第27話 妹姫とのお茶会
「──ヴァイオレット様!」
エル・ユグドラシル城の一角、アーサーと王妃様、妹姫の住むダーイン宮。
トーマと一緒に招かれた私を、満面の笑みと共に歓迎してくれたのは、金の髪に翠の瞳の目映いばかりの美少女だった。ど、どうぇ~~~~神々しさに目ェ潰れる~~~~。
誰かなんて隣のアーサーに訊ねるまでもない、駆け寄ってくる彼女はアーサーのたった一人の妹である、マリアベル・エリュシア・ユグドラシル王女殿下である。
彼女も今年でもう十一歳だったか。あんなに小さかった女の子が随分と大きくなって。アーサーの手紙でずっと近況を聞かされ、誕生日にはプレゼントを贈ったりもしていた身としてはもう何というか、気分は姪っ子の成長を喜ぶ叔母さんみたいなものだ。
「立派なレディになられましたね、マリアベル様」
「ヴァイオレット様もとてもお綺麗です」
向こうも私に対して親しみを持ってくれているようで、礼をする私にお辞儀を返しながら、はにかむように笑いかけてくれた。あぁもうダメだわ可愛い。
「ヴァイオレットはマリーがホントに好きだよね。僕の時もそのくらい喜んでくれて良かったのに」
「貴方が言うの?それ」
婚約者の手紙に事細かに成長を書き綴るほど妹大好きなくせに。おかげで私もすっかり身内気分よ。ていうかそもそも貴方との再会は喜んでる余裕がなかったし、根本的にマリアベル様は私の死亡フラグ(予定)じゃないしね。
ちょっと拗ねたような台詞を口にするタラシことアーサーに即答すると、妹を溺愛している自覚はあるのか、彼は笑いながら少し肩を竦めた。何かもうちょっと素っ気ないくらいじゃないとこの計算タラシには敵わないとようやくわかってきたぞ。
「ヴァイオレット様、よろしければ、わたくしのことはお兄様と同じように、マリーと呼んでくださいまし」
「よろしいのですか?」
「ヴァイオレット様はいずれわたくしのお姉様になる方ですもの。もちろん構いませんわ」
うん、お姉様になる予定はあくまで本当に予定でしかないんだけどな。
私が彼女に漏らしてしまった婚約解消云々はもう忘れてしまったのかな?その方が色々助かるけれど……。
何はともあれ、十一歳の女の子の可愛らしい“お願い”を無下に断れるはずもない。勿論です、と答えると、マリアベルは少し恥じらうようにもじもじしながら、「それから…」と言い淀んだ。
「あの……以前お会いした時のように、レティ……レティお姉様と呼ばせていただいても……?」
「それは……」
いけませんか?とこちらを窺ってくる上目遣いの威力よ。
レティはともかくお姉様は……と思ったけど、宝石みたいにキラキラした瞳でじっと見つめられては頷く他ないというか。
「も……勿論です……」
「ありがとうございます!」
頬を引きつらせながらも頷くと、マリアベルは兄のアーサーそっくりな顔で笑った。背景にぶわぁぁっと花が咲き誇るのが見える。兄妹で持ってるのその謎の背景に花を咲かせる能力?ほんっっと美形って得だわ。
「うちのマリーが天使のように愛らしいのはともかく、ヴァイオレットって年下の女の子に弱かったりするの?」
「恐らく健気なもの相手にはあまり強く出られないのかと……」
ニコニコするマリアベルにやりこめられ、声を絞り出す私を背後で好き勝手分析する男子二人。
やめてよ。我ながら可愛いげのないたちなので、こういう自分とは真逆なタイプの無邪気で可愛らしい子に弱いのだ。
もっとも、嬉しそうに笑うマリアベルを見て後悔するってことはないんだけれど。
王妃であるエレクトラ様へのご挨拶を済ませた後、私はマリアベルの私室へと通された。
アーサーもトーマも置き去りにして私を連れ込んだ彼女の言うことには、“姉妹だけで話したいこと”があるらしい。まぁあの二人はあの二人で久しぶりに会うんだし、仲良くやってくれるでしょう。
