03
穏やかな日曜の午後である。
優しい日差しが差し込む中、ローズは革張りのソファに身をゆだね、手元の本のページを無作為に繰る。
本来ならば、バラの世話をしに温室へと向かいたいところだが、マーガレットとともに組織から大聖堂へと呼び出されたのだ。
大聖堂に来たのはいいが、正式なエクソシスト見習いであるマーガレットは手伝いと称して連れていかれ、訓練生とは名ばかりで異教徒扱いのローズはクラブ室に放置である。
「いつものこととはいえ、待機させるのなら私まで呼び出す必要ないだろ」
愚痴ろうにも精霊もいない大聖堂内では、ただの独り言だ。
しかし、ローズのぼやきに応えるように、かちゃり、とドアノブの音が鳴った。
ノックもなく入ってきたのはリリアーヌだ。
ローズとマーガレットよりも先に大聖堂に来ていたはずなのに、ミサにも姿を現すことはなかった彼女は、つかつかとローズに歩み寄る。
「…… ポール・ヴェルレーヌ。詩集なんて気取った趣味、」
リリアーヌは、なんの断りもなく背表紙を掴み、ローズが手にした本の著者名を読み上げた。さらには、わずかに顔を顰めてみせ、乱暴な仕草で向かいのソファに身を沈める。
あからさまにご機嫌斜めな様子にローズは苦笑する。
ローズ自身の身勝手さは、よくリリアーヌを苛立たせているが、生来のリリアーヌは気の良い少女である。
しかし、本人たちは否定するだろうが、気が置けない友人であるローズの前では時折こうして八つ当たりじみた態度が出てしまう。なんだかんだと、リリアーヌはこの傍若無人な魔女に気を許しているのだ。
何より、ローズは気にしない。例え、自分自身がいら立たせても気に病まない彼女は、ましてや自分じゃない誰かに対する怒りを受け止める気も、慰める気もない。
「そういえば、最近亡くなったそうね。娼婦に看取られたとか、」
「毛嫌いしているわりには詳しいな」
「少年に入れあげているくせに、元妻との和解を試みるような男よ? …… ただ、才能と人格は別物なのよね」
今回は相当によくない話だったのだろう。
いつもならば、聖人らしく自分の感情を律し、気持ちを前向きに持っていくことに長けているリリアーヌが、不機嫌そうに悪態をつく。
ローズは手にした本を閉じると、リリアーヌへと向き直った。
「愛を説くのに成人男性と少年が愛し合うのが罪だなんて矛盾している」
「…… 少なくとも妻に対して貞節を護らなかったことは罪だわ」
茶化すような物言いに、リリアーヌはムッとしたように眉間に皺を寄せた。
ローズは意地の悪い笑みを浮かべる。元が整った顔立ちのため、酷薄な印象すら与える笑みだ。
「じゃあ、愛人がいる人間は数多くは罰せられていないのに、どうしてオスカー・ワイルドはまだ服役している?」
「“社会的良識に対する罪”は人が作った罪だからよ。人が作った法と罪については、主に責任も運用義務もないから罰を逃れる人もいるでしょう」
「へえ、ソドムの町は焼かれたのに」
「そもそも“社会的良識に対する罪”は同性間に限ってないわ。それに、生命を生み出さないけれども、愛を確かめる行動や行為が罪と言うのならば、それこそキスだって罪になる。個人的な見解では、風俗の乱れは結果であって、ソドムの罪は理性と貞淑を失ったことよ」
リリアーヌはそう言って、自身の左手の薬指に光る指輪にキスをする。
「どちらにせよ人は神の意志を曲解していると? もしそうなら、どうして彼は正そうとしないんだ?」
「…… 神の意志は神のみがご存じだわ」
「素直に“わからない”と言えないのか」
鼻で笑うローズに、リリアーヌはいらだちが限界に達する。頬杖をついていた手を、ぱん、とソファの肘置きに打ち付けた。
「…… もう!」
しかしローズの態度は飄々としたものだ。意に介さない魔女の態度に、リリアーヌは自身の怒りが馬鹿らしくなる。そもそも、ローズの傍若無人さに呆れ、結果的に苛立ちが沈下するからこそ、ローズの前ではつい、大人げない態度をとってしまうのだ。
そして、ローズも彼女の性分を理解した上で、煽っている節がある。
今回もまた、ふっと唇の両端を持ち上げて、上品な笑みを浮かべて見せた。
「気は晴れた?」
「忌々しいけどね!」
大きく息を吐いて、リリアーヌもローズへと向き直る。しかし、八つ当たりをした己の未熟さが照れくさいのか、ローズの顔を見るでもなくわずかに瞼を伏せた。
「で、なんだった?」
「右手に聖痕を持つ少女について」
ローズはすっと表情から悪意を消した。ちらり、と顔色を変えたローズを見て、リリアーヌはほんの少し留飲を下げる。
「気になって問い合わせてみたの。奇蹟を起こしたのなら記録に残っているはずだから」
「それで?」
