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私たちは頽廃している  作者: StellA
ある修道女の日記より
19/28

04

 きぃ、と蝶番が軋む音に振り返ってみれば、クリーム色のバラを手にしたモモの姿があった。


「こんにちは、ローズさん」

「モモ、今日の髪型、とてもかわいい」

「え、ありがとうございます! その、サラさんにやっていただいたんです」

「へえ、」


 少し低くなった声に気が付かず、モモは照れたようにローズから視線をそらし、しかしはしゃいだ声で続ける。


「私の髪、コシが強すぎてほどけやすいから自分では上手にできなくて」


 ローズは手にしていた花鋏をガーデンテーブルに置くと、モモへと歩み寄った。


「きれいなバラ、…… 大聖堂の中庭にはない品種だ」


 モモの手の中のバラを見て、ローズが言う。ローズの低い声に気が付いたモモは、少し焦ったように口を開いた。


「見てらしたんですか、」

「…… ずいぶん親しそうだった」

「違います! いえ、良くして頂いてるんですけど、彼らは、その、家族みたいなものです」


 ローズのいじけた物言いに、明らかに焦ったモモは慌てて言葉を重ねる。そのことに少しだけ留飲を下げたが、ローズは拗ねた表情を崩さない。そっぽを向いて見せるローズにモモは困ったように眉を寄せる。


「あの、伯爵が趣味でバラの品種改良をされているのをいただいたんです」

「…… ふうん、私のバラとどっちがおいしかった?」


 ローズの意地悪に、モモは手にしたバラを見下ろした。そして、「…… あなたに見せたくて、」と、わずかに悲しそうに呟かれれば、さすがにローズも折れるしかない。


 少し眼鏡をずらしてみれば、モモについてまわる絢爛な蝶が、非難するようにローズの鼻先を掠めた。

 大人げない自覚はあるが、反省するつもりのないローズは、それでも気を取り直すように、表情をやわらげた。


「ありがとう、嬉しい」


 モモに側寄り、バラを握るモモの手に自分の手を重ねる。相変わらずの低い体温にローズの熱が一方的に吸い込まれていく。

 モモがちらりとローズを見上げてきた。簾のような濃い睫毛が彼女の眼差しを和らげる。モモはバラを口元に寄せて、ローズを(うかが)う。


「機嫌、直りました?」


 それに答えることなく、ローズはモモが手にしたバラに顔を寄せた。

 近づく顔にモモは小さく肩を揺らしたが、身を引くような真似はしなかった。

 甘い紅茶のような(ティー系の)香りが鼻腔をくすぐる。

 ローズは自身の唇に、柔らかい花びらが掠めるほどに寄せて、モモの黒い瞳を覗き込んだ。


「多少はね、でも、…… もっと甘やかしてほしいかな、お姉さま?」


 緑の瞳を宿す目がきゅっと撓む。魔女らしい蠱惑の笑みだ。

 モモはそれに呑まれたように目を見開く。

 そして、数回瞬きをした後、ぱっとローズから顔をそむけた。



 ***



 上質な絹糸のように、ひやりと冷たい感触がローズの頬を撫でた。


 モモの両手が彼女の口元とローズの耳元を覆う。

 彼女の低い体温は一切の熱を感じさせず、それゆえに、ローズははやる動悸と裏腹な、奇妙な冷静さで彼女の行為を受け入れた。


「実は私、二十歳超えてるんです」

「…… え?」


 告げられた秘密は予想外すぎて、いつも上品さを失わないローズにしては珍しく、間の抜けた声を出した。モモはローズから身を離すと、恥じらうように目を伏せて、己の手を胸元に当てた。


「西洋の方からは東洋人は幼く見えるらしくて。国を出てから日常もままならないような不自由が多く …… 辟易していたところに、あなたがまるで一人前の淑女のように扱ってくださるから」


 モモはローズの驚嘆に満足したかのように悪戯が成功した子供の笑みを浮かべる。幼い顔立ちに似つかわしい可愛らしくも生意気な笑み。


「…… びっくりしましたか?」


 モモの問いに、ローズは頷こうとして、思い直す。

 彼女の奇妙な大人びた態度に説明が付いただけだ。


「ああ、いや、まぁ、でも納得もした」

「そうですか? 気は若いつもりでしたが、実際若い方々に囲まれるのは、どうも気恥ずかしくて、やはり、無理がありましたかね?」


 ふふ、とモモが浮かべるのは確かに落ち着いた淑女の笑み。

 しかし、その曖昧な微笑みの奥に浮かぶ、真意を読み取らせない、すべてを煙に巻くような深遠微妙な神秘性。


「いや、そんなことない。モモはかわいいよ、」


 否定しながらも、ローズは惑う。

 目の前のこれ(・・)は、本当に人なのか。自分と同質のものなのか。この幽玄さは()が纏えるものなのか。むしろ、人智ではどうしようもない、理解も制御もできない不可思議なのではないか。


 ローズの混乱をよそに、かわいらしいと評されたことを、モモは恥ずかしそうに顔を背けた。


「ローズさんが、私を対等に接してくれるどころか時に尊重してくれるのが嬉しかった。私の話をちゃんと聞いてくれて、お手伝いさせていただいたバラの交配が成功したら私の国の言葉で名前を付けようと言ってくださったとき、年甲斐もなく舞い上がってしまって、国を出て初めて(・・・)神様に祈りました。綺麗な花が咲きますようにって」


 普段は言葉少ない彼女にしては、やけに饒舌に語る。まるで愛を告げらえているようだ、と思う。


「そんな、」


 大したことしていない、そう口にしようとしたローズの言葉はモモにとって奪われた。


「あなたにとっては、なんてことないんでしょうけど」


 自嘲気味に笑うモモに、ローズは言葉を失う。


 モモの彩度も明度もない髪がさらりと流れる。

 すべての光を吸収する瞳に、密度の高い睫毛が作る影が同化する。

 体温を感じさせない赤みのない肌は、黒子ひとつなく、白磁の冷たさすら思い起こさせる滑らかさで、彼女の生をますます曖昧にした。


「どうぞ、秘密になさってくださいね」


 まるで妖精か、悪魔の誘惑のような約束をねだる声。

 ローズはそれに抗いきれず、深く頷くことしかできなかった。



 ***



 するり、とローズがモモの手を撫で、その手の中からバラを抜き取った。モモはそっぽを向いたまま、咎めるように囁く。


「ローズさん、秘密だと」

「二人きりだし、誰も聞いてない」

「……」

「ごめん、気を付けるから」


 素直に許しを乞えば、モモはようやく向き直った。しかし、ローズの様子をうかがうように、ちらりと見上げてくる視線はどこか楽しそうだ。


「…… 甘やかしてほしいんですか?」

「ああ、私はぬいぐるみがないと眠れないくらいの子供だからね」


 開き直るローズに、モモは呆れたように噴出す。


「ずるいこ、」


 モモの詰るような言葉は、しかし優しく囁かれた。

 ローズはそのことに気をよくして、しかし、言葉がもつ意味に抗議するように、手にしたバラをモモの唇に触れさせた。

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