第31話 現状維持
むぅん。
魔力の属性検査のあと、生徒は全員講堂に集められた。
しかしながら私の周囲半径一メートルには実にわかりやすく空白の円が出来ている。人が近寄ってこないのはいいけど、め、目立つゥ~。
王族として壇上に上がったアーサーも一瞬こっち見てきょとんとしてたわよ。流石というか何というか、すぐに気を取り直して立派に代表の挨拶を務めてはいたけれど。
「闇の……」
「ウソ、クインズヴェリ家と言えばユグドラシル王国を支える名家だと」
「アーサー王子の婚約者様が…?本当なの?」
ヒソヒソこそこそと、聞こえてくる四方八方からの私に関する噂話。直接被害があるわけじゃないが、動物園のパンダのような見世物状態が居心地がいいはずもない。声のした方をじろっと軽く睨んでやったら「ヒッ!」と怯んだ声がして少しざわつきが大人しくなった。大方呪いでもかけられるんじゃないかとビビっているんだろう。
「ヴァイオレット」
トーマが気遣わしげな視線を送ってくる。
そういえば、私にとっては慣れ親しんだ視線だけれど、彼にとっては針のむしろなのではないだろうか。私の従者としてマギカメイアに来たばっかりに従者人生もハードモードにしてしまって申し訳ない。もうこうなったら早いとこ自分の部屋に急ぐっきゃないわね。
式典が終わってすぐ出口へ急ぐと、面白いほどさーっと人垣が割れた。モーセか私は?
「…ヴァイオレット、大丈夫?」
「珍獣扱いに傷ついているかという質問なら全く問題ないわよ」
廊下を歩きながらトーマの問いに応える。
嫌悪の言葉も恐怖の視線も大したことはない、家にいた頃のそれがここでもついて回ることになったというだけの話だ。ヒロインにせよ攻略対象にせよ周りの人間にせよ、向こうが怯えて距離をとってくれるというならこちらとしてはむしろ助かる。
私を見て驚いていたヒロインは呆然としている間にマギカメイアの教職員に連れていかれてしまった。世にも珍しい光属性の魔力を持っている聖女様、ということで色々確認されているのだろう。出自とか境遇とか、卒業後のこととか。本当ならアーサーや他の攻略キャラと絆を深めてから起こるイベントなのに、前倒しにさせてしまって申し訳ない。
あの子が何故私に声をかけようとしたかは──
(……たぶん、スヴェンに絡まれてるところに割って入ったことについてお礼を言いたかったとか、そんなところでしょうね)
普通に考えれば。
かっこつけるわけではないが、別に礼を言われたくてやったわけではないので気にしないでほしい。ムカついて喧嘩売りに行ったただけだし。そういう意味では“私の態度がムカつく”というスヴェンの言い分は全面的に正しかったのだ。お互いがお互いにムカついたっていう……あれっ何これ子どもの喧嘩?
まぁ彼についてはもう(どうでも)いい。終わったことだ。
それより、私の闇の魔力を恐れてヒロインが今後一切私に近づかないようになってくれれば万々歳だけれど、果たしてそう上手く行くかどうか。肝心の魔法の勉強もあるし、根本的に周りの人間の視線なんて気にしてる暇は……
「…ヴァイオレット」
「うん?」
「……闇の魔法のこと、アーサーには……」
気遣わしげなトーマの台詞。
「あ」
そういえばその問題もあった。
▽▽▽
「まさかあんなに誰も聞いてくれないとは思わなかったよ」
ちゃんと真面目に考えたのになぁ、なんて、へらへら笑いながらアーサーが部屋を訪ねてきたのはそれから間もなくだった。
彼の言うとおり、仮にも王族の入学挨拶にあぁも全員が気もそぞろだった入学式は他にあるまい。全面的に申し訳ないと思う。
……しかし。
「…貴方何しに来たの?」
「何って、僕の婚約者の制服姿を見に」
ほんまかいな。
いやわかってるわよまた適当なこと言ってるのよね。のほほんとした顔で笑う彼には裏があるようには見えないが。
だが、いくらアーサーがいつも通りの笑顔を浮かべていたとしても、私が属性検査で闇の魔力を発動したのはもはや学園中の生徒教員の知るところ。あの場にいなかったからと言って耳に入っていないわけがなかった。
トーマが心配していたのはこの事だ。
アーサーの婚約は、氷の魔法を司るクインズヴェリ家、その娘であるヴァイオレット・クインズヴェリと結ばれたものである。魔法の属性を偽り結ばれた婚姻など、成立していいはずがない。彼との婚約の解消を望む私がその事実を利用しなかったのは、偏に父からのプレッシャーがあったから。父の意に反しクインズヴェリ家の名誉を汚すことは、父の庇護下で暮らしている以上、そのまま私の命の危険に繋がるからだ。
……だから私としては、婚約の解消は、アーサーがヒロインを好きになってから、向こうが原因になる形でしてもらうのが一番よかったんだけど。
何だろう、この……まるで離婚を企みながら相手がボロを出すのを待ってるような……いや違うけど。根本的に違うけどね!?
