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私たちは頽廃している  作者: StellA
Dr.ヘルシングによる吸血行動を伴う悪魔に関するレポート
4/28

04

 日曜日に温室で出会った東洋人は、その稚けない外見からは驚くことにローズと同学年に編入してきた。


 月曜日の朝、教師に連れられてきた小柄な少女を見て、思わず目を見開けば、彼女もローズに気が付いたのだろう。どこか焦点が曖昧な視線を投げると、微かな笑み(アルカイックスマイル)を浮かべて、そしてすぐに鼻先を正面へと向けた。


 クラスに向かって、モモ・ハシモト、と耳慣れない名前で自己紹介する少女の横顔は、とてもじゃないが同年 ―――― 17歳だとはにわかに信じることができなかった。


 しかし、その日の放課後、モモは温室を訪れ、バラの香りを楽しみながら「同じ学年だったのですね」と、嬉しそうに笑うのだから、ローズとしても悪い気はしない。

 むしろ、紅茶を淹れてやり、バラの花びらを浮かべてやればモモが無邪気にありがとうございます、良い香りです、と喜んだことに気をよくしたくらいだ。


 ガーデンテーブルを挟んでカップに口をつける少女にローズはにっこりを微笑みかける。


「どうぞローズとお呼びになって。私もモモと呼んでもいいかしら?」

「はい。ぜひ」

「モモ、変わった名前ね。中国? 香港?」

「いいえ、私は日本と言うところで生まれました」

「日本?」


 そういえば、香港を経由して更に東に行ったところに、中国とはまた異なる文化を形成している島国があると聞いたことがある。パリ万博で人気を博したその国の文化は、現在(ベル・エポック)の西洋芸術界で沸き立つアール・ヌーボーに影響を与えた国だ。


「どうしてここに? ご家族のお仕事?」


 興味本位で口にしたローズに、モモはわずかに目を伏せた。前髪の影が少女の表情を曖昧にする。


 ローズは紅茶の湯気で眼鏡が曇ったふりをして、眼鏡をはずした。

 モモの髪には絢爛な蝶が彼女を着飾るように留まっている。

 ローズは再び眼鏡をかけた。


「家族は、その、随分昔 ――― 小さい頃に家族と()()()()()()に連れられて国を離れまして、中国やロシアを転々としていましたから、余りよく覚えていないのです。つい最近までは東欧にいたんですよ」


 養女として引き取られたのだろうか。

 いくつかの言い回しが多少気になったものの、奇妙に老獪したモモの態度は、ローズがさらに踏み込む質問をすることを拒んだ。


「今もその方と?」

「いえ。…… 今はとある伯爵にお世話になっております」

「そう、」


 煙に巻くように告げられ、後に続かない言葉に、ローズはさすがにそれ以上聞き出すことを諦める。


「それにしても本当に素晴らしい温室ですね」

「ありがとう。ほとんど私一人で手入れをしているから、たまに手伝っていだだけると嬉しいわ」


 ローズの誘いにモモはぱっと顔をほころばせた。

 アーモンドアイが撓む。目元を和ませる子供みたいな笑い方に、ローズは少しだけ面食らった。


「喜んで! 私、本当にバラの香りが大好きなんです」


 あまりの屈託のなさにローズは毒気を抜かれ、つられるように笑みを浮かべた。



 ***



 モモはローズに宣言したとおり、足しげく温室に通うようになった。

 なんなら、クラブ活動をしているローズよりも、温室にいる時間が長いくらいだ。


 ローズは常に笑顔で彼女を迎えた。

 なにより、モモは、科学や生物学については深い知識を持っており、バラの品種改良を手がけるローズに東西の様々な技術、それこそ胡散くさいおまじないから感心するべき最新技術まで教えてくれるのだ。


