エピソード:不可解な彼女
それなりに難儀な性格をしている王子と、たまに何も考えてない悪役令嬢。
僕ことアーサー・ルクレティウス・ユグドラシルの婚約者は、僕との婚約を解消したがっているらしい。
ヴァイオレット・クインズヴェリ。
我がユグドラシル王国が誇る四大魔法貴族家の、氷魔法を司るクインズヴェリ公爵家の末子にして、腰まで届く紫の髪と、暁のような赤紫の瞳が印象的な少女。
遠目から見た第一印象は、落ち着いた少女という感じだった。
貴族の令嬢と聞くと、大体、とんでもなくワガママな子か、貴族として自分を厳しく律している真面目な子かの二パターンに分かれる気がする、というのが僕の知見である。
どちらが悪いと言うわけではない。ワガママな子の方が好意さえ得れば素直だったり、真面目な子ほどプライドが高くて周囲と軋轢を生みやすかったり、どちらも一長一短だ。
嫌な性分だとは思うけど、幼い時から色んな貴族令嬢と顔合わせをさせられてきた僕は、相手が自分の将来の結婚相手である可能性を考えて相手を値踏みする癖がついていた。
女性を褒めるのは、褒められた相手のリアクションを見るため。男相手だとその人となりを知るのに、人によってもう少しアプローチの仕方を変える必要があるけど、少なくとも、貴族社会で生きる女の子なら容姿を褒めてみるのが一番早い。これまでにどういう扱いをされてきたのかが如実にわかるからだ。
もちろん女の子はみんな可愛いから、褒め言葉自体は本心から来るものではあるのだけど、人によって褒めるポイントを逐一変えたりするのは、その人が何に喜ぶのか、何に怒るのか、相手の心情をいち早く察する訓練みたいなものだった。
「いつも笑いなさい、アーサー。出来れば穏やかに」
笑顔は何よりも強い鎧、というのが母の至言である。
流石笑顔と美貌で人心掌握、三流貴族から王妃にまで上り詰めた人の言葉は重みが違う。
笑顔の仮面を張り付けるのは、相手にこちらの心情を悟られないため。悲しんではいけない。我を忘れて怒るなんてのは論外だ。ある意味では、王族は時に、自分が生きている人間であることを忘れなければならない。
公の場で誰かと仮面越しに接することは、誰しもが多かれ少なかれ持ち合わせていなければならない能力で、不誠実というのとは違う。とりわけ僕ら王族については、それは重要な技能だ。何を考えているのか丸わかりな人間が、国の政に携わることは出来ない。
王都の街道で出会った時。
例の通りに褒めると、ヴァイオレットは、眉をひそめるような、変なものを食べたような何とも言えない顔になった。
その表情はすぐに完璧な笑顔の仮面に隠されてしまったけれど、それだけに、公爵家の人間であるはずの少女が、どんな人間であるかは、それなりに僕個人としての興味をそそった。
彼女が僕の妹に、そうとは知らずに僕との婚約を解消したいと漏らしていたことも含めて。
ヴァイオレットは僕にとって、ほとんど生まれて初めて出会ったと言っていい、“何を考えているのかわからない女の子”だった。
どういう風に育った子なのか。何を思って僕との婚約を嫌がっているのか。その背景がちっとも見えてこない。
そしてその興味は──
彼女の恐ろしく勇敢な、破天荒とも言える一面を見たことで、もう少し強い……そう、言うなれば、探求心のような何かに変わったのだ、たぶん。
助けてもらった感謝の気持ちも勿論あった。気まぐれから無礼を働いたことを詫びたかったのも本当だ。
でも、彼女に手紙での交流を申し込んだのは、僕自身がもう少し、彼女のことが知りたかったからだった。
だって誘拐犯の乗る馬車の窓を蹴り割って飛び込んでくるお嬢様なんて、彼女の他にいないだろ?
