第36話 授業開始
履修登録期間も終わり、いよいよマギカメイアで授業がスタートすることになった。
相変わらず私が廊下を歩けば道行く学生がモーセを前にした海のごとく割れるのも、教室に入ればざわつきが静まり返るのももうすっかり慣れたものである。これはこれで歩きやすいし、何なら席が広く使えるので何の問題もない。
(教室の隅。モブキャラとしては最高の席ね)
モブとは言えないくらい視線を集めちゃってるのはもう仕方ないかな。側にいるトーマも無駄に周囲を威嚇したりはしなくなったことだし。
そして、もう一つ。
むしろ私が有象無象よりも警戒しなくてはならない、あの聖女こと『ユグハー』のヒロインは、向こうは向こうで中々面倒なことになっているようだった。
前の方の席に座った少女の明るいオレンジ色の髪が、人混みの中にちらりと見える。私が闇魔法の使い手であるということがバレたのと同時に、まだ一人も味方のいない状態で伝説の光魔法の使い手であることが全校生徒に知れてしまったヒロイン。どうにもあっちはあっちで、私とは対照的に、男女問わず色んな人間に囲まれることになったらしい。親衛隊みたいなものも既に出来ていると風の噂に聞いた。私からすると親衛隊(笑)って感じだけど、まぁかわいいし聖女だし話題性抜群だし、貴族としては仲良くなっておいて損はないわよね。
それにしたって、あんなに沢山の人に囲まれたら死ぬほど気疲れしそうだけど……と思って何となく見ていると、周囲の人間に口々に話しかけられ、曖昧に笑みを返していた少女が、チラリとこちらを見た。いけね、見すぎたかしら。
「ヤバ」
「ヴァイオレット?」
隣にいるトーマが首を捻る。
偶然かどうかわからないが、余りにもばっちり目が合ってしまったので、こっちはこっちでニコリと笑っておく。笑顔っていうのは便利だ。顔の筋肉を動かすだけで表面的には相手に敵意がないことを伝えられる。
そのまま、不自然でない程度に目をそらそうと……そらしたはずなのに何故だろう。ヒロインの方から引き続きビッシバシに視線を感じる。いたいいたい眩しい。キラキラしてるわ何なのあの子。悪役令嬢を浄化しようってか。しかし、よくわからない感情の込められたその眼差しは、彼女を囲む生徒たちに遮られて、すぐに私のところまで届かなくなってしまった。
ふぅ、と内心で少し胸を撫で下ろす。
悪役令嬢にガンつけられたとか思われてないといいけど。というかむしろガンつけてきたのはあっちのほうでは?
魔力石のときのいざこざからもう一週間は経ってるから、流石に今さら声なんかかけてこないだろう。このまま私の存在は記憶の隅に追いやってほしいものだ。
その時、どん、と長机に振動が伝わってきて──ふと見ると、いつか見た赤髪が、私のすぐ隣に鞄を置いて席をとっていた。
「あ」
「ん?……げ」
人の顔を見て「げ」とは失礼な。
「ごきげんよう、マグナス卿」
まったく顔が忙しい。
こちらにもニコリと微笑みかけると、スヴェンは愛想笑いのあの字もない顔で私を見下ろした。老若男女問わずたぶらかせとは言わないけど、少しはアーサーを見習ってほしい。
「クインズヴェリの……」
「覚えておいて頂けて嬉しく思いますわ」
「ヴァイオレット」
私の隣にいたトーマが席を立って、無表情のままスヴェンの前に出る。ソフィアの従者教育はだいぶ過激というか、主人への侮辱は己への侮辱と思いなさい、という大変に古式ゆかしい感じなので、トーマは結構センシティブすぎるところがある。「処す?」って背中で語らないで。まだ何もしてないわこの人。隣に座っただけよ。
「何だおまえ、召使いを授業に連れてきてんのか?魔法の授業なんて聞いてもわからないんだから、部屋の掃除でもさせときゃいいのに」
しかし大物というか図太いというか、スヴェンはトーマの喧嘩腰の視線などものともせずにそのままその席に座った。周囲が若干ざわつく気配がする。「あの女の隣に座ったぞ!?」「さすが四大魔法公爵家の嫡男、肝が座っている」「あぁ、わ、私、あの、私も隣に……動けない……」……最後の女の子の声は何か助けを求めてるような感じだったけど何なのかしら。
