第28話 空駆ける鯨
マギカメイア入学。
それはこのユグドラシル王国で一年に一度行われ、高度な魔法の素養を持つものを対象にした、最も大きなイベントとも呼べる催しである。
この国全ての魔導師、魔法騎士、魔法学者を志す十五歳になった貴族……また少数の庶民の出の若者達が、王都の中心にあるエル・ユグドラシル城を目指すのだ。
何故ならマギカメイアの学舎は、一年に一度、大樹ユグドラシルに魔力補給にやってくる“船”の上にあるのだから。
「……凄い人だかり、ですね」
窓の外を見ながらトーマが呟いた。
王宮の外に集まっている人々は、そのほとんどが地方貴族の子息子女である。もちろん皆優れた魔法の使い手で、体の何処かには魔導装飾を身に着け、懐にはマギカメイア入学の許可証を忍ばせているはずだった。
「もうそろそろ時間だものね。ねぇこれ私大丈夫? 白とか滅多に着ないから何か変な感じだわ」
「よくお似合いです。……とても」
「ええ、素敵ですわお姉様!」
制服の着こなしが気になって訊ねると、トーマとマリアベルがかなり甘めの採点でベタ褒めしてくれた。
マギカメイアの制服は、どちらも白を基調とした、膝下程の長さのスカートと、現代日本でいうブレザーによく似たシングルタイプのジャケットである。
ブレザーって元々イギリスが発祥なんだっけ?トーマの服装を見るに、男子はスカートがズボンになっているらしいが、従者である彼の制服には校章である鯨のエンブレムの刺繍がない。
胸元のスカーフだけは特に指定がなかったから、菫色のものを適当に巻いている。トーマにはマリアベルが用意してくれた黒いリボンを結んでもらった。思った通り、彼の耳や尻尾の毛色によく映える。
「ふふ、お兄様より先にお姉様の制服姿が見られたのは役得ですね」
「別に後でも先でも変わらないんじゃないの?」
「気持ちの問題ですわ」
マリアベルが肩を竦めて笑う様はアーサーにそっくりだが、そのアーサーは今年入学する王族として挨拶の準備をしなくてはならないとかで、私達より早く入学式場に向かってしまった。
「一緒に行けないのは残念だけど、壇上の僕を見ててね」なんて冗談めかして爽やかに笑った顔を思い出す。アーサーは飄々としてるし、何でも器用にこなしてるイメージだけど、王族ってあれもこれもやらなくちゃで本当に大変よね。
「お姉様には専用の天馬の用意がありますから、トーマさんとご一緒にそちらにお乗りください」
「色々とありがとう、マリー。一年もの間、貴方に会えないことを考えたらアーサーは気が狂うでしょうね」
これから、“船”の上にある学舎で生活する私達は、“船”が再び王都に戻ってくるまでの丸一年の間、下界に下りてくることはほとんどない。
一応、王都学舎と呼ばれる“船”の上の学舎と繋がっている別館が王都にあるにはあるから、手紙や郵送物のやり取りは出来るけれど、しばらくはかなり閉じられた世界で魔法を学ぶだけの生活を送ることになる。余計なものに煩わされないという意味では学生にとって願ったり叶ったりの環境だ。
マリアベルと別れの挨拶をして、ダーイン宮の広場に向かうと、そこには馬車に繋がれた二頭の天馬が御者と一緒に待っていた。
馬の体に鳥の翼が生えた、いわゆるペガサスと呼ばれるファンタジーものド定番の生き物。飼うのに偉く手間がかかるとかで、貴族であっても専用の施設で飼育されているのを借りてくるのが一般的な、お金のかかる生き物である。私は見るの初めてだけど、こういうのって未だにテンション上がるわ。ちょっと触っていい?
