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私たちは頽廃している  作者: StellA
ある修道女の日記より
17/28

02

「朝陽がまぶしい、」

「どうせ遅くまでつまんない本を読んでたんでしょ」


 透きとおる朝日を浴びて、溶けそうだ、とぼやくローズに、マーガレットは訝る眼差しを投げる。


「安息日だというのに、こんなに早く起こされるとは思わなかったし」

「それってミサをサボる気だったってこと?」


 二人が向かうのは白亜の壁を持つ大聖堂だ。しかし、左右の塔を正面に見据えたあたりで、ローズはふと足を止めた。


「ローズ? どうしたんだい?」


 マーガレットがローズの視線を追えば、神学校の生徒たちや地域の住民に混じって、もの慣れない二人の少女。


「あれ? モモだ。一緒にいるのは誰かな?」

「…… そういえば、お世話になった伯爵令嬢を招待すると言っていた」

「ふうん、」


 白い襟が清潔な濃紺のワンピース姿の東洋人と、クラシックなドレスに身を包んだ少女。

 モモはいつも下ろしている髪を珍しく結い上げて銀細工の髪飾りを刺している。

 一方、クラシックなドレスを装う少女は大きな帽子を目深にかぶり、黒いレースの手袋をしていた。小柄な東洋人よりも少しだけ高い背丈に丸みのない体躯は、まだ十代半ばのようだ。


 大きな帽子の少女は何かモモへと耳打ちするように、モモへと顔を寄せた。モモはくすぐったそうに肩を竦めてみせる。


 ローズは思わずムッとしたように口の端を引くと、無意識のうちに自分の頬に手を伸ばす。

 そこは、過日、モモの髪がかすかに触れた個所だった。



 ***



「ねえ、モモ、手伝ってあげようか? 君の秘密は守るから私だけに教えて?」


 過剰に甘い声音でそう告げたローズに、モモは少しの逡巡の後、すっと顔を上げた。

 神秘的な黒い瞳。まるで濡れた黒曜石のように瑞々しい黒。


「…… そうですね、耳を貸してくれますか?」

「誰も聞いてないのに」

「妖精さんがいるんでしょう?」


 とっておきの秘密なんです、と一瞬だけ怖気づいたローズに重なる誘惑。西洋人とは違う東洋人のあまり表情豊かではない、神秘的な顔立ちに浮かべられた淡い笑みは、いつぞや月明かりの下で見た夜行性の獣が持つ獰猛さを併せ持つものだ。まるで、満月の夜の妖精のように。


『彼らはとても魅力的なのよ、人を惑わすためにね』


 ローズの脳裏にリリアーヌの声が蘇る。

 その声を遮るような、モモの「ローズさん、」と呼び掛ける声。


 モモの体が傾ぎ、彼女の影がローズへと落ちる。

 鼻先を掠めるモモの清潔な香り。まるで明るい森の奥にいるかのような、瑞々しい爽やかさ。モモの髪がさらりと流れて、ローズの頬を掠める。上質な絹糸のように、ひやりと冷たい感触が肌を撫でた。



 ***



「ローズさん、マーガレットさん」


 ローズを思考の海から呼び起こすのは、脳裏に浮かぶ声と同質ながらも、甘さを感じさせない落ち着いた声。

 連れの少女の手を引きながら歩み寄るのはモモだ。


「やぁ、モモ。今日はこっちのミサに参加するのかい?」

「ええ、今日は連れもいますので」


 マーガレットの問いかけにモモは小さく首肯する。

 連れである少女はにこ、と口元に笑みを浮かべてみせる。表情に乏しいモモとは違い、どこか芝居がかった大げさな笑み。


「モモ、そちらの方は?」

「お世話になっている伯爵のご令嬢のサラさんです。サラさん、こちらは同じ学園に通うローズさんとマーガレットさんです」


 ローズの問いかけに、サラと紹介された少女は、やはりどこか芝居がかった仕草で膝を軽く曲げて見せた。少し日に焼けた健康的な肌に、チョコレート色の髪。焦がした砂糖のような瞳の色はまるで、お菓子で作られたような甘い容姿。

 ローズもまた、彼女の出自は間違いなく貴族なのだと思わせる優雅さで、カーテシーを返す。


「モモの友人のローズ・モーガンですわ。お見知りおきを。サラ嬢 …… ロレンザッチオの女優と同じ名前なのね」


 近頃流行りの舞台女優の話題を出すも、サラは困ったように眉を顰めて見せた。モモが少し焦ったように口を挟んだ。


「あ、その、彼女は声が……」

「そうなの、」


 ローズは己の失言に口元を抑え、ちらりをサラを見やる。困ったように微笑むサラは気にしないでと言うように、緩く手を振って見せた。

 気を使ったのか、モモが話題を変えるように、「あの、ロレンザッチオ、学園に入学する(ここにくる)前、パリでポスターを見ました」とローズの話題に乗ってきた。


「素敵なポスターで、サラさんと、伯爵と観に行きたいなって」

「リリアーヌは舞台を観に行ったそうよ。主人公のロレンザッチオ(男役)サラ・ベルナール(女優)が男装して演じているらしいわ」


 社交界の経験を持つローズが話題を広げれば、一瞬だけ、ぴくっとサラが小さく反応した。しかし、ローズが口を開く前に、モモが「面白そうですね、」と返す。

 さらには焦れたように無粋なマーガレットがわり入った。


「ローズ、いい加減に私にも挨拶させてよ」


 半ばローズを押しのけるように、マーガレットは前に出ると、すっと右手を差し出した。予想外の仕草だったのか、サラはマーガレットの手をまじまじと見るばかりで、握り返すそぶりはない。