しかしこのスヴェンという少年。周りの目など気にしないというならそれはそれで結構だが、私としては死亡フラグその3とあまり交流が生まれるのは困る。というかヒロインのところに行きなさいよ攻略対象なら。喧嘩した奴が実は転校生で隣の席にみたいなベタな少女漫画展開は望んでないのよこちとら。朝ごはんは部屋で食べるからトーストくわえて走ったりしないわよ私。
「……トーマは召使いというより従者兼ボディーガードですの」
「あぁ、おまえ、色々噂されてるもんな。女一人だと確かに危ないかも」
「ご心配頂き光栄ですわ。トーマ、構わないから座って」
それにしても本当に興味なさげだなコイツ。
アーサーみたいに何か裏で考えていそうなわけでも、いわゆる「面白い女だな」的興味を私に対して持っているわけでもないらしい。それなら別の席に座ればいいのに……と思ったけど、ヒロインを囲む人間のせいでわいわいがやがやうるさい前のほうに行きたくない気持ちはわかるので、何とも。
トーマの裾を引っ張ると、彼は渋々、という感じでスヴェンが座るのと反対側の席に座った。死という概念二つに挟まれている。助けてほしい。
やがて、ガラリと音をたてて教室のドアが開いた。
入ってきたのは長い黒髪の女性の先生と──そして何故か、私の婚約者兼友人の彼だ。
「アーサー?」
思わず名前を呟いてしまった。
そういえば教室に姿がなかったけれど、教授に手伝いでも頼まれてたんだろうか。王族だから仕方ないけど他の生徒との扱いの差が露骨すぎやしないか。
私が驚いた雰囲気を感じ取ってか、スヴェンが頬杖をつきながら口を開く。
「ここは王立の学園だから、あいつは生徒であって運営者。その上、王族の中でも別格っつっていい魔法技術の持ち主だから、教授連中にかわいがられてんだよ」
「なるほど、たらしスキルはここでも健在なのね……」
「は?た?」
「何でもございませんわ」
親友からの解説ドーモ。
「──諸君!!」
カツン、というよりガツン、と踵の高い靴のヒール部分を床に打ち付けて、切れ長の目にキツい顔立ちをした女性の先生が、ビリビリと肌が震えるくらいの声量で怒鳴る。
「魔導師たる君達の職務は戦闘だ!!」
「えー、その他、魔法医療、研究職、危険魔法生物の養育や栽培なども選択できます」
「己の魔法を磨き、己が大切なものを守るために戦え!!気にくわないものは殺せ!!」
「私たち貴族の魔法の力は、多くの国民のそれより本当に強い。必要以上に相手を傷つけないよう、魔法の力の制御を学ぶことも我々の務めです。ここにいる皆さんは皆、マギカメイアに選ばれた才能ある生徒ですから、一緒に頑張りましょう」
「長いぞアーサー!!」
「すみません、レディ」
何なんだろう。
アーサーは終始にこやかだけど、黒髪の女性の方の好戦っぷりが半端ない。というか何、アーサーはあの人が伝えられなかった行間を埋めるために連れられてるの?ほぼ全部行間じゃない。生徒も全員どことなくビビってる雰囲気がある。
ゲームやってた時は授業の様子なんてスキップされて描写されなかったけど、ソーン先生といい、魔法学園の教授って変な人ばっかりなのかしら。
「私の授業は“魔法による武力行使!戦闘!相手をぶちのめす魔法スキルの向上!!”」
「………………」
アーサーが埋めないってことは言葉の通りなのね。
「いいかおまえら!!私は基本実践でしか物を教えない!!まず始めにだが──おまえたちの中から二人人間を選んで殺し合いをしてもらう!!」
「えー、あまり口頭で長々と説明すると眠気を誘発するおそれもあるので、まずは身体を動かしてみましょう。ちょっと試しに生徒同士で魔法の撃ち合いでもしてみますか」
「確実に仕留めろ!!」
「何かあっても私が止めますとのことです」
ほんとかよ。
たぶん教室の半数が同じことを思ったと思われる。
ギラギラとした女性の赤い目が教室を見渡す。
まるで獲物を狙う捕食者の瞳だ。
「申し遅れたが──私はマティルダ・モード!!おまえたちをこの二年でぶち殺す高レベル魔法戦闘技術の指導者である!!」
「マティルダ先生は元軍人で……」
「さぁ、最初に死ぬのは誰だ!!?」
もはやアーサーの力でもカバーしきれなくなってるわよ。
「……もしかしてこの学園そのものが死亡フラグだったりするのかしら」
「は?し?何て?」
ハッと今更過ぎる事実に気づいた私に、頬杖をついたままだったスヴェンが怪訝な顔をした。




