06
二人掛けのソファに腰かけたモモは、そわそわと落ち着かない様子だ。
テーブルを挟んでガーデンチェアに腰かけるリリアーヌの手にはペンが握られている。
ローズは席を立って、蒸気機関の上にのせていたケトルからポットへとお湯を注いだ。ついで、ポットをゆっくりと揺らし、ティー・コージーを被せる。
「あくまばらいですか?」
舌っ足らずなモモの発音にリリアーヌは苦笑する。モモは少し考えこんだ後、合点が言ったように小さく頷いて見せた。
「…… 物の怪を退治する陰陽師みたいなもの、でしょうか?」
「…… モモの国にも似たようなお仕事があるのね。なら、話が早いわ」
陰陽師と言う言葉を知らないリリアーヌは手にしたペンをくるりと回す。
「今回は事件に巻き込まれたモモに、聞き取り調査をお願いしたくって」
「…… あまりお話しできるようなこと、ないと思いますが」
強張るモモの表情に、リリアーヌは安心させるべく、笑みを浮かべて見せる。
「モモ、思い出すのも怖いでしょうけど。でも、この学園には、招待でもされない限り悪魔の類は入ってくることができないから、安心していいわ」
「…… はい、」
それでも緊張したままの面差しに、「まあ、形式的なものだから、ね」と、リリアーヌはことさら明るい声を出した。
リリアーヌは宣言したとおり、モモの当日の行動を一通り聞いただけでペンを置いた。ローズが淹れたてのお茶をモモの前に差し出す。モモは少しだけ不安そうに、ローズを見上げた。
「あの、ローズさんも、そのエクソシストなのですか?」
ローズはモモの隣に腰かけると、モモの問いに答えることなく、ちらりとリリアーヌを見やった。リリアーヌは苦笑する。
「私は教会に所属するキリストの配偶者で、エクソシストだけど、ローズはちょっと別枠」
「別枠と言うと」
「それはあとで本人聞いて」
リリアーヌが投げれば、ローズは視線を上げる。モモに対して微笑みかければ、モモは反射的に視線をそらそうとして、しかし、思い直したようにローズを見やるとぎこちない笑みを浮かべて見せた。
ローズは思わずこみ上げる笑いをかみ殺す。モモは何かを悟ったように、むっと頬を膨らませるとリリアーヌへと向き直った。
半ば胡乱な表情で二人のアイコンタクトを眺めていたリリアーヌは姿勢を正す。
「リリアーヌさんも、ローズさんみたいな力を持ってるんですか?」
「ローズみたいなって言うと語弊があるけど、まぁ」
「その不思議な力があるからって、危険ではないのですか?」
モモの心配が滲む言葉に、リリアーヌは笑みを浮かべた。
「私は望んでやってるからいいの。ただ、主の私への愛は戦闘向きじゃないのよね、」
「戦闘向きじゃないというと、」
思わず零れたぼやきに、モモは問い返す。リリアーヌは一瞬だけ、手の内を明かす失態を悔やんだが、逆手にとって探りを入れる。
「…… もし、モモに傷があるなら治せるかも」
モモはふっと視線をローズに投げる。すました顔で紅茶をすするローズからも、モモの曖昧な眼差しからも、リリアーヌは何も感情は読めなかった。
「いえ、怪我はないので、」
「そう、」
モモの平坦な応えに、リリアーヌは深追いをしなかった。しかし、モモはふと思い直したように再び口を開いた。
「リリアーヌさんは怪我を癒すことができるのですか?」
「私というか、神の御心次第だけど」
リリアーヌの答えに、モモはわずかに眉を顰める。そして、いつになく神妙な口調で問いを口にした。
「…… リリアーヌさんとローズさん以外にも、そういう力を持つ方がはいらっしゃるのですか?」
「ええ、ローマに所属している聖人はそれなりに」
軽く返すリリアーヌに、モモは食い下がるように問いを重ねる。
「この学園にも?」
「…… まあ、女学校には数人だけど、隣の神学校は専門のコースもあるくらいには」
リリアーヌは少し身を引いた。押し隠そうとしているが、いつも穏やかなモモにしては珍しく、どことなく必死さが滲んでいる。モモは少し思案するように、指先を唇に手を当てた。
「その方の中に、傷ではなくて …… その、解毒というか、呪いを解くことできる方はいますか?」
「え?」
「いえ、解呪というのも違うかも。その、呪われたような症状を治癒できる方はいますか?」
矢継ぎ早に言葉を重ねるモモに蹴落とされたリリアーヌは思わず口を開いた。
「病を治すってこと?」
「っええ! そんな感じです」
ふいの具体的な詮索に、リリアーヌは身構える。普段ならば、リリアーヌの戸惑いを敏感に感じ取り、落ち着きを取り戻すはずのモモは、しかし、今日にいたっては少し身を乗り出した。
「その、お世話になっている方が探していらっしゃるんです。年の頃は今現在で十代半ばの女の子で、右手に傷痕があるらしいのですが、もしご存じであれば」
