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私たちは頽廃している  作者: StellA
リリアーヌによる湖畔の町に出現した悪魔憑きに関するレポート
15/28

07

 バラが咲く温室に取り残された二人の少女。空調を管理するスチーム音が響く。

 どこか居心地が悪そうなモモに、ローズは眼鏡をわずかにずらした。相変わらず、モモの髪には絢爛な蝶が翅を休めている。


「あの、ローズさんは」

「あの髪飾り、かわいかったのに普段はしないの?」


 モモが意を決したように、口を開こうとしたタイミングで、ローズの声が重なった。

 ローズは蝶を驚かせないように、肩に下がるモモの髪に触れる。


「え? あ、あの?」 


 蝶は一度翅を揺らしたが、飛び立つような真似をしなかった。

 驚いたように身を竦ませたのはモモだ。しかし、モモもローズを咎めることはなかった。

 そのことに気をよくして、つややかな髪をローズは指先に絡ませて遊ぶ。


「パールと銀で花を模した、」


 予想外のローズの言葉にモモは戸惑う。よくわからないまま、「あれは、その、ここでは質素堅実であれと、」と、言い訳じみたことを口にするが、それもまたローズに遮られる。


「おめかしして誰とデート?」


 どことなく責めるようにも聞こえる拗ねた声音に、モモはなぜかさらに言い訳がましく弁明する。


「で、デートじゃないですっ! 誤解です! お世話になっている方にお伺いを」


 しかし、次いで発せられたローズの「ふうん、そう」というセリフには、笑いが滲んでいる。それに気が付いたモモはむぅっと頬を膨らませた。


 そのことが可愛らしくて、ローズは耐えきれずにくすくすと笑う。

 そっとロースがモモの髪を解放すれば、モモもつられるように肩の力を抜いた。


「あの、」

「何?」

「昨日は助けていただいて、ありがとうございました」

「…… どういたしまして、」


 律儀なモモにローズは口元に笑みを浮かべて応える。

 モモを見やれば、モモもまたローズの様子を伺ってくる。それに応えるように、視線で促せば、モモはおずおずと口を開いた。


「…… 訊いてもいいですか?」

「私に興味がある?」


 揶揄う口調に、モモの言葉が詰まる。困ったように眉間に寄った僅かな皺に、ローズは、さすがにやりすぎたか、とふっと小さく息を吐いた。


「ごめん、冗談が過ぎた。モモがかわいくて、つい」

「それも冗談ですか?」


 照れ隠しも交えて疑わしそうに問いかけるモモに、ローズは苦笑する。そして降参したとばかりに、両手を上げた。


「本当にごめんなさい。お詫びに何でも聞いてくれていい。正直に答えるから」


 いつになく誠実な声音で、あまつさえ、モモの瞳を覗き込むように顔を寄せる。真摯な眼差しに、モモは居たたまれないというように顎を引いた。


「えっと、あの、ローズさんはエクソシスト、ではないとは?」

「ああ、私はお手伝いをしているだけ。そもそも私の信仰心では悪魔を祓えないから、エクソシストになれないんだ」


 ローズの答えに、モモは訝しげに眉を顰めた。ついで疑問を口にする。


「…… でも植物はローズさんの味方を」

「あれは神の恩寵ではなく、世話焼きな精霊たち」

「精霊、」

「…… 今日も傍にいるんだな、君のきれいな蝶」


 モモの曖昧な眼差しに、ローズは柔らかい笑みを浮かべてみせる。モモの視線が何かを探すように宙に浮き、辺りをさまよう。自己申告の通り、彼女には見えていないのだと、ローズは確信した。


「砂糖菓子、食べるかな?」

「あの、ローズさん、私は」


 冗談交じりのローズの提案に、モモは昨日のことを思い出したのか、開きかけた口を再び閉じた。


「君の蝶をあの場で見たとき、心臓が止まるかと思った」


 ローズはモモと彼女を護る蝶を驚かさないようゆっくりと手をあげた。ローズの指先に沿ってモモの視線も動く。


「せっかく仲良くなれたのに」


 そう言いながら、ローズは指の背をモモの頬へと当てる。

 見開かれたモモの眼に、光が入る。モモの黒い虹彩に沈む瞳孔がわずかに収縮した。青みを帯びた白目に落ちる睫毛の影。


「無事でよかった」


 ローズは指の背で、モモの頬を撫でた。

 予想通りの低い体温と、例えようもない、しっとりと吸い付くような柔らかい感触。

 いつくしむとしか言いようのないその行為を、モモはまるで眠たげな猫のように目を伏せて、おとなしく受け入れた。


 しばらく、黙っていたモモは、すり、と自らローズの指先に頬を寄せた。思わず撫でる手を止めれば、モモは厚い瞼を持ち上げて、光が入った眼差しでローズを見上げる。


「ローズさんはどうしてこの学園へ?」


 モモの問いに、ローズは彼女の頬に当てていた手を引いた。モモの瞳がどこか名残惜し気に揺らぐ。ローズは口の端をわずかに持ち上げるだけの笑みらしきものを口元に浮かべて答えた。