御者と本人(本馬?)にお許しを得て、軽く首に触れさせてもらいながら待っていると、不意に太陽が陰った。
「ヴァイオレット様、あれを!」
隣にいるトーマが叫んで空を指す。
つられて上を見上げて、私は息を飲んだ。勿論ゲームで知ってはいたのだが――リアルで見ると、それはやっぱり、驚くべき光景だったから。
巨大な鯨が、エル・ユグドラシル城の上に影を落としている。
妖精や魔物の一種なのか、はたまた神仏の類いなのか──“ナグルファル”という古い船の名で呼ばれる、空を泳ぐ大鯨。
マギカメイアはずっと昔、魔法の祖と呼ばれる人達によって、この天空を回遊する鯨の背に建設されたのだという。
私達、そして王都に暮らす全ての生き物が見守る中、鯨は低い音と共に、大樹ユグドラシルの広がった枝葉の上に覆い被さるように軟着陸する。
あんな大きな鯨が伸しかかったら枝の一本や二本へし折れてしまいそうだが、大樹はほんの僅か揺れたような気配がしただけで、悠然とした佇まいを崩すことはなかった。あの重量を平然と支えることが出来ているのは、この国の象徴である大樹ユグドラシルが私達に想像できる普通の植物とは違う、魔法植物だからだろう。
魔法は想像力、というアルキバの言葉を思い出す。
こうして超然たる不思議を目の当たりにしてしまうと、私達に使える魔法などほんの一部に過ぎないことを思い知らされる。人智を越えた──私達人間の陳腐な想像力など軽く凌駕してしまう魔法が、この世界にはたくさんあるのだ。
「凄いわ……」
しばらくポカンと口を開けて空を見上げ続けて、ようやく出てきた言葉は「凄い」の一言だけだった。
王都で育ったはずのトーマも、これだけ近くで“船”を見るのは初めてなのか、そのスケールに圧倒されているようだ。
本で読んだ時はこんな巨大なものが近づいてくるのに気づかないなんて信じられなかったけれど、本当に真上に来るまで全然気づかなかった。
いわく、あの“船”には高度な認識阻害の魔法がかけられているらしい。あんな大きなものを隠すなんて、一体どれだけ凄い魔法を使っているのだろう。
「“船”も着いたようですし、それでは参りましょう、レディ・クインズヴェリ」
「え、えぇ」
何はともあれ、これでしばらく地上とはさよならだ。
御者の言葉に頷くと、私は優しい目をした天馬の鼻面を一撫でしてから、トーマと一緒に馬車に乗り込んだ。
“船”の背には巨大なガラス張りのドームのような物があり、その中には、マギカメイアの校舎と、辛うじて森と呼べる程度の木々が生い茂っている。鯨の背に生えた木ってどこに根を張ってるのかしら。
私は馬車の窓から巨大なそれを見下ろしながら、何となく、現代日本で見たことのある“生命球”と呼ばれる物を思い出した。つまり丸いアクアリウムなのだが、何となく、ケースの中に収まっているような感じが視覚的に近いように思えて。
完全な球体であるあれとちがって、目の前のものは半円だから、どちらかと言えばスノードームの方が近いのかもしれないけど。
ドームの中に入るべく、入り口付近のエリアへ降り立つと、周囲には既に私達と同じような天馬付きの馬車や、珍しいものでは小型の翼竜なんかもいた。
馬車と同じくらいのサイズの人に慣らされたドラゴンだけれど、濃い緑の鱗に鋭い鉤爪を持った立派な竜種だ。魔法騎士にはドラゴンを駆る騎馬隊ならぬ騎竜隊がいると聞いたことがあるが、入学時点で自分のドラゴンを飼い慣らしているなんて一体どんな物好きだろう。
(……そういえば)
攻略対象には、やけにドラゴン好きのキャラクターが一人いたっけ。
トーマやアーサーと並ぶ『ユグハー』の三大人気キャラクターの最後は、確か竜騎士を目指す少年だったはずだ。もしかしなくてもあれは彼の飼いドラゴンだったりするのだろうか。飼いドラゴンて。
まぁ私は事前に彼の存在を知ってるわけだから、上手くやれば、そのキャラとは関わることなく学生生活を送れるはず。昨日、寝る前に情報ノートは復習してきたけど、今思い出せて良かった。アーサーやトーマに加えて、これ以上ヘタにゲーム本編キャラとの縁を増やすわけにはいかない。
そうよ、この学校に入ったからには“騒ぎには首を突っ込まない”、“あらゆるイザコザはオールスルー”を徹底しなければあっという間にイベントに巻き込まれてしまう。
今までみたいにノリと勢いでどうにかなってきたゲーム外の場所と、ゲーム本編の舞台は全く違うのだ。
私はあくまで“悪役令嬢”ポジの女なんだから、そこんとこ意識してモブを貫き通していかないと、気付いたら悪役に仕立て上げられて死亡ルート一直線、なんてことが起きないとも限らないのよ。
「……ヴァイオレット?」
考え事をしながらドラゴンを眺める私を、トーマが呼ぶ。
振り返ると心配そうな顔で覗き込まれていた。
「怖いなら僕の後ろに」
「怖い?」
怖いって、ドラゴンが?
逆にファンタジーっぽくてテンション上がるけど……と思いながら辺りを見渡すと、周囲の令嬢達がドン引きした目で巨大な爬虫類が寛ぐのを見ているのがわかった。
なるほど、貴族令嬢としてはそういう反応が妥当なのか。まぁ牙とか爪とか色々凄いし、無理もないのかもしれない。って、そんなことはどうでもいいのよ。
「平気平気、可愛いわよね欠伸とか」
「かわいい…?」
その意見には賛同しかねるのか、トーマが首をひねっているけど、今のところドラゴンよりもこれから先生きていく上で大事な決意を固めるのに忙しいのだ私は。
「トーマ、私は平穏無事にこの学生生活を終えたいの」
「…! 勿論。その為に僕がいる。ヴァイオレットには、怪我はさせない」
一瞬目を見開いて、やけに決意に満ちた顔でトーマが頷いた。
そこまで同じ温度で返してもらえるとは思わなかったけど、丁度いいからここで宣言しておくわ。私はきっと目の前に聳え立つ学舎を睨み上げながら一人頷く。
「この先、トラブルがあっても見て見ぬフリをするし――えぇ勿論、目の前で何か問題が起きても、一切関わらず、霞のように影を薄くして生きていくわよ!」
「……ヴァイオレット」
「何!? トーマもそのつもりでいてね、あっ、貴方は別に目立ってもいいけど、私は極力目立たないようにする方向で行くから」
トーマに話しかけると、ふるふると何故か悲し気に首を振られる。
「正直そうしてほしいけど、それはたぶんヴァイオレットには無理」
い……いやこれ、別に前フリとかじゃないんだけど。




