第37話 涙の威力
マティルダ先生の猛禽類のような視線が教室中を見渡す。
視線の圧に捕らわれる前に全員がもれなく目を逸らした。もちろん私も例外ではない。大体入学早々殺し合いって何よバトロワじゃないっつーの。
ところが、
「ふむ。良い目をしている」
なんて言いながら、マティルダ先生がカツカツと踵を鳴らしながら私たちの座るほうへ──教室の後ろ側の席へやって来た。おいおいおいおいちょっとこっち来ないでって。
ひえぇ……と思ってたら、マティルダ先生が足を止めたのは私の隣のスヴェンの前。圧にも負けずまっすぐ前を見つめるスヴェンの目が気に入ったらしく、先生の革手袋をした指先がスヴェンの顎を持ち上げる。色気のあるというより、機械を点検するような仕草だと思った。
「なるほど、マグナスの次男坊か。デモンストレーションには丁度いい。おまえがやれ」
「はぁ、構わないスけど……」
構わないのかよ。
殺し合いやれって言われてるのにノリが軽すぎる。「正気か!?」「やはり命知らず……」「スヴェン様素敵!」周囲のモブがやっぱりざわめくけれど、何なのこれは私もざわめいといたほうがいいの?このざわざわはモブには必須な能力なの?息を殺すっていうのはむしろ逆効果なのだろうか。
「す……スヴェン様ガンバッテー」
「おいバカにしてんのか」
喉を整えた上で裏声を出したら嫌そうな顔をされた。
何よ応援のしがいがないわね。つまらない反応しか返ってこなかったので、「ふむ」なんて言いながら、またきょろきょろと教室を見回すマティルダ先生の視界から姿を消すべく存在感を薄くすることに努める。その甲斐あってか、お約束的にそのまま隣の私がスヴェンの相手として指名を受ける……なんてことは流石になかった。いやうん、首の骨が折れそうなくらい目ぇ逸らしてたからね。そりゃもう恥も外聞もなく。
「よし」
頷いた先生が指名したのは、獲物を探す視線から逃れ損ねた哀れな少女である。
「そこのオレンジ髪のおまえ!」
「──ぴっ!?」
「おまえ、あの伝説の光魔法とやらの使い手らしいじゃないか。聖女がどうやって敵を殺すのか私に見せてみろ!」
なんて言いながら、マティルダ先生は震え上がっているようにしか見えない少女を指差す。聖女が敵殺すとかそういう物騒なのマズいんじゃないですかね、とか突っ込むものは教室に一人もいなかった。──どころか、先生が皆の注目の的である“光の聖女”を指名したことで冷えきっていた空気がだんだんと熱を持ってきたまである。みんな、“聖女アルストロメリアの再来”なんて噂されるヒロインの魔法に興味津々だったのだ。
「おぉ……」
これは実にわかりやすいヒロインと攻略対象の絡みだ。
ヒロインとスヴェンの魔法での戦闘、昨日確認したノートに、そういえばそんなイベントもあったような。元が乙女ゲームだから戦闘の内容とかそういうのは詳しく出てこないのよね。展開的には、確かヒロインが軽い怪我をしてしまって、それでスヴェンが医務室に彼女を連れていって仲良くなる……みたいな、そんな流れだった気がする。
「それでは諸君!!選手は出揃った!!皆待ち望んだ血で血を洗う戦いの時間だ!!」
「デモンストレーションを担当してくれる生徒2名を指名したので、皆さんグラウンドのほうに移動しましょう」
癖なのか何なのか、先生がまたガツン、と踵を床に打ち付けて、アーサーがにっこりと笑う。床から煙上がってるけど、先生の脚力云々はともかく、あれに耐えられるヒールって何なんだろう。
「踵部分の素材は何を使ってるのかしら……」
「ヴァイオレット、移動だって」
じっ……と先生の足元を見つめて考え込む私の肩を、トーマがそっと揺らした。
いやわかってる、わかってるわ。ただ皆が動くのに合わせて動くと面倒なのよ視線とかいろいろ。人の波が少なくなってからの移動でも別に構わないでしょう。
席を立ったスヴェンが、私を見下ろしながら言う。
「おまえ色々と生意気だからな。俺の強さ、見せてやるからしっかり見とけよ」