「チェスでもしない?」
ヴァイオレットと過ごすため、聖誕祭に、彼女の住むクインズヴェリ家の別邸を訪れた時のこと。
滞在中のある晩、部屋にあるチェス盤を見て勝負を持ちかけたのは、彼女の戦略──考え方を知ることで、彼女のことが少しでも見えてくるのではないかと思ったからだ。
令嬢らしく優雅に食後の紅茶を飲んでいたヴァイオレットは、一瞬あからさまに嫌そうな顔をした。
「貴方物凄く強いんでしょう。ミス・フェネットに聞いたわよ」
「ミス・フェネットは僕に勝たせるのが好きなんだよ」
僕はヴァイオレットのこういう顔が結構好きだ。
名前を呼び捨てにしてもらえるよう頼んでから、友人らしい気安さみたいなものが少し芽生え始めているのか、ヴァイオレットはあんまり取り繕ってない表情も見せてくれるようになった。
幼いうちから表情を取り繕える子供は、貴族の人間なら珍しくない。僕が興味があるのは、彼女の仮面のその下だったから。
「ね、お願い」
ヴァイオレット、と名前を呼ぶと、彼女は渋々、という感じで僕と一緒にチェスの駒を並べ始めた。僕は白、彼女は黒。
乗り気じゃなかったわりにはヴァイオレットはそれなりに手強くて、勝負はわりと白熱した。それでも、王宮で大人の相手もしている僕の敵と言うほどじゃなかったけど。
数十分経過する頃には白のクイーンが黒のキングを追い詰めて、チェックメイト。彼女の戦略を観察するつもりだったのに、取り立てて突飛な戦法をとってくるわけでもなかったこともあって、僕も普通に楽しんでしまった。
「僕の勝ちだね」
ヴァイオレットは僕のチェスの腕前を予め知っていたそうだから、反応は「だから嫌だったのよ」と呆れられるか、素直に称賛されるかのどちらかじゃないかと思っていたんだけど。
ニコッと笑って顔を上げると──
ヴァイオレットの眉間に、ぎゅっっっ、と、思いもよらぬレベルのしわが寄っていた。
えっ?と思うくらい。
かわいい顔が台無し……とは、不思議と思わなかったけど。
「ヴァ……ヴァイオレット?」
「……………もう一回よ」
美しくも彼女にしては低い声だった。
明るく輝く赤紫の瞳に、メラメラと燃え上がらんばかりの闘志が宿っているように見える。
「え……えーと……」
「何よ、貴方から誘ってきたんでしょう?」
「そうだけど……」
もう一回、という彼女に押されてそのまま再戦。
続けて勝利した僕に、ヴァイオレットはやはり悔しげに再戦を申し込んできた。
ここまで来たら一度くらい勝たせてあげた方がいいんじゃないかと思ったら、その考えが過ったのを見透かされたのか、「手加減したら嫌いになるわよ」と大真面目に釘を刺されてしまって、そういうわけにもいかなくなって。
やがて五回勝負の末、にっちもさっちもいかなくなり、トーマを含めた三人でババ抜きをすることになったのは本当に何故なのかよくわからない。
するにしても、ポーカーとかでなく何故ババ抜きなんだろう。これはこれで面白いから別にいいけど。
「……ねえ、彼女ってもしかして物凄く負けず嫌い?」
思わぬ盛り上がりを見せたババ抜き勝負が一段落して、ヴァイオレットと別れて寝室に向かう時。
隣を歩くトーマにこっそり訊ねてみたら、無表情で深々と頷かれた。実は普段からわりとそうらしい。僕が言うのも何だけど、年齢よりずっと大人びた子だと思っていたから意外な一面すぎる。
というか彼女、「手加減したら嫌いになる」って言っていたけれど。
ってことは、今の僕のことは、別に嫌いってわけじゃないんだろうか。
ますます婚約を解消したがる理由がわからない。
直接聞いたら早いんだろうけど、それで本当に婚約が解消される運びになったら、僕はどう思うのだろう。
少なくとも喜びはしない気がする、と思うと同時に、何だか胸の辺りがそわっとしたような気がした。赤紫の瞳が脳裏をよぎる。
「女の子って、よくわからないな……」
間違いなく、生まれて初めて口にした台詞だった。
『ユグドラシル・ハーツ』の世界では、チェスやポーカーなどの現代日本で周知されているゲームは、そのままの名称で存在することもあれば、名前やルールが変わっていることもあります。おとぎ話なども同様です。
 




