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第26話 罪深い男



王都、クインズヴェリ邸。

本邸の馬車に拾ってもらい、いよいよ辿り着いたお父様のいらっしゃる魔の本邸である。


前にお会いしたとき私はまだ一桁の年齢だったと思うけど、十五になったからと言って父への恐怖心や実家への抵抗感が薄れるわけもない。

七歳の頃と違って、今回わりと気楽な感じでここまで来れたのは、やっぱりトーマが一緒に居てくれることが大きい。ただし同時に、半獣人である彼を従者として連れていくことをお父様が何と言うかって辺りが若干胃の痛いところではあるんだけど……


「ヴァイオレット」


――ぎくり。


使用人であるターナーの案内で父の部屋へと通される直前、若い男性に突然呼びかけられて、咄嗟に逃げ出そうかと思った。や、そういうわけにもいかないんだけどさ。

振り向くと予想通り、立っているのは白髪に青紫の瞳を持った、美しいが、氷のように冷たい眼差しをした青年である。二十代半ば程度に見えるその青年は私を睨みつけると、私の隣のトーマをちらりと見て、険しい顔つきになった。


「これはこれは、レジナルド様」


ターナーがのんびりとした様子で目を細める。

レジナルド・クインズヴェリ。彼はクインズヴェリ家の長子で、私の歳の離れた実兄である。最後に直接会ったのはまだ私が六歳だった頃だろうか。


「お兄様、お久しぶりでございます」

「なぜ獣人を本邸に? 父上が(けだもの)がお嫌いなのはお前も知っているはずだが」


ほとんど十年ぶりに会った妹の挨拶はガン無視かーい。

そんでうちのかわいいトーマを(けだもの)呼ばわりとは。こむら返りの呪いかけるわよお兄様コンチクショー。


挨拶のためにスカートの裾を軽く持ち上げたまま固まった私だけれど、隣のトーマはと言えば、あからさまな侮辱にも動揺した様子はない。私が礼をするのに合わせて大人しく頭を下げている辺り、ソフィアの教えをしっかりと守っていることが窺える。クインズヴェリの本邸に来る時点で覚悟は出来ていたということだろうか。う、うーん、大人。

しかし、それならば私がここで下手に事を荒立てるわけにはいかないだろう。我ながら薄っぺらい微笑を浮かべて兄にトーマを紹介する。


「彼はトーマです。マギカメイア入学の年ですので、私の従者として一緒に来てもらいます」

「正気か? ただでさえ忌み子のお前が、この上更に父上に恥をかかせるような真似をするのか」


レジナルドが冷酷な目で私を睨んだ。

うーん。どう考えても実の妹を見る瞳ではない。


えー、ここで一つ解説しておこう。

私ことヴァイオレットの、クインズヴェリ家での扱いについてである。


父親であるグレアム・クインズヴェリに嫌われている旨はこれまでにも何度か触れたと思うが、私のことを嫌っている近親者はぶっちゃけ父だけではない。というより家族は皆、私のことは“闇の魔力”を持って生まれてきた忌み子であると認識している。だからこそ人生のうちで数回しか顔を会わせたこともなく、こうも冷たい目で睨まれているのだ。

まー私からすれば何回かしか会ったことない人間に何言われようが大したダメージではないんだけど、やりづらいったらありゃしないのよね。

私には前世の家族との思い出があるからいい。でも、実際十五歳で実の家族からこんな扱いを受けてたら“ヴァイオレット”の性根もねじ曲がって当然だと思うわ。


そこからクドクドと兄の口から流れ出始めた、私に対する文句というか侮辱というか聞くに耐えない言葉の数々を表面上はしおらしく聞き流していると、


「……主への暴言は慎んで頂けるようお願い致します」


おぉーっと。

トーマが低く呟いて、カーン!とゴングが鳴ったかのような幻聴が聞こえた。


自分への侮辱は何でもないことのように聞き流していたトーマだったが、主である私が一方的に貶められるのには耐えられなかったらしい。ちょっとの間に赤い瞳がギラギラと殺気立っている。いい子!いい子だけどちょっと待って相手お兄様だから。面倒なことになっちゃうから。

チンピラ程度なら尻尾を巻いて逃げ出す迫力のトーマの睨みにも、流石に魔法騎士の称号を持つレジナルドは怯まなかった。


「獣人風情が俺に指図するのか」

「指図などしていません。ヴァイオレット様にお仕えする者として、主への侮辱はお控え頂きたいと申し上げています」


燃えるようなトーマの瞳と、凍りつくようなレジナルドの視線がぶつかり合う。

しかしどう考えてもこの二人では初めから勝負にならない。ここはクインズヴェリ家の本邸で、相手はクインズヴェリ家の長子であるレジナルドお兄様だ。比喩とかでなくお兄様の一声でトーマの首が飛んでしまいかねないのである。

ターナーを見ると、老執事は“我関せず”という態度で置物のようにただそこに立っていた。流石に貴族家の使用人として洗練された態度である。つまり何の助けにもならない。当然だ、彼が仕えているのは私の父であって、私でもレジナルドでもないのだから。


──くそう、必要以上に下手に出るのが嫌だったから嫌味も小言も聞き流して終わらせようと思ってたのに!


