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私たちは頽廃している  作者: StellA
Dr.ヘルシングによる吸血行動を伴う悪魔に関するレポート
5/28

05

 

 通常授業の後、ローズとリリアーヌには、クラブ活動という名目のもと、エクソシスト育成のための特別カリキュラムが科せられている。それは通常授業では決して行われないような神秘学術研究の類から対魔戦における実技演習までと幅広い。


 リリアーヌは簡素な練習着に着替えると、肩に掛かる程度に伸ばした髪を無造作に一つにまとめた。手には面と冷たい光を反射するレイピア。彼女のお得意の獲物だ。一方、ローズは基本的に銃器一般、特に小銃を好んで使うことが多い。


 しかし、今日に限ってローズは鍛錬を早々に切り上げると、聖堂の片隅にあるクラブ室の中で資料を眺めていた。リリアーヌもまた一通り身体を動かしたあと、シャワーで濡れた髪を拭きながらクラブ室へと入ってくる。


「何を読んでるの?」


 リリアーヌの問いかけに、ローズは小さく、うん、と頷き一旦顔を上げるとリリアーヌを認める。そして肩をすくめると、「君の報告書」と言った。リリアーヌは少し眉をひそめてみせる。


「先日の魔物(ヴァンパイア)? 前回の部会で報告した以上のことはまだわかってないわよ」

「わかってる」

「魔物はおそらくヴァンパイア。仲間はラテン、訛りからおそらくイタリア系ね。もう一人は東洋人。…… 三人は少なくともアイリッシュじゃない」


 リリアーヌの言葉に、ローズは不機嫌に鼻を鳴らした。リリアーヌは呆れたように溜息をつく。


 わかっているなら、何で私のレポート読んでんのよ、という言葉が喉元まで迫り上がる。普段ならば、仕事をきっちり分け、部会の報告を参照することはあっても、こうまで興味を示すことはないくせに、ましてや干渉することなんてありえないくせに。


 ローズもリリアーヌの溜息に思うところがあるのか、ばさり、と報告書テーブルの上へと投げ出した。その人差し指に包帯がまかれていることに気が付いたリリアーヌは思わず問いかける。


「その指どうしたの?」

「ああ、花鋏で切った」

「え? どうしたの?」

「だから、花鋏で切ったんだ」


 繰り返されるローズの説明にリリアーヌはわずかに苛立ちをにじませる。


「花鋏ってことは温室で怪我したってことでしょ? アナタが育ててる花の前で。ありえない(・・・・・)から訊いているの」

「……」


 黙り込むローズにリリアーヌは言葉を重ねる。


「ちゃんと言わないと治してあげない(・・・・・・・)わよ?」

「必要ない。ケガしたところをモモに見られているから」


 ローズの答えにリリアーヌは脱力するしかない。リリアーヌは、ローズの向かいのソファに腰掛けながら口を開く。


「…… ロザリーは転入生と仲良いの?」


 リリアーヌが問えば、やはり不機嫌そうに「は?」と返された。

 下級とは言え貴族の娘に相応しく上品なフレンチを喋って見せる英国人は、親しくなると言葉遣いが少々粗野になるところがある。


 しかし、今のそれが、リリアーヌの詮索に対するものか、名前をフランス風に呼ぶことに対する抗議なのかはわからない。

 なにより、リリアーヌは気にしない。そんなことをいちいち気にしていたら、ローズとの付き合いがこうも長く続いていなかっただろう。


「東洋人の、モモちゃん」


 リリアーヌは、きゅっと口の端を上げ、人の悪い笑みを浮かべてみせる。少し垂れぎみの目尻と相まって、小悪魔的な微笑みだ。ローズは少しだけばつが悪そうに視線をそらした。


「……リリィには関係ない」

「否定はしないのね。…… どういう思惑で声をかけたのか知らないけど」

「慣れない生活に戸惑っているようだから親切にしてるだけ。隣人を愛せよって」

「あら、バチカン直属のこの学校でミサをサボりまくる魔女(・・)の癖に、ずいぶんと敬虔なことを言うのね」

「君には負けるよ、世界で一番気の多い男(神様)が好きなくせに随分と健気だ」

神の愛(アガペー)性愛(エロス)は別物よ」

「いうほど別物かな? そもそも産めよ増やせよ(セックスして)地に満ちよ(子孫繁栄しろ)、とか言う割に、修道女(自分の女)純潔であれ(他の男の子供を孕むな)だなんて、エゴイスティック(不能のヒガミ)にもほどがある」