お茶でも嗜みながらお話しましょう、とニコニコするマリアベルにすっかり油断していたら、一口紅茶を含んだところで、不意に彼女が口を開く。
「レティお姉様、まだお兄様との婚約は解消されるおつもりなのですか?」
げっふ。
派手に吹き出すわけにもいかず、むせこみそうになったところを無理やり紅茶を飲み込んで息を整える。
いきなり核弾頭ぶちこんできたよこのお姫様。彼女が三歳の時の話なのにしっかり覚えていてくれたらしい。「よく覚えていらっしゃいましたね」と言うと、「記憶力には自信があるんです!」と胸を張られた。お兄様譲りなのねー可愛いなぁもう。
「その……わたくしとしては、お姉様は小さな頃からお兄様と長く交流のある方ですし……レティお姉様にお兄様と結婚していただけたら、一番嬉しいのですけれど……」
動揺した私を見て、少し申し訳なさそうに私の様子を窺うマリアベル。
わざわざ人払いをさせたのはこの話をするためだったのか。アーサーがマリアベルのことを溺愛しているように、マリアベルもまた兄であるアーサーのことを慕っている。ぽっと出のどこの誰とも知れない令嬢より、兄を通して、自分とも交流のある私に兄の結婚相手になってほしいと思うのは当然なのかもしれない。
ただ問題は、やっぱり私は今でも彼と結婚する気はまったくないということだ。
「……やっぱり、お兄様のことはお嫌いですか?」
何と答えるか迷う私に、マリアベルが悲しげに訊ねる。
違う違う、違うのよマリー。
何度も言うが、アーサーはマギカメイアに入学すればすぐにヒロインと出会って恋に落ちるのだ。私はそれを知っている。日本人時代にめっちゃやりこんだからね。
私がアーサーを好きとか好きじゃないとか関係なく、向こうの気持ちが変わるのだからどうしようもない。アーサーは頼りがいのある人間だけれど、フラれるのがわかっている相手に本気になるほど私は幼くも馬鹿でも素直でもないし、更にそこに命がかかってくるとなれば尚更である。
マリアベルももう物事がちゃんと理解できる年齢だ。
この時点ではたぶん、気が変わった、ちゃんとアーサーと結婚する、と言って納得させておくのが一番いいのだろうけれど。
しかし結局その約束は果たされないことを考えると、小さな女の子に、自分を義姉と慕ってくれている年下の子に嘘をつくことへの罪悪感がひしひしと込み上げてくる。
かといって「将来的に貴方のお兄さんは私よりよっぽどマトモな女の子とくっつくから安心してね☆」とか言っても頭がおかしくなったとしか思われないだろうし。うーーーむ。
「……婚約は……解消するつもりよ」
「! やっぱり……」
「でもねマリー、以前も言ったけれど、それはアーサーが嫌いだとかそういう理由ではないの」
私が微笑むと、マリアベルは不思議そうな顔をする。
どうするか迷ったが、既に一度本当のことを言ってしまった相手なのだから、今言える限りのことを言おうと思った。これまで誰にも言わないでくれたのなら、子供であっても、彼女は信用できる相手だ。
「私にはね、小さな頃からの夢があるの」
「…………夢……ですか?」
「そう。私自身の力で自分を養って、田舎で細々と生きていくっていう夢が!」
「し……市井に降りられるのですか?公爵家ご出身のお姉様が!?」
「しーっ、声が大きいわ、マリー」
マリアベルの持っていたソーサーの上で、カップがガチャガチャと揺れた。
申し訳ありません、と恥ずかしそうに視線を降ろすマリアベルがそろりと私を窺うように見る。正気を疑われているのだろう。彼女は私の魔力のことや、クインズヴェリ家での私という存在の扱いを知らないから、無理もないとは思うけど。