 その日も咲いたバラを、次の花を咲かせるために五枚葉の上で摘んでいると、モモが姿を現した。摘んだ花を入れるバスケットから零れ落ちた花を拾い上げ、モモが尋ねる。


「この花はどうなさるんですか?」

「そうね、ジャムかポプリにでもしようか ……っ」


 ローズは花に口付けするように香を楽しむモモを横目に答えようとして、指先の痛みに手を引く。金属音を立てて花鋏が床に落ち転がった。


 バラの香りの中にかすかに血の香が混じる。

 すっとモモの瞳に光が入った。朱を帯びた夕暮れの灯にも似たそれ。


 ローズは何かを期待するように、東洋の少女の厚めの唇がわずかに開くのを見ていた。

 しかし、次いで、震える唇からこぼれ落ちた言葉は、その場に相応しい心配する言葉である。


「ローズさん、血が …… 大丈夫ですか?」


 淡い眼光は彼女のゆっくりとした瞬きで消えた。


「手元が狂ってしまったわ」

「ハンカチを、」


 左手の指先には血の球が膨れ上がり、今にも流れ落ちそうだ。モモが慌ててポケットを探ろうとするのを、ローズは右手で押さえた。

 眼鏡フレームの外、視界の端に蝶の姿が掠めた。視線だけ投げれば、いつもの優雅さを失わないまま、しかし、威嚇するようにモモの周囲を舞っている。


 ローズはふっと口の端に笑みを浮かべて見せると、あろうことか、血が滴る左手をモモの目の前へと差し出した。


「舐める?」


 ローズの言葉に、モモは肩が弾かれたようにわずかに跳ねさせ、動きを止めた。

 動揺した素振りともとれるが、もともと感情の起伏をさらけ出すことをしない少女は、やはり、いつもの曖昧な表情を浮かべている。


 ローズはエメラルドの硬質さと脆さを兼ね備えたな眼差しで、モモの様子をじっと見つめていたが、モモは顔色一つ変えないまま、ただ、視線をローズへと投げ返した。さらには、ローズが話すフランス語が聞き取れなかったかのように、小さく首を傾げてさえみせる。


めし(bon)あがれ( appetit)


 ローズはモモの戸惑いとも言えないような沈黙に対し、本気とも冗談ともつかないような平坦な声音で言葉を重ねた。まるで、お茶菓子を勧めるように。


 モモは困惑したように、すぅと深く息を吸い、何かを言いかけて、しかし、ローズの言葉に戸惑うように、ふっと浅く息を吐き出した。それはまるで、鼻先を掠める甘ったるいバラの香りに混じる血の匂いが、こうばしい料理であったかのような感嘆にも似ていた。


「あの …… 」


 しかし、その唇から出てきたのは、血を舐めるための赤い舌でもなく、柔肌に噛みつくための獰猛な牙でもなく、困惑の言葉だ。


 ローズはそのことに、ふふ、と口の端を緩めた。いつもの彼女らしい上品な笑み。

 今度こそ、モモはローズの態度に明らかな困惑の表情を浮かべて見せた。


「冗談よ。悪趣味だった。ごめんなさい」


 ローズの謝罪にモモは緩くかぶりを振った。


「…… こちらの冗談にはまだ馴染まなくて、」

「聞いたことはないかしら? 最近、フランスの港町でヴァンパイアが出たって、」

「いえ。噂には疎くて …… でも恐ろしいですね。ローズさん、これを」


 ローズは差し出されたハンカチを一瞥した後、ちらり、とモモを見やる。

 モモはローズの意図が読めずに、わずかに眉を顰める。


 花の名前を持つ少女は自身の左手を口元に寄せると、その薄い唇を開くと、その僅かな隙間から花びらのように厚みの乏しい長い舌を出した。さらには、モモのどこか焦点が曖昧な眼差しの関心を乞うように、ローズは指の根元から指先の傷へと流れ落ちた血を舐めあげる。


 一瞬だけ、モモの頬がひくついたようだったが、ローズはそれが自分の気のせいか判断がつかなかった。


「ありがとう。大した傷ではないみたい」


 ローズは差し出されたままだったモモのハンカチを受け取ると、再び血が滲み始めた傷口へと当てる。


 モモは「いえ、良かったです」と言って、ローズが取り落とした鋏を拾い上げた。歯の先端に着いたローズの血はすでに乾き始めている。モモはそれを指先で拭うと、ローズへと向き直った。


「それでもちゃんと手当をなさった方がいいです。医務室へ行きましょう。付き添いますから」

「大げさよ。大した傷ではないわ」


 軽く流そうとするローズを、諫めるようにモモは眉を吊り上げた。まるで年下を叱る姉のような強さで説いてくる。


「いけません、破傷風になったらどうするのです」

「わかったわ。でも付き添いは不要よ。それより、残りのバラの花を摘んでおいてくれないかしら」


 ローズの頼みに、モモはぱっと表情を明るくした。

 少し眼鏡をずらしてみれば、モモの髪で休む絢爛な蝶の姿。まるで作り物のように微動だにしない。先ほどまで羽ばたいていたことが嘘のようだ。

 逆に大人しくしていたバラの精霊たちが、先のローズの言葉に不満なのか、纏わりついては髪を引っ張ってくる。


「…… 本当は自分のバラは誰にも触らせたくないの。でもモモはバラに詳しいから特別」

「はい、お任せください」


 半分は精霊たちの機嫌を取るように、ローズが言葉を重ねると、モモもまた、誇らしげに頷いて見せた。


「摘んだ花はモモの好きにして頂戴。なんなら食べてもいいのよ?」


 ローズの冗談か本気かわからない物言いに、モモは今度こそ、いつものどこか曖昧な笑み(アルカイックスマイル)を浮かべて見せた。

2021/03/14 大幅に修正

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