途中、呆気にとられたリリアーヌに気が付き、モモは我に返る。ようやく落ち着きを取り戻したモモに、リリアーヌは苦笑いを浮かべるしかない。
「ごめんなさい、知らないわ」
「…… そうですか」
途端、意気消沈するモモにリリアーヌは何とも言えない表情を浮かべる。
何か励ますような言葉を探したが、その前にばん、と勢いよくガラス戸が開いた。
「リリィはいる?」
妙に明るい声で問いかけるのはマーガレットだ。ローズは呆れたように眉間に皺を寄せた。
「……マーガレット。扉の扱いは静かに。扉は開けたらすぐに閉めて、それからそのブーツ」
しかし、マーガレットは意に介さない。ローズの小言を「また言ってる、」と切り捨て、リリアーヌの姿を認めると「リリィ、ドクターが呼んでるよ」と告げた。
マーガレット告げる上司からの呼び出しに、リリアーヌは後ろ髪をひかれながらも、腰を上げる。
ガーデンチェアの上に広げていたレポート用紙を重ねて取り上げると、モモへと振り返った。
「それじゃあ、私は失礼するわ」
「はい。ではまた」
マーガレットと連れ立つリリアーヌに、モモはぺこりと頭を下げる。
リリアーヌがローズへと視線を投げれば、アルビオンの魔女は澄ました顔で「扉は静かに閉めてね」と告げた。
***
温室を後にして、リリアーヌとマーガレットは大聖堂へと向かう。
そこにはリリアーヌたちを統括する組織の支部がある。ちなみに本部はローマにあり、基本的に組織はローマで行われる会議の結果に基づいて運用されていた。
そして、リリアーヌを呼びつけた博士は該組織に属する幹部であり、精神医学を専門とする一方で、吸血鬼研究の第一人者でもある。
「ローズは良かったの?」
マーガレットはローズの従妹だからこそ、彼女のもつ事情について、リリアーヌよりも詳しいはずだ。
「博士は君だけでいいって」
「吸血鬼関連じゃないのかしら?」
吸血鬼が絡むと面倒くささが倍増する友人を思い出す。それにゆえに、彼女に知らされる情報は先んじて精査しておきたいというのが本音だ。
「さぁ、見習いの私には教えてくれなかった」
「そう、」
マーガレットは不服そうに唇を尖らせる。年相応の子供じみた仕草にリリアーヌは笑みを誘われた。そして、ふと思い出す。
「ねぇ、マーガレット」
「何、いきなり気持ち悪いな」
リリアーヌが誰かを愛称で呼ぶときは、ろくでもないことを考えている、と言うのは、数少ないローズとマーガレットの共通する見解である。
「アナタのお友達にいつも手袋をしている子がいたわよね?」
「リタのこと?」
「リタ …… 彼女、スカウト生ではないの?」
「違うよ。第一、スカウト生ならリリィが知らないわけないだろ」
マーガレットの言うことはもっともで、リリアーヌは女学校におけるエクソシストを統括する立場にある。とはいっても、現状、女学校に在籍する正式なエクソシストはリリアーヌただ一人であり、エクソシスト候補生としてはマーガレットの他に、後輩がもう一人いるのみだ。ローズに至っては一応訓練生ではあるものの候補生ですらない。
「…… 火傷の痕は右手? 左手? それとも両手?」
「いきなり何?」
困惑するマーガレットにリリアーヌは詰め寄った。
「メグは彼女の火傷の痕、見たことないの?」
「ないよ、私はローズと違って、人が隠しているものを暴くような失礼なことしない」
心外そうに頬を膨らませるマーガレットと裏腹に、リリアーヌは眉間に皺を寄せる。確かに、エゴイストであるローズと違い、マーガレットは敬虔なカトリック教徒らしく潔癖ともいえる倫理観を持ち合わせている。
彼女たちの共通点は、思想が違えど、いずれにしても過激派であるということぐらいだ。
「…… 彼女の手袋は本当に火傷の跡を隠しているの?」
「どういうことだい?」
「聖痕ってことはない?」
「聖痕だったら隠すことはないだろう、一発聖女認定だ」
怪訝そうにマーガレットは告げ、まあ、リタは聖女とは程遠い性格だけど、と友人を思い出したのか、いつもの明るい声音で付け加える。
「そうよね、それに聖痕があるなら、ローマで保護したいはず …… 」
少し安堵したようにリリアーヌが呟けば、マーガレットは呆れたように混ぜ返してきた。
「それ、君が言うの? というか、リリィもたいがい聖女らしくないよね」
「私は望んでここにいるから良いのよ」
そう口にすれば、ふと、不安にも似た疑念が沸き起こる。
「リリィ、どこに行く気?」
マーガレットの声に、リリアーヌはいつの間にか大聖堂についていたことに気が付く。
リリアーヌはマーガレットにおざなりな返事をして、目の前にそびえたつ左右の塔を見上げた。