促すローズにリリアーヌは少し眉を顰めて見せた。
「…… いるにはいたわ」
「どんな?」
「姉は右手、弟は左手に聖痕を持つ双子よ。二人が揃った時、過剰な不幸や病などの“呪い”を解くことが出来たそう」
へえ、とローズは興味深そうに相槌を打つ。
「呪いが解けるのなら、吸血鬼化を回復させたりできないか?」
身を乗り出す勢いのローズに、リリアーヌは緩く頭を振った。
「前例はないわ」
「…… 試してもらうにはどうすれば?」
「3年、遅かったわね、」
「うん?」
問い返すローズにリリアーヌは嘆息交じりに言葉を続ける。
「3年前に弟が亡くなったそう。姉一人じゃ奇蹟を起こせず、修道院で過ごしていたらしいけど一年もたたずに後を追うように亡くなったそうよ。二人とも生きていれば14歳。若すぎる不幸だわ」
「死因は?」
ローズによるシンプルな問いかけに、リリアーヌは再度、深く嘆息した。
「神に召されたとだけ」
「…… わからないって?」
「…… 言葉もないわ」
静寂が訪れたクラブ室に、ノックが響いた。
「どうぞ、」
リリアーヌが促せば、開いた扉から姿を現したのは、笑顔を想像することが難しいバチカン直属の衛兵だ。
「失礼する。聖リリアーヌ様へ手紙を届けに来た。ファンレターだそうだ、受領書は必要ない」
「ありがとうございます」
衛兵はリリアーヌへと手紙を差し出した。百合を模した封蝋で閉じられたシンプルな封筒だ。リリアーヌは送り主を見るが心当たりのない名前である。
衛兵は返事を書くなら自分に渡すように言い残すと、部屋を後にした。
「相変わらずの人気だな、聖女様は」
「…… 手紙をくれるようなファンは、ある程度把握しているのだけど」
揶揄するローズをリリアーヌは軽く睨むと、リリアーヌは手紙を自身の聖書に挟み、バッグへと仕舞いこむ。そのまま、ソファには座らず窓辺へと寄った。
「あら、モモだわ」
窓の外に見つけた級友の名を口にすれば、ローズもソファから腰を上げた。窓辺に立つリリアーヌに並び立つ。
窓は大聖堂の中庭に面しており、さらにクラブ室は2階にあるため、季節の花が咲く中庭を一望することができる。中庭は、ちょうど秋のバラが咲き誇っており、モモと伯爵令嬢のサラと紹介された少女が散策しているのが見えた。
「一緒にいるのは誰かしら?」
「お世話になっている伯爵の娘だそうだ」
「ふうん。イタリア人? にしては、詰まった襟元が少し時代遅れね。黒いレースの手袋は素敵だけど」
おしゃれに気を遣うイタリア貴族にしてはどこかやぼったい、と辛辣な感想を口にするリリアーヌに、ローズは窘める風でもなく答える。
「いや、ルーマニアの伯爵だと言っていた」
「そう、」
リリアーヌは気のない返事を口にする。
どちらが案内しているのか、サラに手を引かれ、バラの小道をゆくモモの姿。時折、内緒話をするように顔を寄せ合って笑っている。
リリアーヌは目を見開いた。
いつもどこか曖昧な表情を浮かべているモモにしては、屈託のないと言ってもよい笑みだ。
「…… 随分楽しそう。モモってあんな風に笑えるのね」
思わず驚きを言葉にした後、おそらく学園の中では一番彼女と仲のいいローズの様子を伺いみる。
蜂蜜色の髪とミルク色の肌、引き結ばれたバラ色の唇。こうしてみると妖精に愛されるにふさわしい秀麗な横顔だ。わずかに伏せた睫毛は長く、緑柱石の瞳から注がれる硬質だからこそ脆い繊細な眼差しの先には、東洋の少女。
「妬いてる?」
「いや?」
リリアーヌの揶揄にローズは顔色一つ変えない。
「またまた、あんな無邪気に笑うモモちゃん、みたことないでしょ」
混ぜっ返すリリアーヌに、ローズは気だるい仕草で顔を上げた。しかし、向けられたその表情に、リリアーヌは怪訝そうに眉根を寄せる。
「何その顔、」
「別に」
ローズが浮かべる表情にこそ、リリアーヌは顔を胡乱な視線を投げるしかなかった。
ポール・ヴェルレーヌ:人生自体がデカダンスな詩人。デカダンスの教祖。彼の人生は『太陽と月に背いて』で映画や舞台の題材として取りあげられていますが、まさにデカダンスって感じです。作品は素晴らしいと仏文科の友人が申しておりましたがフランス語ができないのでわかりません。
オスカー・ワイルド:耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学を代表する詩人、作家、劇作家。『サロメ』のほか、『ドリアン・グレイの肖像』や『幸福の王子』が有名。恋愛に関する名言を多々残していますが、「あえて口にすることの出来ぬ愛(同性の恋人とのあれやこれや)」により2年ほど収監されていたり、その恋人とのエピソードを鑑みると奥深いような残念なような不思議な気持ちになります。