「彼が万能である(不能じゃない)ことはかの聖母マリアが証明してるし、だからといって、魔女がサバト(乱交)する理由にはならないわ」

「私は魔女ではないから自分のものに誰か()の手垢がつくの()はごめんだけど」

「独占欲が強いのも魔女の特徴じゃないの?」

「大体君はそういうけど、私が魔女ではないことは教会のお墨付きだ。君も承知のとおりね」


 苛立ち交じりのリリアーヌに、ひょうひょうとローズが言い返す。リリアーヌが煮詰まるキャラメルの瞳で睨みつけるが、ローズはどこ吹く風といった調子だ。


 リリアーヌは大きく息を吐く。

 どうせ、この魔女はいつだってこの調子なのだ。こちらが本気になるだけ無駄なのだ。

 リリアーヌは聖職者に相応しく、強固な自制心により気を取り直したようにローズを促した。


「で、どう(・・)だったの?」

「ハンカチをかしてくれた」


 ローズの簡潔な答えにリリアーヌは呆れたように肩を竦めてみせる。


「まぁ、()を確かめたかったのか訊かないでおくけど、何もなかったってこと? それにしても、わざと怪我して見せるなんて悪趣味だわ」


 リリアーヌの嘆息に、ローズは意味ありげにその緑の瞳を向けた。不可思議を見通し、人を惑わす妖眼。リリアーヌは視線こそそらさなかったが、目を眇める。


「…… 気を惹きたかったとか、言わないでよ」

「変な邪推は私だけじゃなくモモにも失礼だと思う」

「まぁ、東洋人なんて珍しいのに、ここ最近よく話題(・・・・・・・)になるから、つい」


 却って邪推を促すような台詞の応酬にリリアーヌはうんざりしたように、胡乱な視線を投げる。しかし、ローズはしれっとした様子で受け流した。


「リリアーヌだって仲がいい。いつの間にかファーストネームで呼んでいるし」

「ああ、それはモモが、私の”ハシモト”の発音がなかなか認識できないみたいで、何回か呼びかけに気が付いてもらえなかったの。だからファーストネームで呼ぶようになっただけ」


 この学園では、授業をはじめ、基本的にフランス語を使うことになっている。

 ちなみに、リリアーヌは生まれも育ちもパリっ子だ。授業や課外で使うラテン語以外は、フランス語しかしゃべっているのを見たことがない(一応、本人の申告によるとドイツ語とイタリア語は堪能らしい)。

 確かにリリアーヌにとって、“ハシモト“の最初のhの発音は鬼門だろうし、なによりもモモの発音は、何というか、独特だ。妙に抑揚がないのはともかく、鼻に抜ける音、と言うのがさっぱり理解できないらしい。


「私自身が東洋の子供を見たわけじゃないし、港町をはじめ、それこそ中国人が増えてるんだから気にしてないわ。アナタと違って何の意図もないわよ」

「……そ、」


 拍子抜けしたようにローズが呟けば、リリアーヌは含み笑いを止めることなく、更に煽ってくる。


「ちなみに、同じ理由であのおっそろしー衛兵も名前で呼んでるみたいよ?」

「恐ろしい衛兵とは誰のことだ?」


 しかし、リリアーヌの動きを止めたのは、ローズではなく、いつの間にやら後ろに立っていた青年だった。引き締められた口元と怪訝そうに眇められた眼差しは、不機嫌にも見えるが、彼にとってはこれが常の状態である。


 笑顔を想像することが難しい青年は、バチカン直属の衛兵であり、この学園の警備に従事している人物だ。


「話し声がしているというのに、ノックをしても返事がなかったので入らせてもらった」


 そう言いながら、ちらり、とリリアーヌに視線を投げ、青年はローズへと向き直った。リリアーヌは冷や汗を流しながら、衛兵から視線をそらす。青年を正面に据え、ふっとローズも真顔になった。


「ごめんなさい、気が付きませんでしたわ。ミスター、何かあったのでしょうか?」


 人一倍責任感の強い彼が、衛兵としての持ち場を離れ、この部屋に来るのは、バチカンからの書簡が届いた時だけだ。ローズが問いかければ、衛兵は首肯し、封蝋で閉じられた一通の封書と一枚の書類を突きつけてきた。


「モーガン嬢へバチカンからご機嫌伺いだ。この受領書にサインをお願いしたい」


 ローズが受け取り、封書をひっくり返すものの、宛名も差出人も、いつものように書かれていない。ただ、封蝋印には十字架に絡みつくバラの意匠が押印されている。それを認め、ローズは型にはまったような流麗な文字で受領書にサインをしたためた。


 ローズがサインをしている間に、何とか体裁を整えたように笑みを浮かべたリリアーヌは衛兵に挨拶をする。


「ボンジュール、ムッシュ。この前、モモと警備室でお茶してましたね?」


 衛兵はリリアーヌの方を見向きもしようとしなかったものの、東洋の転校生の名前がでたあたりで、ぴくり、と眉を跳ね上げた。そして、ふっと軽く息を吐き出しながら生真面目に応じた。


「…… 貴女方には関係ない、と言いたいところだが、別段、隠すような仲ではない。今度、お世話になっている伯爵の令嬢を学園へと招きたいらしい。その相談を受けていた。彼女は、勝手に学園を抜け出すことはなさそうだ」


 おそらく言外に、週末毎に姿を消す軽薄なリリアーヌと対比しての言葉であろうことを伺わせる言葉だ。賢くそれを察し、リリアーヌは黙り込む。

 衛兵は表情を変えずに彼女を一瞥し、ローズから受領書を受け取ると、やはり生真面目に「それでは失礼する」と言い残して、部屋をあとにした。


 規則正しい足音が遠ざかるのを確かめ、リリアーヌは深く息を吐き出す。


「モモってすごい。あの衛兵とお茶をするなんて」


 ローズはそのリリアーヌのへたれた態度を横目に、机の上から精緻なレリーフで飾られた銀色のペーパーナイフを持ってくると、赤い封蝋をそぎ落として開封した。

 便箋はたったの一枚。ブルーブラックのインクでタイプされたアルファベットが並んでいる。


「で、なに?」


 興味本位で覗き込んでくるリリアーヌに、ローズは便箋を差し出した。

 リリアーヌはローズの手から便箋を受け取ると、柳眉を寄せる。


「近くの森にある集落の紅葉がきれいだから、たまには遊びにでたらどうか、と。ただ、その集落には悪魔付きが出たらしいから気を付けて、だそうだ」

「久しぶりのお出かけ(・・・・)ね。こういうの、マーガレットの方が得意そうだけど」

「マーガレットにはさすがにまだ早い。ようやく14歳なんだ、あの子」

「そういうところは、お姉ちゃんぶるのね」


 リリアーヌのぼやきをローズが窘める。

 会えば口喧嘩ばかりの従妹同士に、リリアーヌは肩を竦めて見せた。

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