「…… 多分、君と一緒の理由だと思う」

「え?」

「ここはその手(・・・)の情報が一番集まるから」


 にこ、と品の良い笑みを浮かべて見せた。これ以上ないほどに、それこそモナリザよりも上品な笑み。

 モモは一瞬だけその笑みに見惚れ、しかし、警戒するように、わずかに眉間に皺を寄せる。


「モモ、君は何が知りたくてここに来たんだ?」

「…… そういうローズさんは、何を知りたくてここにいるんです?」


 モモはローズの問いを肯定も否定もしなかった。ただ、問い返す。

 ローズは上品な笑みを浮かべたまま、「ヴァンパイアについて」と簡潔に答えた。

 訝し気に眉を顰めるモモに、ローズは薄い笑みを浮かべたまま言葉を続けた。


「私の生まれ育った地は、あるヴァンパイアによって汚染されている。現在、その村は地図の上では廃村に、実際は村人たちの大半が吸血鬼だ」


 ローズの告白に、モモはその口元を覆い、小さく息をのんだ。

 普段はおだやかな湖水の瞳が、純粋な結晶のように硬くて脆い輝きを宿す。


「吸血鬼禍にあるあの地をどうにかしたくて、ヴァンパイアに関する情報を集めるためにここにいる」


 そう言い切ると、ローズは表情を緩めて見せた。そして、森の静謐さを宿す眼差しをモモへとむける。やはり、反射的に目を伏せようとするモモに、ローズは手を伸ばした。


 モモの髪に留まる蝶が、わずかに翅を揺らす。

 しかし、ローズは頓着せずに、両手でモモの小さな顔を包み込む。さらには、人差し指の指先をモモの目尻に指先を添えて、彼女が瞼を伏せることを咎めた。


「だから私はヴァンパイアが嫌い、でも」


 おそらく、モモは人と視線を合わせることが苦手なのだろう。彼女の国では知らないが、中央ヨーロッパでのそれは、相手に不信感を抱かせる行為だ。彼女はそのことを理解していて、できる限り、相手の目を見て話そうとしている節は確かにあった。


 ローズはそのことを正しく理解して、だからこそ彼女の煩慮を可愛らしく見守ることができていたし、揶揄い半分、あとは練習に付き合う気持ちと、ほんの少しの下心で彼女と顔を覗き込んだりもした。


 しかし、今回に限り、ローズは容赦なく、真っすぐにモモと視線を合わせた。

 顔を固定され、体を硬直させたモモは、短く息をのむことしかできない。

 深淵の黒を思わせる虹彩、それよりも深い瞳孔。深淵を覗く気持ちで、彼女の瞳を覗く。


「君が何であってもいい。なんなら、巷を騒がすヴァンパイアでも」


 刹那、モモは何を言われたのか理解できなかったように、膠着する。ローズはぐっと身を乗り出して、モモの身体に乗り上げた。

 ローズの両手の中に納まるほどに、モモの華奢な体躯。

 見下ろすローズをモモは見上げ、反論するために口を開く。


(ちが)っんぅ」


 否定しようとするその隙をついて、頬に添えていた右手の親指をモモの口腔に差し込んだ。躊躇いもないその行為に、モモは呆気に取られて口を閉じることができない。


 ましてや、歯の間に突っ込まれたローズの指先を噛み切ることなどできるはずはない。


 否、柔らかい粘膜は、単純に人体における弱点だ。恐怖にも似た嫌悪感におされて、今にも奥歯に力を入れてしまいそうだったが、モモは必死に耐える。


 煩悶に歪むモモの表情をいっそ憐れむかのように、ローズは左手でモモの頬を優しく撫でた。しかし、ローズの右手は耐えるモモを挑発するように、無遠慮にも指先でモモの舌に触れる。


 柔らかな唇の奥、湿った吐息の中の、肉厚で少し短いそれ。


 彼女のラテン語が少し舌っ足らずに聞こえるのは、そのせいかもしれないなどと取り留めないことを思う。


 しかし、ローズがその感触を楽しむ前に、モモは驚いたように、舌を喉の奥へと引いた。

 そのことに、ローズは少しだけ残念そうに、眉根を寄せる。


 代わりに、前歯に触れた指先を、行儀よく並ぶ歯に沿わせて滑らせれば、犬歯と言うには肥大しすぎたそれ。


「糸切り歯、大きいのね」


 責める口調ではない。何なら、その声音は、砂糖菓子のように過剰な甘さを含む。


「生と死の狭間に存在する(ノスフェラトゥ)者にとって、花の生命力は血の代わりになると聞いたことがある。特にバラを好むとも」


 ローズの囁きに、モモは怖気づいたように身を引こうとするも、サロン用の小さなソファに逃げ場はない。観念したのかモモは、しかし、その強い眼光が宿る眼差しは逸らさなかった。