しかし私が何を企んでいたとしても、もうどうしようもない。先ほどアーサーが部屋を訪れた時に腹をくくった。
どうせマギカメイアに在学している限りは、私が望まなければ実家との関わりを一切持たずにすむ。卒業と同時に姿をくらましてしまえば、私が学校でどんな噂をされようがどんな目で見られようが、実家の親族一同がそれでどんな被害を被ろうが──
(知ったこっちゃないわ!!)
知ったこっちゃないのである。
大事なことなので二回言いました。えぇ知ったこっちゃないわよあんな地獄みたいな空気の実家なんて。
……だから、婚約を解消するならするで、さっさと言ってくれたらいいのに。そしたら私も謝って承諾するのに。
罪に問われることになったら面倒だけど、アーサーは私が父に逆らえないこと──私の家事情を知っててそんなことする人じゃない。って、これはだいぶ甘えた考えになるのだろうか。何だかんだもう長年の付き合いなんだから許してほしいわ。
(……なのに)
それなのに、訪ねてきてから一向にアーサーの口から婚約の話が出ない。この少年は何を呑気な顔で人の部屋の椅子に座っているのだろうか。何しに来たのよホントに。
おかげで部屋の片付けが一向に進まない。婚約の話だろうと思って部屋に追い返したトーマに申し訳ない気がしてくる。すごい心配そうだったものね。私が傷つくことを心配してくれているのだろうが、婚約解消はむしろ望むところなので問題はない。この王子様が何考えてるのか読めなくてちょっと怖いだけで。
──それとも、これはもしかすると、私のほうから言い出せということなのだろうか?
ふと思い付いて顎に手をやる。
非があるのは全面的に彼を騙していた私のほう──というかクインズヴェリ家なので、それはそれで尤もな話である。
だとしたらこれ、アーサーにぶん投げてる私が単純に空気が読めてないだけなのでは。それはまた申し訳ないことを。さっきからいろんな方面に申し訳なくなってばかりだが、こればかりは立場上、生まれてこのかた自分に自分の身柄の権限がある機会が少なかった、という多少言い訳染みた言い分がある。
「……あの、アーサー?」
「うん?」
手に持っていた本を棚に収め、珍しく少し行儀の悪い──背もたれを前にした座り方で椅子に座り、私を眺めていたアーサーを振り返る。思いの外優しい声音が返ってきて戸惑うが、このままだとらちが明かないので。
「その、たぶんもう聞いてると思うんだけど」
「君がスヴェンと喧嘩したって話?」
あ、それも耳に入ってるのね。
というか入らないはずがないか。二人は友人同士だ。
「少し自分勝手なところもあるけど、素直で裏表がない気持ちのいい男だよ。僕の友人だから、まぁ仲良く出来なくてもそう嫌わないでくれると嬉しいな」
「別に嫌ってなんかないわ。自分勝手はお互い様だし、悪い人じゃなかったもの」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。口が悪くて誤解を受けやすい奴だから」
ニコニコと笑うアーサーは実に楽しそうにスヴェンのことを口にする。ゲームで知ってはいるけれど、この様子を見るに、本当に仲の良い友人らしい。
ってそうじゃなくて。アーサーに親友がいるのはいいことだけど、今はそうじゃなくて。
「あー…あの人のことは別に本題じゃなくて」
「新入生に光の聖女がいたって話? 確かにまぁ、もし本物ならユグドラシル王家にとっては一大事だね」
「あー…えっと」
「あ、立場上彼女と二人きりで話をすることもあると思うけど、僕は浮気性ではないから、心配することはないと思うよ」
「一体何の話をしてるの?」
いや真面目に、一体何の話をしてるのだろうこの人は。
何故アーサーが浮気性かどうかの話になるのかもわからないし、ていうか攻略対象とヒロインがいい雰囲気になるのはむしろ自然の摂理みたいなもんだから別に……
っていやそうでもなくて、これもうわざと話を逸らされてないか?なんかそんな気がしてきた。さっきから何か白々しいもの笑顔とか何かその他の雰囲気全てが。
秘密を知られた私が話を逸らすならともかく、何故アーサーがそんなことをするのだろう。
「アーサー」
これ以上の遊びは不要だろう。
真意を探るべく、じとっ、と睨むような目で見ると──アーサーは困ったような笑みを浮かべて、私のほうに歩み寄ってきた。
机に積み上がった私の本を、「ここでいい?」と訊ねながら、棚の高い位置に収めてくれる。
「ごめんヴァイオレット」
「別に謝ること…」
「魔力のことは知ってたんだ」
──……うん?
