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私たちは頽廃している  作者: StellA
リリアーヌによる湖畔の町に出現した悪魔憑きに関するレポート
12/28

04

 ローズ・モーガンは魔女ではない、というのが、教会の正式な見解である。


 教会の見識におけるローズは、彼女に危険が迫った場合、あたかも自然が手を差し伸べるかのような偶然が幾重にも生じることで回避できるという特性を持つ、ただの幸運な少女、ということになっている。


 キリスト教社会において“奇蹟”とは神の恩寵であり、泥水をワインに変えるような確率論では計ることのできない不可思議なのだ。


 例えば、聖人として認定されている少女がいる。彼女が祈ることにより、神の人類への愛が対象者の傷を癒す。これは奇跡の発現である。

 一方で、辺りに生えた植物により、崖下への急激な落下を緩衝することは、ごくまれだが起こりうる可能性がある。したがって、ローズは奇跡を起こしていない。ましてや、悪魔との契約などしていない彼女は、魔女ではなく、ただ幸運な少女なのである、ということになっている。


 しかし、彼女の存在を知る関係者たちが、緑の瞳(妖精を視る目)を持つ彼女を『白き魔女(アルビオンの魔女)』と呼んでいることも公然の事実だ。



 ***



 ローズが立ち上がれば、モモもつられたように腰を上げた。

 何処にいたのか、ひらひらと蝶が舞い降りて、モモの肩へと留まる。

 モモはローズの視線が自身の肩口に向けられたのを見て、自身も振り返るものの焦点が定まることはなかった。


「私には彼女は普段見えていないのですが、いつも傍にいてくれてるのですね」


 モモの言葉に応えるように、蝶は一度翅を開き、閉じる。ローズはモモが選択した単語に首を傾げた。


「彼女、」

「あ、その …… ()()()()()()()()()()()()()()()がいるのです」


 言いよどむモモに、ローズはなるほど、と領得する。混乱に陥っている様子もなく、状況を素直に受け入れていると思えば、どうやら不可思議に対してある程度耐性があるらしい。


「日本にいた時から?」

「…… はい」

「じゃぁ、これは口に合うかな?」


 訝しげな表情を浮かべるモモに、ローズは上品に微笑んで見せた。


「手伝ってくれて、ありがとう」


 精霊たちの仕事に対して感謝を口にし、ローズはポケットから小瓶に詰められた砂糖菓子(ファッジ)を取り出した。蓋を開ければ胸焼けするほどの甘い香り。

 途端、その甘露に誘われた精霊たちが瓶の口へと群がった。


「 …… ?」

「精霊がいるのだけど、モモにも見える?」


 不思議そうな面持ちで、じっと手元を見つめてくるモモに、ローズが問う。モモはことさら眉間に皺を寄せてまで見つめてきたが、残念そうなため息とともに頭を振った。


「いえ、でもなんだか空気が動いているようにも視える気がするような …… 」


 曖昧なモモの困惑にローズは薄く笑って、「そう、」と答えると右の手袋の指先を噛んだ。

 モモはわずかに目を見開く。かすかに瞳に光が入った。

 しかし、ローズはモモの表情の変化に気が付かず、顎を引いて手袋を外した。粗野な仕草なのに上品さを失わないのは彼女の持ちえた性質だろう。


 モモはローズの仕草を見て、なぜかふっと瞼を伏せた。併せて揺れた黒髪に反応したローズは、モモの伏せられた視線の先を辿る。どこか曖昧な焦点、その瞳には何が映っているのか。


 ローズは過剰に欲しがる精霊たちを押しとどめ、手のひらの上に甘い欠片を数個取り出すと彼らに分け与える。


「君もいかが?」


 モモの肩にとまる蝶に問いかければ、蝶は一旦翅を広げ、しかし、ゆっくりと閉じたきり微動だにしない。


「…… 好みではないらしい」


 苦笑いを浮かべて、モモを見やれば、モモは緩くかぶりを振った。


「そんな、遠慮してるんですよ」


 モモがそう口にした途端、蝶はひらりと翅を広げて、ローズの手から砂糖菓子をひとかけ掴み、そのまま葉陰へと消えた。


「奥ゆかしいのは国民性か」

「え?」

「一粒、持っていったよ」


 ローズの報告にモモは、ふっと目元を和ませる。優しい笑み。

 蝶を見送った後、ふと、ローズは思いついたように、さらに小さな欠片を取り出すと、モモへと差し出した。


(bon)うぞ(appetit)