どうせ私は悪役令嬢というどう頑張っても報われない役柄のキャラクターで、実家に帰れば望まれない忌み子。王子であるアーサーと結婚して父親が望む“貴族としての務め”を果たすことも叶わない以上、その後生かされる保証もない。
それならばいっそ、生活の保証もない代わりに命の危険もない場所で、自分の人生を歩む方がずっといい。“ヴァイオレット”はその道が選べなかったけれど、私はそれが出来るとわかっているから。
「アーサーは大事な友人よ。彼のことが嫌いなわけじゃないし、マリーのことも妹みたいに可愛いわ」
「……本当ですか?」
私の「妹のように可愛い」という台詞に反応してか、マリアベルが少しだけ嬉しそうな顔をする。かわいい。
アーサーは私が困っている時に助けに来てくれた。私も彼が困っていればきっと力になろうとはするだろう。でも、それは友人としての話だ。婚約者としてじゃない。この物語のヒロインは私じゃないのだから。
「アーサーは魅力的だから大丈夫。無責任に聞こえるかもしれないけど、すぐに私より素敵な人が現れるわよ」
「……そうでしょうか。でも、お兄様は」
マリアベルは何か言いかけて、私の瞳を見つめると──
どうしてか小さく首を振り、言葉の続きを発することはなかった。
私の言うことを吟味するようにカップの中の水面を見つめ、じっと考え込んでいる。私をどう説得するか考えているのだろうか。いかに可愛いマリアベルのお願いであっても、今のところ説得されるつもりは全然ないから、言葉を尽くされてもただ困るだけである。
やがて長い沈黙の後、マリアベルは、躊躇うように口を開いた。
「それでは……婚約は解消するとしても……何かあった時、お姉様は、お兄様の味方でいてくださいますか? それさえお約束してくださるなら、マリーはお姉様が……お姉様でなくとも、これまで通り、肉親のようにお慕いすることが出来ます」
真摯な翠色の瞳は、心の底からアーサーの身を案じているようだった。
不意にいつだったか、アーサーから、“君に味方でいてほしい”とお願いされたことを思い出す。
あれは十歳の頃だっただろうか。敵が多く、複雑な環境に生きる彼女達だからこそ、こうして相手の言葉を欲するのかもしれない。私なんか大した味方にはなれないという思いはあの頃から変わらないけれど、別に、言い淀む必要はないように思った。
(……味方ねぇ)
一瞬ためらったのは、十歳のあの時とはまた別の理由だ。
思い返せば、“ヴァイオレット”に味方は一人もいなかった。
無垢な少女に嫌味を言う女に、味方なんていないのは当然だろうか?“ヴァイオレット”が純真無垢とは言い難いキャラクターなのは間違いなかったけれど、自分の婚約者と仲良くする女の存在が面白くないのはそんなに罪深かった?
たぶんきっと孤独だった彼女は、婚約者であるアーサーにだけは味方であってほしかったんじゃないかと、今の私は思うけど。
『アーサー様!わたくしは──』
わたくしは、ただ──
『……残念だよ』
学年末のパーティーで、ヒロインの肩を抱きながら、婚約者であるヴァイオレットを蔑むように見るアーサーの目。
あの頃はゲームの中の絵でしかなかったあの視線をもし向けられることになったらと思うと、ゲームの中の“ヴァイオレット”とは違う私ですら気分が悪い。
私の友人になった彼も、ヒロインとの絡みしだいではあんな冷たい目で私を見ることがあるんだろうか。……それで自分がどれだけ傷つくかはわからないが、正直勘弁してほしいとは思う。当然だけれど、やっぱりヒロインとは是が非でも絡まない方向で行くのが私の学生生活の最優先事項だ。
私という異物の組み込まれたこのゲームのストーリーが、これからどういう流れを辿るのかはまだわからないけれど──
「えぇ、そうね。味方でいたいと思うわ」
私が頷くと、マリアベルはホッとしたように微笑んだ。