「お……」


トーマを手で制し、お兄様、と呼びかけようとしたその時──





ガチャリ、と父の部屋の扉が開いて、飛び出してきたのは予想外の人物だった。


「ヴァイオレット!」


花の咲くような目映い笑顔。

少し伸びた金色の髪を首もとで結い、美しい翠の瞳を輝かせた彼を目の当たりにして、私は驚きの声を上げる。


「ア……アーサー!?……様!?」


どうしてこんな所に。


目の前の人物は紛れもなく、成長した私の婚約者、アーサー・ルクレティウス・ユグドラシル王子殿下その人だった。

彼も今年で御年十五歳。いつかゲームの画面で見た通りにお綺麗に育ち遊ばしていらっしゃる上、久しぶりに見ると輝きすぎてて目が何かしぱしぱする。本人が満面の笑みを浮かべていることもあいまって、背景に薔薇が乱舞してるし。

何でここに、ていうか何でお父様の部屋から、と目を丸くしている私に構わず、アーサーは流れるような動作で私の手をとった。


「ずっと会いたかった、ヴァイオレット…!」

「ア……アーサー?」

「君に会えなかったこの五年間、私は君に焦がれて胸に穴が開いてしまいそうだった……!」


そのまま私の手の甲に優雅な仕草で口付けて、芝居がかった仕草で悲壮な顔をしてみせる。……えーっと、どうしたのかしら。

久しぶりに会った婚約者のテンションの高さに戸惑っていると、アーサーはまた私の目から見れば非常にわざとらしくハッとレジナルドの存在に気づいてみせ、固まっている彼に対してにっこりと笑みを浮かべる。


「これは、レジナルド・クインズヴェリ卿!お目にかかれて光栄です」

「は……これは、王子殿下」


流石のお兄様も、この国の王子であるアーサーを目の前にして私の従者苛めなんて些事は続けられない。

貴族らしく優雅に礼をするレジナルドに向かって、アーサーは友好的な笑みを浮かべたまま畳み掛ける。


「兄妹の再会をお邪魔してしまって申し訳ありません。ただ、中で父君がヴァイオレットをお待ちですので、ここはどうか、私の婚約者をお連れさせていただくことをお許し下さい」

「……御意に」

「ありがとうございます!もしまだヴァイオレットと話し足りないということでしたら、父君との話が終わってからご一緒にお茶でも。兄君からヴァイオレットのお話を聞きたく思います」

「……いえ。お誘いは光栄ですが、この後、私には仕事がありますので」

「それは残念。ではまたの機会に」


ウッソォ。笑顔のままあの兄を退けるとは。

氷で彫った能面のような顔をしたレジナルドが背を向けるのを唖然と見送っていると、「さ、行こう」とアーサーが私の手を引いて父の書斎に連れ込もうとする。


「アーサー!?」


ちょちょちょ、それはちょっと待って色々と心の準備が──






ところが、仕事をしながら厳めしい顔で私を待ち構えているかと思った父は、ゆったりと椅子に腰掛けており、わかりにくいが、なんと口許に微笑みさえ湛えながら部屋に入った私を見た。いや誰だよ。


「帰ったか、ヴァイオレット」

「は……はい、お父様。お久しぶりでございます」


もしや父の皮を被った偽者か何かか?と思ったが、白髪も青紫の瞳も、微笑んでいても隠しきれない威圧感も、間違いなく父であるグレアム・クインズヴェリその人のものである。

こんな風に優しく「帰ったか」とか訊ねる人じゃないのに。一体どういうことだってばよ。事態がさっぱり理解できない。


「そこでレジナルド卿とお会いしましたよ。お忙しいご様子でしたが」

「そうでしょう。息子は国のため国王のため、働くことを喜びとする男です」

「それは……流石はクインズヴェリ家を継がれる方ですね」


ごく自然に父と言葉を交わし、優雅な微笑を浮かべてみせるアーサー。

その隣でアホ面をさらしている私。従者として影を薄くしているトーマ。父が見咎めない内にアホ面を隠せたのは幸いだった。内心の動揺を隠すべく、席に座り、新しく私のために用意された紅茶を含む。