「なぁぁぁにが生意気よそういうのイマドキ流行んないのよ令和の男になってから出直してきなさい」
「れ……?さっきからちょいちょい意味わかんないこと言うの何なんだよ!」
「もういいですから行ってくださいな。アーサーの婚約者だからと私に構って頂かなくて結構ですわ」
「おっまえ……!」
フッ、と鼻で笑うとスヴェンがギリギリと歯軋りしながら「フン!」と背を向けて去っていく。よし遠ざけた。……いやでも反感を買ってるんだからこれは悪手なのだろうか?あとでアーサーを通してちょっと印象を回復させておく必要があるか。いやむしろこれでもう二度と関わりたくないと思ってくれれば──ううむ。相手から見て“どうでもいい”ポジションに落ち着ければそれがベストだと思うのに、どうにも匙加減が難しい。ゲームみたいに選択肢が出るわけでもなければ好感度が見えるわけでもないので。
オタクゲーマーとして言わせてもらうなら、生きた人間を相手にするって疲れるわ、ほんと。
「ヴァイオレットが」
「うん?」
「ヴァイオレットが露骨に悪態つくの、珍しい」
隣に座っていたトーマが私を覗きこむ。
「ああいう、裏表がないというか、媚びないタイプの人間はむしろ好きかと思ってた」
「マグナス卿のこと?えぇ、別に嫌いじゃないわよ」
別に嫌いじゃない。むしろ好きだ。お気に入りのゲームの登場キャラクターだったのだから当然だろう。ただ今はこの私がヴァイオレット・クインズヴェリである以上、彼には関わりたくないというだけなのだ。
下手に仲良くなってイベントに絡むことになっては困るし、かといって嫌われルート一直線ではそれはそれで死亡率が高くなる危険性があるし。
「でもあの人ってほら、目立つじゃない?」
「ヴァイオレットも大概だと……」
「悪目立ちって言うのよ、私のは。ただでさえ悪目立ちしてる私とあんな目立つ人が交流を持ったらとんだリオのカーニバルよ」
「例えがよくわからない」
「お祭り騒ぎしてるのと一緒ってこと」
アーサーが普段、私に必要以上に構ってこないのは、もちろん彼本人が忙しいこともあるけど、私がこれ以上生徒の関心を得るのを防ぐため。嫌悪や恐怖にくわえてやっかみや嫉妬まで上乗せされたらたまったもんじゃない、という私の気持ちを考えて、環境に配慮してくれているのだ。必要以上に私に近寄らないよう、二年の先輩たちに根回ししてくれたことは知っている。
(……そういう心遣いは本当にありがたいと思うけど)
アーサーはたぶん、私に好意があるとかそういうわけではなく、私を──言うなれば、彼の“味方”にしようと目論んでいるのだと思う。もちろん友人だというのに嘘はないと思うが、王族である彼にとってそのラインをはっきりさせておくことは非常に大切なことなのだ、たぶん。敵か味方か。自分にとって、自分の大切なものにとって有益なものか、不都合な、害をなすものか。“ヴァイオレット”は彼とヒロインにとって敵だと判断されたから、その命を見限られた。それなら今ここにいる私は、彼に後者だと判断されないよう上手くやるだけだ。
──スヴェンも、もしかしたら、魔力石のときのゴタゴタを気にして私に声をかけてくれたのかもしれないけど。
私はとにかく無事にこの学園生活を終えたい。
「そしてフラグと無縁の田舎でのんびり暮らしたい……!」
「田舎……?」
ぐ、と拳を握る私に首を捻るトーマが、「ヴァイオレット、そろそろ」と私に席を立つよう促す。
ふと気づくと、教室に残っている人はもう誰もいなかった。いけない、遅れすぎたらそれはそれで目立ってしまう。下手に全校生徒に存在を認識されているせいで忘れられるでもないというのが非常に面倒なところだ。一人だけいないのをどっかで誰かに呪いでもかけてるんじゃないかとか勘繰られても困るし。
ところが、トーマを伴って外に出たところで、教室の出入り口のすぐそばにいた人物と軽くぶつかってしまった。ドアの外側、影に立ってたからわからなかった。
「っ、申し訳ありませ……」
咄嗟に謝ろうとして──
固まる。
いや、もう、冗談でなく時間が止まったのかと思った。