 真っすぐに返される眼差し。そこには、全てを射抜くような鋭いきらめきがある。

 ローズはそのことに満足して、ことさら甘い声音で問いかける。


「モモ、私が育てたバラはおいしかった?」


 モモは耐え切れないというように、ローズの手首を掴むと、その手を引きはがした。

 さほど力を入れていなかったローズは、大人しくモモの顔を解放する。


 その呆気なさに、モモは少し潤んだ眼差しで、それでも、ぎっとローズを睨みつける。掴んだままのローズの手を握り締めたまま、はっきりと告げた。


「…… 私は吸血鬼ではありません」

「そうだね。君はこの学園の敷地に入れるし、なんなら、教会で聖歌を楽しむことができる」


 頑ななモモの言い分に、打って変わって、ローズは上品な笑みを伴って、同意を示した。

 一気に霧散した緊張に、拍子抜けしたのはモモの方だ。思わず拘束していたローズの手を離す。


 しかし、ローズがこれ見よがしに、モモの口腔に突っ込んでいた親指を、自身の口元に運ぼうとするのを見、モモは慌ててローズの右手を掴んだ。そして、ポケットからハンカチを取り出すと、先ほどまで自分の口腔を無遠慮に蹂躙していた親指を、ごしごしと拭う。


「もぉ …… いったい、あなたは私をどうしたいんです、」


 呆れたように嘆息するモモに、ローズ自身もよくわからないというように、小さく首を傾げて見せた。先ほどの行為なら、月明かりを反射する白い牙を初めて見た時から、その存在を確かめたいと思っていた。そして、ちょうどモモが口を開いたから、これ幸いと触れてみただけである。


 ただ、それだけだ。

 触ると痛いとわかっているのに、バラの棘に触れてみたくなる衝動に似ている。


 なにより、彼女をよく理解しているリリアーヌに言わせれば、ローズが傍若無人なのはいつものことだ。

 しかし、ローズに言わせれば、魔女の暴挙を甘んじて受け入れるモモも大概だと思うのだ。


「怒らないの、」

「怒らせるようなことをしたと思っているのですか?」


 だからふと浮かんだ疑問を口にすれば、逆に問い返される。ローズは、自分の行動を思い返すと、小さく顎を引いた。


「さすがに。私も人の口に指を突っ込んだのは初めて」

「…… ローズさんは自分がされたら怒ることを私にしたんですか」


 まるで教師のようなことを口にするモモに、ローズは反射的に「そうじゃない、」と口にして、そして自分が何を言おうとしたのか吟味するように沈黙した。


「モモなら構わない …… 入れてみる?」


 導き出した結論に、ローズは、ぱかっと口を開けてみせる。あまつさえ、モモの手を取り口元に誘導さえしてみせれば、モモは慌てて、ローズにとられた己の手を引き、頭を横に振った。


「結構です!」

「遠慮しなくていいのに」


 揶揄するように笑えば、ついにモモは黙り込んでしまった。

 ローズは苦笑する。


 彼女を、困らせたいとも、怒らせたいとも思ってはいない。できれば優しくしたいと思っている。しかし、一方で、普段は波風を立てなることを厭う(彼女のこの性質に関して、ローズは平和主義と言うよりも事なかれ主義なのだと思っている)彼女が、自分の行動で困惑する姿を見ると、なぜか気持ちが高揚してしまうのだ。


 なにより、その姿が見たいと思えば、生来の利己的な性質が首をもたげてしまう。

 だからこそ、ローズは素直に謝罪した。


「ごめんなさい、いつもの、私の悪い癖」


 ローズは体を起こすモモへと手を差しだした。しかし、モモは警戒心もあらわに、その手を見やる。しかし、逡巡の後、モモは小さく嘆息して、ローズの手を取った。


「あまり、いじめないでください」


 彼女の懇願に対し、はぐらかす様に笑みを浮かべるにとどめた。モモもそれ以上追及することはなかった。


 ローズはモモの手を引いて、モモの体を起こすと、モモの目を見て問いかけた。


「モモは、不思議な力を持つ、右手に傷痕がある少女を探しているの?」


 ローズの質問にモモは答えない。ただ、眉を顰めるのみ。

 魔女の声音には、決して問い詰める激しさはない。それどころか、優しい、砂糖菓子のような甘さすら滲む声音で問いかける。


「それとも、それはついでで、なにか別のことを知りたいの?」


 モモはわずかに目を見開き、唇を震わせた。


「ねえ、モモ、手伝ってあげようか? 君の秘密は守るから私だけに教えて?」


 胸焼けするほどの過剰に甘い魔女の誘惑に耐えるように、モモはきゅっと唇を引き締めた。


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