「公爵とレジナルド卿はチェスはどちらがお強いのでしょうか?」

「まだ息子に負ける気は致しませんが……王国一のチェスの名手と戦うのは気が進みませんな」

「そう仰らずに、是非」

「では、私の代わりに息子を差し出すとしましょう」


何だその和やかな会話は。

ツッコミどころが多すぎて紅茶の味がさっぱりわからない。状況への拒絶反応か、手に持つカップがカタカタと震えているのを見て、トーマが心配そうに私に視線を向けるのがわかった。


どう考えても、これは、アーサーが父を懐柔している。


何故?何のために?と思うが、未だかつて見たことがないほど父の機嫌が良いのは確かである。人たらしパワーすげー。

マギカメイア入学に関する諸々も予想の五百倍くらい話しやすかったし、脅迫めいたことを言われずに済んだ。最大の難関であると思われたトーマのことに関しても、アーサーが事前にトーマと自分が友人であることを父に伝えておいてくれておかげで、少し渋った顔をされるだけで済んだし。いくら獣人嫌いのお父様と言えど、王子の友人と言われた者をその王子の前で冷遇することは出来なかったのだろう。そりゃそうだ。


極めつけには、マギカメイアの入学日までこの屋敷に滞在するしかないと思っていた私に、アーサーは、王宮に来るといいと父の前で提案してくれた。


「妹も会いたがってるし、私もヴァイオレットの側にいたいからね。もちろん、君がよければだけれど」

「……それは……勿体ないお言葉ですが……」


たとえ数日であっても、兄や姉の出入りする本邸でイビられながら過ごすよりずっといい。

恐る恐る父にそうしてもよいか訊ねたところ、父は、驚くほどあっさりと私の外泊を許してくれた。うん、まぁ、お父様としては私とアーサーが仲良くしてた方がいいんだから、断る理由はないんだろうけどさ。

何か全てがトントン拍子すぎて若干理解が追い付かないんだけど。やがて、アーサーが父を三度笑わせた辺りで、私は考えることを放棄した。











それからである。


「……本当に久しぶり、ヴァイオレット。それからトーマも」


父の書斎を出て、客間に通されてから、やっとアーサーと落ち着いた再会の挨拶が出来た。

そう、そうよね。私の知ってるアーサーはこのテンションよ。さっきのキラキラしたのはたぶん乙女ゲームで言う初対面時くらいのリアクションというか、彼の余所行きの姿なのだろう。そう言えば私手の甲にキスを受けたのは初めてだけれど、深く考えると現代日本人的に恥ずかしいからやめましょう。挨拶だから。


久しぶりに見るアーサーは、改めて見てもカッコよかった。

トーマ同様、すっかり成長した彼は、もう私では少し見上げるくらいの背丈になっている。


「アーサーってば、どうしてここにいるの?」


屋敷を出る前に最後に貰った手紙では、“入学式に会おう”って書いてあったのに。

てっきり入学の日までは会えないのかと思っていた。


「そのつもりだったけど、何となく気になってね」

「何となく……って」

「君からの手紙を読んだから」


ニコ、と笑うアーサーが言うのはたぶん、これまた屋敷を出る前のこと、私がついつい本邸に行くのが気乗りしないというような旨のことを漏らしてしまった手紙のことだろう。

本当にほんの少し触れただけだったのに、“親と会うのぶっちゃけ気まずいです(要約)”っていう私のたった一言を気にして、わざわざうちまで迎えに来たのかこの王子様は。いい人なのは知ってたけど、この人がそんなに婚約者思い、もとい友達思いだとは知らなかった。


「僕のこと、ちょっと好きになった?」

「……何それ」


笑みを浮かべたままま、ふざけた調子で言う彼に、何だかおかしさがこみあげてきて吹き出してしまう。好きになるも何も、アーサーが現れた時にはいきなりすぎて何が起きたのかさっぱりわからなかったけど──でも、心強い味方になってくれた彼に、とても助けられたのは確かだった。

そんな私を見て、トーマがどこかホッとした様子で息を吐く。


「トーマ?」

「……ヴァイオレット、ようやくいつもの顔で笑った」


トーマの呟きを聞いて、私は瞬きをする。

そういや私、本邸に来てから緊張してるかガチガチの笑顔を張り付けてるばっかりで、笑う暇もなかったのか。

視線を感じてちょっと見上げると、アーサーが嬉しそうに、私を見つめながらニッコリ笑っていて。



私は煮詰めたマンドラゴラをイッキ飲みしたような顔になった。



「アーサー、貴方って……」

「うん?」

「罪深いわ」


いずれヒロインが好きになって婚約破棄するくせに、この時点でヴァイオレットにここまで優しくしていたのだとしたら、それはもう罪である。大罪である。

言われた意味がわからなかったのか、アーサーがきょとんとした顔になった。


「えーと……ごめんよ?」


謝らなくていいわよ。絶対好きにはならないけど。




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