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私たちは頽廃している  作者: StellA
Dr.ヘルシングによる吸血行動を伴う悪魔に関するレポート
6/28

06

 樫材でできたドアをノックすれば、その硬さと反比例するような軽い音が、日曜の朝の静かな廊下に響く。


「ローズだけど、モモ、起きているかしら?」


 次いで声をかければ、ドアの向こうで物音が立つ。普段は物静かな彼女にしては珍しく、慌てた様子で扉を開いた。


「ローズさん、おはようございます」

「ごめん、起こした? もし、良かったら一緒にミサに行かないかと思って誘いに来たのだけど」


 すでに着替えは済ませていたが、身だしなみが気になるのだろう、しきりに前髪を気にした様子で見上げてくるモモに、ローズは苦笑する。前髪を撫でつけるモモの指先を押しとどめ、代わりに少し乱れた彼女の前髪を梳いてやれば、モモは少し緊張したように、すっと息をのんだ。


「いえ、起きてはいたんですが …… あの、ミサ、ご一緒させてください」

「…… もしかしてミサ自体が初めて?」


 ローザの言葉に、モモは言葉に詰まったように俯いた。

 半分冗談のつもりで口にした問いに、モモは小さく頷く。そして恥ずかしそうに告げた。


「実はその、先週、参加しようとしたのですが人が多くて怖気づいてしまいまして、出入り口で人の流れを眺めていたら終わっていました」

「ああ、大聖堂で行われるミサは、神学校の生徒だけではなく地域の人も来るから …… ここに来る前は?」

「ご縁がなくて」


 時折でてくる煙に巻くようなモモの物言いは、柔らかいくせに、踏み込むことを拒絶するような頑なさを感じさせて、ローズの追及を阻害する。


 しかし、この学園はローマ・カトリック教会が運営する私学であり、洗礼を受けていないものは基本的に入学することはできないはずだ。ローズは訝しく思うも、表面上はにこやかな笑みを浮かべて見せた。


「そう、だったら誘いに来てよかった」


 ローズの言葉に、モモは顔を上げてはにかむ。あまり感情を表にしない彼女だが、親しくなればそれなりに表情の変化があることに気が付く。それとも、単にモモが気を許してくれているのか、どちらにせよ、悪い気はしない。


「えと、何をもっていけばいいのでしょうか?」

「聖書を、持っているならロザリオも」

「聖書ですね」


 モモは身を翻すとデスクへと向かう。ローズは開いた扉から彼女の部屋を見やった。

 ローズの部屋と変わらない造りだ。備え付けのベッドと簡素な机と椅子。もともと私物が少ないのだろうか、机の傍に置かれたスーツケース以外に目立つ物と言えば。


「バラ?」


 机の上に飾られたガラスケースの中にはドライフラワーで作られた小さなブーケが飾られている。少し眼鏡をずらしてみれば、質素な部屋に似つかわしくない絢爛な蝶がガラスの上で翅を休めていた。


「あ、ローズさんにいただいたお花です …… 嬉しかったのでドライフラワーに」

「いえ、…… 大事にしてくれてありがとう」

「いきましょうか」


 モモは机の上に置いていた聖書を手にすると、ローズを促しながら部屋を後にする。閉まる直前のドアの隙間から、華やかな蝶がひらりとあらわれ、モモの癖のない黒髪に足を絡めた。



 ***



 ステンドグラスで彩られた白亜の大聖堂は、唯一、隣の神学校と共同の施設だ。日曜日に開かれるミサもそれなりに大掛かりなもので、神学校と女学校の生徒たちのみならず、地元の信者も集まる。

 女生徒たちの大半は信仰に加えて小さなときめきを探しに大聖堂のミサに通うものも多い。


 しかし、ローズが案内したのは、その大聖堂を坂上から眺める小さな教会だった。


 近代になり児童福祉や教育の重要性が認識され始めると、貴族たちは伝統ある教育を行っていた神学校に愛する子息を預けたがった。生徒数が増えたことにより、寄付額も増大し、神学校を運営する理事会は校舎と、そして大聖堂を新設したのだ。

 また、神学校に付属する女学校の開設が重なったことで、女学校は旧神学校の施設を再利用することで運用が始まった。


 大聖堂を見下ろす小さな教会は、神学校時代は宗教的役割を一任していたものの、その責務はすべて大聖堂へと引き継がれた。現在、家庭の事情で異性との距離を置かされている、または付き合いを制限されている女生徒のために、日曜ごとに小規模なミサが行われているくらいだ。


「可愛らしい教会ですね」


 尖塔を見上げて言うモモの声は弾んでいる。いつになくはしゃいだ様子の東洋の少女にローズは薄く笑う。


「ここは小規模だから怖気づくことないわ」


 ローズが揶揄するように笑い、重たい扉を開けて足を踏み入れれば、すでに十人程度の女学生と学校関係者が集まっていた。


 女学校の敷地内にあるそれは石造りの可愛らしい教会だが、扉横に設置された全面に彫りが施された告解場と、主祭壇に誂えられたステンドグラスはローマからわざわざ運び込まれたものだ。


