて、これは頭使わないと勝てないわよヴァイオレット、いやあれ、勝たなくってもよかったんだっけ!?
「氷ばっか、出してっけど、闇魔法は使わねーのか!?」
スヴェンが剣を振りながら問いかけてくる。当然ながらあっちは余裕綽々って感じねキーッムカつく!
「使ったら一瞬で終わるわよっ!それじゃつまんないでしょ!?」
「へっ、──上等ォ!」
「少年漫画のライバルキャラかあんたは!乙女ゲームに求められるノリじゃないわよそーゆーの!」
「何の話だよ!?」
こっちからするとなんにも上等ではない。
ほんとはさっきから「使わない」とか言ってられなくて、何度も眠らせようとしてる。スヴェンの動きが速すぎて魔法が使えない、眠らせられないってだけだ。魔導師なのにこんだけ動けるってこいつとんでもないぞ。
大体、練習してた時はアルキバは微動だにせず私に魔法かけられるの待っててくれたし、さっきモニカにかけた時だって不意打ちみたいなもんだったし!バタバタ動き回ってる人間を眠らせるのは、魔力を練るという意味でも、実際に眠らせるという意味においても、非常に難しい。こんなところで知りたくなかった。
闇の魔法は、一対一で敵と向かい合う実戦では使いづらすぎる。
「ぅわぷ」
剣を振り抜いた隙を狙い、下からすくいあげるように大量の氷を生成すると、足元をすくわれたスヴェンが足を滑らせてごろごろと転んだ。ちょっと転んだくらいじゃダメージにもならない。ていうか私のほうがもうだいぶ体力的な意味でも、魔力的な意味でもヤバイ。氷魔法は冗談抜きで死ぬほど疲れる。あんまり長々闘えないから、消耗戦なんかやったら、攻撃を食らわずとも失神KO間違いなしって感じだ。
でも。
(──あ)
ひっくり返った少年の履いている靴を見て、ふと思いついた。
これ、これはもしかしたら、使える、かも。
やってみるか?
(──どうせこのままじゃ敗けしかないし!)
……そもそも勝とうと思って挑んだ勝負ではなかった気もするけど、それはそれってことで。
「私に闇の魔法を使わせたいなら、もっと強力な魔法を見せてもらわないと。そんな様子見のチョロ火程度で相手の手の内を探ろうなんて片腹痛いのよ!」
「はぁぁ?さっきから防戦一方のくせに何言ってんだ!」
おっしゃる通りだけど!
焦げ臭い髪をばさりと靡かせ、悪役令嬢っぽく嫌味ったらしい台詞を吐くと、スヴェンは案の定イラッとしたようだった。ついでのように「やーいバーカバーカ!」と舌を出してやると剣の周りに炎が集まっていく。幼稚園児レベルの悪口で煽れるって単純にも程があるでしょう。今は助かるけど。
「てめっ……馬鹿にしやがって!」
来る。
怒ったスヴェンが立ち上がって剣を振る。
炎をまとった剣先から、巨大な火球が飛んでくる。その辺の魔物なら丸焦げにしてしまえるような魔法だ。さすが四大魔法公爵家の次男坊──なんて感心してたらほんとに丸焼きになっちゃうから!
私は地面にひざまずくようにして手をつき、渾身の魔力を込めて人一人覆えるくらいの分厚い氷の壁を作った。造形を気にしたり宙に浮かせるなんて芸当を組み込まなければ、巨大な氷を作り出すくらいのことは、私にも出来る。しゅおおおお、と火球が氷の壁にめり込み、物凄い勢いで溶けた水が石畳のステージに流れ出していく。
水蒸気の煙の影で、赤髪が動くのが一瞬見えて──
そのまま、ツルッ、ドテン!と非常に無様に転んだ。
「~~~~、イっテ……!!」
打ち所が悪かったのか、頭を押さえて震えながらも立ち上がろうとしてまた滑り、カシャン!という音がして、スヴェンが剣を取り落としたことを知る。私はすかさず走り寄って剣を彼の手が届かない所まで蹴り飛ばした。アディオスホームランまた来週。
「あ゛ってめっ、おまえ、何で走れ……!?」
氷が溶けてさんざん巻かれた水が凍結し、ツルツルのスケートリンクのようになった石畳の上、立ち上がれないスヴェンが目を丸くして仁王立ちする私を見上げる。へっへーんだ。
「うちは氷魔法のクインズヴェリよ。氷の上で身体を動かすのは慣れてるわ」
家庭教師のローウェン先生の手で氷づけにされた湖の上、氷の狼から逃げ回った記憶は未だに夢に見る。流石にトリプルアクセルは出来ないけど、氷の上のバランス感覚ならまず負けないわよ。スヴェンは悔しそうな顔をしてたけど、武器を奪われ、立ち上がれないとあっては敗けを認めないわけにもいかなかったらしい。炎を出そうにも、私の手には、彼が動く前に喉元に突き立てられるであろう氷のナイフがある。
「……くそ。参った」
少年は実に悔しそうに、降参の言葉を口にした。
「──そこまで!マグナスから降参の言葉が出たので、勝者はクインズヴェリとする!おまえたち、こちらに来い!」
「あ、はい……」
マティルダ先生の声で、私はようやく周囲に人がいたことを思い出した。
あれだけ私を怪しんでいたのに、何だかんだ興奮した様子で私たちの勝負を見守っていたらしき観客と、あんなに笑ってたのに、どこか安心したように私のほうを見るアーサー。婚約者が丸焼きにならないかは一応心配してくれていたらしい。その隣には、いつから来ていたのか、医務室に行かせたはずのトーマの姿もある。随分青ざめてるけど、本当にどの辺りから見守られていたんだろう。スヴェンにはたんこぶくらい出来ただろうし、何はともあれ無事に終わってよかった。
ひとまずステージから降りようと、私が凍った石畳を滑っていこうとした瞬間──
ガッシリとスヴェンに腕を掴まれた。
ちょちょちょ、転ぶから。
「うわちょっ……何ですか、流石に学校指定の靴だと私も油断したら危ないんですから、声をかけてくださいな」
「散々煽っといて今さら敬語に戻んなくていい、てか、俺が立てないのはおまえの魔法のせいなんだから、俺の剣をだな」
少し離れた所に転がっているスヴェンの長剣。
衆目の前であそこまで滑って転んで難儀しながら取りに行くのは貴族でなくとも嫌だろう。私は腕を掴んだままの彼を見下ろした。
「………取ってきてもいいけど」
「けど?」
「後で絶対医務室行きなさいよ」
あんなに「意味がわからない」って顔されたのは後にも先にも初めてだった。