知ってた?
知ってたって何を?
私の魔力。私の闇の魔力属性のことを?アーサーが?
「マジでか」
「うん」
つい素で品のないリアクションをしてしまったが、アーサーはそれを私の動揺と捉えたのか、特にツッコんでこなかった。
えっでも、知ってたって、いつから。
「七年前、僕を助けてくれた時、君は不思議な魔法を使ってた」
「…………あー」
「目に見えるエフェクトがないのに、人体に影響を与える魔法っていうのは、そんなに数がないからね」
「…………あー」
あったなぁそんなこと。
馬車の中で縛られた彼を救うため、こむら返りの呪いを咄嗟に放った時のことを思い出す。ありましたね。
しかしそれなら、アーサーは私がそういう──立場の悪い、被差別的な存在であると知っていて婚約を続けてくれていたことになるが。これを機に婚約解消してしまおうと思ったりしなかったんだろうか。どちらが私に都合がいいとか悪いとかではなく、これはもう、純粋な疑問として。
闇の魔力というのは、相手が友達だからとか、そういう理由で無視できるような素養ではない。
私を遠ざける人間が皆悪人だったわけじゃない。考えてもみてほしい。たった一度口喧嘩をした相手に一族郎党呪い殺されたらどんな気持ちがするか。私は人を殺す呪いなんか知らないけれど、この国の人々が考える闇の魔法とはそういうものだ。
「……別にこの事で貴方に婚約を解消されたからって、傷ついたりしないわ、私」
女々しくすがりつくと思われているなら心外だった。
アーサーには知るよしもないが、私は私の力で生きていく算段をつけるために此処に来た。友情はありがたいが、変な同情は求めていない。というか、死亡フラグを避け、将来自立して生きていくという夢のためにはいっそここで婚約解消してもらったほうがいいまである。ただそれは──立場的にも身分的にも、私のほうから申し出られることではないというだけで。
アーサーはちょっと瞬きをして私を見つめると、何だか、困ったことを言う可愛い何かを見るような、不思議な顔で微笑んだ。
「僕はこの件で君と何か……関係を解消する気はないよ。知ってたことだしね」
棚に本を収め終わったアーサーが言う。
どうもこれが今回の暴露に関する彼の結論のようだった。彼がそう言うなら、私にはもう何も言うことは出来ない。やはり本格的な婚約解消は、アーサーとヒロインの仲が深まってからでないと難しいのだろうか。
「……いや?」
私があまりにも納得の行かない顔をしていたのか、アーサーが私を覗きこむようにして首をかしげる。嫌も何も。貴方にそう仰られては私に拒否権はないのですが。
きらきらとエメラルドのような翠の瞳が私を優しく覗きこんでいる。いたずらっぽいのに、どこか私を気遣う瞳だ。
「嫌というか……」
何とも奇特というか、不思議な王子様だとは思う。
というか、別に婚約を解消する気がないんなら──
「でもそしたら、何でこんないの一番に来たの?」
式が終わってすぐ来たから、てっきり一刻も早くその話をしたがっているものとばかり。
そう思って見上げたら、アーサーはちょっと驚いて、「さっき言ったじゃんか」と言うと、とびっきり綺麗な顔で笑った。
「ヴァイオレットの制服姿が見たかったんだ」
ぶわっと現れた薔薇を背景に微笑まれて、歪みのなさにぐうの音も出なくなってしまった。いや……君……ご機嫌MAXか?
──アーサーの婚約者そのものは別に嫌ではない、嫌ではないけど。
「思った通りすごくかわいい」
「あー……ありがとう」
「ね、君から見て僕はどう?」
「……あぁうん、貴方も素敵よ……」
背中がむず痒くなるこの感じは、正直ちょっと苦手だわ。
 