「素敵、」


 思わず、というようにモモが祭壇へと歩み寄る。ローズは少し遅れてモモの後を追った。

 地中海の強い日差しを偲ばせる鮮やかな色彩と大胆なデザインのステンドグラスを見上げるモモにローズは薄く笑みを浮かべる。


 そう広くない教会だが、天井が高く閉塞感はない。両側面には聖書を物語る壁画とバラ窓、何よりも目を引くものは、祭壇と対面する壁一面を這うパイプオルガンの金属管。


 出入り扉の上にある中二階(オルガン・ロフト)を見上げれば、後輩だろう女学生たちがパイプオルガンを弾いている。明るい曲調の教会音楽だ。


 チョコレート色の髪を編み込みにした少女がパイプオルガンに向かい、その隣には譜面を繰る手伝いをしているのか、明るい金髪を高いところでくくった少女が立っている。


 ふと、視線を感じたのか、金髪の少女がポニーテールを揺らして振り返った。

 ローズの従妹だというマーガレットだ。

 マーガレットはパイプオルガンを弾く少女に一言二言、語り掛ける。そして、ロフトと一階をつなぐ螺旋階段を降りてきた。


「ローズ、今日は寝坊しなかったんだね?」

マーガレット(メグ)こそミサにまでその攻撃的なブーツなのね?」


 うっすらとそばかすが浮いた鼻梁に皺を寄せて揶揄するマーガレットを、ローズが邪険にあしらうものの、彼女は意に介さない。ローズの傍らに立つモモを見やると、驚いたように目を見開いた。


「…… あれ、君、もしかしてローズと同級だったの?」

「はい、モモと申します」

「私はローズの従妹のマーガレット、よろしくね!」

「よろしくお願いします、でしょう?」


 フランクな調子で挨拶をするマーガレットをローズが窘める。しかし、モモもマーガレットも気にする様子はない。モモは差し出されたマーガレットの手を、掴みどころのない(アルカイック)微笑み(スマイル)を浮かべて握り返している。


「てっきり私と同じクラスだと思っていたのに、」

「…… マーガレットさんのご学年は?」

3年生(サードクラス)だよ。いつまでたっても来ないから初等部だと思ってた」


 マーガレットの言葉に、モモはわずかに眉を動かしただけで、笑みを崩すことはなかった。

 学園は便宜上、1年、2年の初等部、3年、4年の中等部、および5年、6年の高等部に分かれており、一応、年齢による区別はなく、それぞれ学問の習熟度でクラス分けを行うとしている。しかし、女子教育を行うのは前衛気取りの貴族たちであり、裕福な彼らは幼い頃から家庭教師をつけ、入学が許される12歳から学園へ送り込むことが通例となっていた。


 したがって、各学年のおおよそ同じ年ごとの少女たちが集まることになる。

 例外は高等部の最上級生で、ローマにある大学に入学する前段階として、他の学校を卒業、または家庭で教育を受けた子女も受け入れているが、女生徒に関してはほとんどいない。


「ふふ、東洋人は幼く見えると言いますもんね」


 口では笑っているが、厚い前髪にさえぎられ、光が入らないその瞳はいつもの曖昧な表情を浮かべている。


 もしかしたら、幼い容姿を気にしているのかもしれない。

 ローズは話題を変えるように、マーガレットに向き直った。


「そういえば、パイプオルガンを弾いている子、みない子ね」

「ああ、リタだよ、私のクラスメイト。イタリア貴族の娘だって。まぁ、家が厳しいらしくって、あまり活動的ではないけど、見ないのはローズがミサをサボってばかりだからじゃない?」


 一言多いマーガレットをローズは鼻先で軽くあしらう。

 リタの後ろ姿を見上げれば、白い手袋をしたままパイプオルガンの鍵盤を叩いている。


「彼女、手袋しているけど、どうかしたの?」

「小さい頃の火傷の跡を気にしてるってさ」

「…… 手袋をしているのにとてもお上手ですね」


 モモの賞賛に、なぜかマーガレットが誇らしげに胸を張る。

「でしょ! 伴奏は彼女だからきっと楽しく歌えるよ」

 マーガレットはそう言いながらモモではなくローズへと視線を投げた。

「ラテン語でしょ、モモはまだ難しいんじゃない?」

 ローズは、はぐらかすように揶揄を交えてモモに投げる。モモは少し目を見開いた後、「そうですね、」と首肯した。


「モモ、この教会、ローマから運ばれた品々があるのだけれど、良かったら見てみる? 神父が来るまでまだ時間もあるし、」

「ぜひ!」


 ぱっと表情を明るくしたモモにローズは口の端を上げてみせる。ついで、マーガレットに向き直り、「じゃあ、マーガレット。私たちはこれで、リタによろしく」と告げる。

 マーガレットはリタの方へ踵を返しながらも、「ローズはちゃんと歌うんだぞ!」と釘を刺してきた。

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