 いつぞやの温室と同じように差し出された指先には、今度は滴る血の代わりに、砂糖菓子が抓まれている。モモは、ローズの細く長い人差し指と親指に挟まれた砂糖菓子を眺めた後、先日同様、困惑したようにローズを見やった。


「顔色がよくない。甘いものは気持ちを落ち着かせるから」


 有無を言わせない口調で、視線をそらさずにローズは言う。

 砂糖菓子をモモの口元へ寄せると、モモはおずおずと口を開いた。その唇の隙間に砂糖菓子を押し当てれば、モモは素直にその甘い塊を口に含んだ。


 しかし、ローズはすぐにはその手を引かなかった。

 砂糖でざらつく親指の先で、閉じたモモの上唇をなぞる。モモは困惑した眼差しで見返してきたが、口に砂糖菓子を含んでいるせいか、言葉を紡ぐことはなかった。


 ローズは指先をちょうど犬歯のあたりで止める。

 動揺したようにモモのローズを見つめる眼差しが揺れた。


 くっと、親指の先に力を籠める。

 柔らかい唇の奥に感じる硬い犬歯の感触。

 それを確かめるとローズはようやくモモの唇から指先を離した。


 こくり、とモモの小さな喉が鳴る。

 砂糖菓子を飲み込んだモモが、何か言葉を発しようとした瞬間、ローズは先ほどまでモモの唇に触れていた親指の先についていた砂糖を、舌先で舐めた。

 口腔に広がる甘いミルクと砂糖の味。


「!」

「甘い。お茶が欲しくなるな」


 驚きに再び声を失ったモモに、ローズはにっこりと洗練された笑みを浮かべて見せた。

 ローズの真意が視えないモモは、ただ見返すばかり。瑞々しくも丸い黒目を見やり、ローズは思わずつぶやく。


「欲しいな」


 重ねる言葉に、今度こそ、モモはわずかに眉を跳ね上げた。しかし、その目に光が入ることなく、先ほどの動揺はどこかへ消え失せ、いつものどこか曖昧な笑みを浮かべてみせた。


「…… 十分にお持ちでしょう?」


 なにを、とは彼女は口にしない。だからローズも明確にはしなかった。ただ、すいっと目を細めてみせる。

 何かを欲しがる動機はいつだって単純だ。欲しいと思わせることは、ただ、それが魅力的であるというだけのことだ。


「欲が尽きない」


 魔女らしい言葉をモモは肯定も否定もしなかった。

 口を挟んだのは、二人のやり取りを胡乱な眼差しで眺めていたリリアーヌだ。


「ちょっと、」

「なに、」


 リリアーヌはローズの手を引くと、モモから引きはがした。


「それはこっちのセリフ、何のつもり」

「リリアーヌだって挨拶でキスぐらいするだろ、」

「あれは挨拶(キス)じゃないでしょう、」

「親愛の情を示したことには変わりない」

「とにかく不健全だわ」

「そうかな、永遠の処女を誓った女(修道女)よりもずっと健全な気がするがけど」

「どういうこと、」


 リリアーヌは、ぎっと睨みつけるが、ローズは顔色一つ変えない。リリアーヌはさらに何かを言いつのろうと口を開けて、しかし、もう一人の学友の存在を気にして口を噤んだ。


 リリアーヌは気を取り直すと、ことさら明るい声音でモモを振り返る。


「さて、後続隊も呼んであるわ。馬車を用意してくれてるだろうから、乗りつけた馬は任せて、帰りは乗せてもらいましょうよ。モモもいるし、ね?」


 乾いた笑みを浮かべながらもウィンクをして見せるリリアーヌに、ローズは笑いをかみ殺し、小さ頷くと、モモへと向き直る。


 リリアーヌの変わり身を揶揄するように薄く笑うローズにリリアーヌは苛立つが、もの問いたげな眼差しを投げてくるモモに気を使って、ひきつった笑みを浮かべることしかできなかった。

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