目に涙をいっぱいに溜めた美少女が、ぶつかってきた私を、驚いた顔で見つめている。
私の闇を思わせるそれとは正反対の──肩で切り揃えられた、暖かい日差しを連想させるような、オレンジ色の髪。同じく暖かい色をした瞳は、今は大粒の涙で潤みきっている。
乙女ゲームなら専用スチルで登場、少女漫画ならコマぶち抜きで間違いなし。
ヒロインこと聖女様である。
「もっ……」
“ヒュッ”て喉が変な音した。
心臓が口から飛び出てグラウンド一周して帰ってくるかと。
「申し訳ありません!お怪我を?」
「いっ、いえ…違うんです、これは」
違うって。じゃあ何で泣いてんのこの子。
私が余りにも強肩だったから肩が外れたとかそういうことじゃないの。ていうか親衛隊はどうしたのとかそもそも何でこんなとこに突っ立ってんのとか──諸々、マジで、勘弁してほしい。
「しんえ……他の生徒の皆さんは?」
「み、皆さんには、どうか先に行ってくださいとお願いして……」
それで一人なぜこんなところに突っ立って泣いているのだ。
さっぱりわからないが、これを放置して行くのも、何とも……それはそれで死亡フラグって感じがする。バッドルート一直線って感じ?大体こんな顔がい……もといかわいい女の子が泣いてるのは、何というか、心情的にもなんか、ねぇ。オタクが全てそうだとは言わないが、正直に言って二次元オタクとしての私は面食いなのである。男女問わず。
私が立ち去るに立ち去れないでいると、ヒロインは健気にも手の甲で涙を拭いながら、ぽつぽつと喋りだした。
「私、恐くて……」
「え」
「ま、魔法なんて、本当に大したものは使えないし、それなのに、皆、私は聖女の生まれ変わりだとか、凄い魔法が使えるに違いないとか、期待されて……」
「…………」
「魔法を使って、た、闘うなんて、したことないのに、四大魔法公爵家の方と殺し合いをしろだなんて……!」
「いや、その辺はたぶん言葉の通りに捉えなくていいと思うわ」
ガチの殺し合いだったら色々問題あるでしょ。
しかし、彼女がそう思うのも当然と言えば当然の話だった。
貴族出身の生徒のようにろくに魔法教育も受けていない平民の娘が、エリートばかりの学園に来て、最初の授業でいきなり魔法で闘えなんて、無理ゲーにもほどがある。少なくとも私ならコントローラ投げる。
しかもこの、ヒロインに過度の期待がかかってしまってる感じ。その辺私にも責任がないとも言い切れないので、何か、すごく罪悪感があるというか、持ち上げられていることがわかっているから、わざわざこうして残って、一人になってから涙を溢してるあたり、まことにヒロイン力が高いというか。な、なんか、色々と刺さる。ちくちくと。こう。しかもこの後、軽いものとはいえ、彼女が怪我をしてしまうのも私は知っている。
いかん、普通に不憫だし、罪悪感で死にそうだ。
せめてもの慰めにと思い、黙ってハンカチを差し出すと──
ヒロインの少女は驚いたように私の差し出したハンカチを見た。
いいんですか?とでも言いたげな、ハンカチと私を見る視線に黙ってこっくりと頷く。武士の情けである。少女は白い指先で私の手からハンカチを受け取ると、そっと涙で赤らんだ目元を拭い、そうして、ニコリ、と私に向かって、可憐な、儚い笑顔で微笑みかけた。
「……お優しいんですね」
なんて、そんな風に言われてしまったら。
──グラウンドにて。
周囲のざわつきが聞こえる。
怪訝そうなマティルダ先生の横で、アーサーが何故か愉快そうに笑っている。
数メートル先で向かい合ったスヴェンが、驚いた顔でこちらを見ている。
「……何でおまえが俺の相手に立候補してんの?」
私はその質問にはすぐに答えず、衣服の下に隠していたブラックオニキスの魔道装飾を引っ張りだした。ええいもう知らん。どうにでもなれ。
悪役令嬢さながらに闇色の髪を手で払ってなびかせ、石畳にブーツの踵を打ち付けると、カン、と高い音がする。何でも何も。
「──ちょうどお祭り騒ぎしたい気分だったのよ!」