 ローズは無茶ぶる従妹に呆れたふりで、わずかに眼鏡をずらし、フレームの外から世界を覗き見る。

 モモの髪飾りに留まる絢爛な蝶、サラと名乗る少女の周りには ―――― 何もいない。今のところは。


 少しだけ不貞腐れたようにマーガレットは唇を突き出した。

「握手はしてくれないのかい、まあいいけど」

 ぼやきながら手を引くと、気を取り直して自己紹介をする。


「私はマーガレット・モーガン、ローズの従妹だ …… あれ、君、」


 人の目をまっすぐに見つめるマーガレットは、サラの顔をまじまじと見つめると、小さく首を傾げて見せた。困惑した笑みで居心地が悪そうなサラを見て、ローズがマーガレットを窘める。


「ちょっと、先ほどから失礼だわ」

「どうかしましたか?」


 モモが訝しがるようにマーガレットに問いかければ、マーガレットはそばかすが浮いた鼻梁に皺を寄せた。


「いや、ちょっと、私の友達に似てるなって、親戚だったりする?」

「え?」


 マーガレットの言葉に反応したのは、大きな瞳を見開いたサラだけではない。モモもまた問いを重ねてきた。


「それは、どなたですか?」


 柔らかな物言いを常とするモモにしてはどこか強い口調に、マーガレットは少しだけ気落されたように、身を引いた。マーガレットはちらり、とサラを見やる。


「サラはどこの伯爵なんだい?」

「…… ルーマニアの、アルカード伯爵です」


 モモの答えに、マーガレットは頭の高いところでくくった髪を揺らすように頭を振った。


「じゃあ、やっぱり違うな。彼女はイタリア貴族の娘だ」


 まあ世の中よく似た人っているよね、と誤魔化すようなマーガレットの言葉に助け舟を出すようにローズがまぜっかえした。


「第一、親戚だからって似ているとは限らないでしょう。現に私たちちっとも似てないわ」


 ローズの言葉に、マーガレットはそうだね、と同意する。リリアーヌがこの場にいれば、いや、そんなことないと思うわ、とでも言いそうな金髪の過激派たちは、やはり似た仕草で肩を竦めて見せた。

 それを見て、モモは苦笑する。


「そういえば、マーガレットさんも今日はこちらでミサを?」

「ああ、私たちはリリアーヌに呼び出されたんだ。だから今日はこっちでミサに参加する予定、ね、ローズ?」

「そうね、」

「来週はあっちにいると思うよ。モモも今度こそ参加してよ」


 マーガレットの誘いに、モモはこくりと頷いた。


「そうですね、来週は彼女もお連れしたいと思います」

「え? まぁ、歓迎するけど」


 唐突なモモの申し出に、驚いたのはマーガレットだけでなはい。サラも驚いたようにモモへと視線を投げた。

 しかし、モモはサラの様子に頓着することなくよどみなく言葉を繋げる。


「伯爵が寄付を考えていらっしゃるらしくて、彼女はその視察にいらっしゃったんです」

「へえ」

「まぁ、それを名目として、私がお誘いしたんです。本当はご援助いただいている伯爵にも来ていただきたかったんですけど、伯爵は男性だから、女学院に入れていただけないらしくって」

「そうなんだ、是非、来週は来てね!」


 モモの説明に、マーガレットは納得したように頷く。サラに向かって、無邪気に笑って見せれば、サラもまた大きな笑みを返してきた。


 ローズは時計台を見上げ、「マーガレット、そろそろ時間よ」と促す。


「ほんとだ。リリアーヌに叱られる。じゃあ、またね」

「モモ、サラ嬢、ではまた」


 ローズは上品な笑みを浮かべると、少し駆け足気味のマーガレットを追うように踵を返した。

ロレンザッチオ:16世紀のフィレンツェが舞台の「メディチ家暗殺事件」を描いた物語。アルフレッド・ド・ミュッセが原作。ロレンザッチオがアレッサンドロを殺害する場面が寝室だったり、同性愛の匂わせがすごい。


サラ・ベルナール:フランスのベル・エポックの象徴的舞台女優。アルフォンス・ミュシャによる『ラ・ピュルム』誌の表紙で有名。また、アルフォンス・ミュシャは「ジスモンダ」をはじめ、彼女の舞台のポスターをたくさん手掛けています。もちろん、ロレンザッチオのポスターもミュシャが作成しています。

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