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私たちは頽廃している  作者: StellA
リリアーヌによる湖畔の町に出現した悪魔憑きに関するレポート
10/28

02

 街道に残る馬車の轍が崖の下へと続いている。

 ローズは手にした小銃を握りなおした。きゅっと革の手袋が擦れて音が鳴る。

 少女の手には少し大きいそれは、聖別された銀の弾丸が込められた特別製だ。


 すぃ、と森の精霊が視界を掠める。誘われるままローズが崖下を覗き込めば、片側の車輪が外れた車体が横転していた。残った車輪も地面から離れ、力なく空転している。なにより、かすかに漂う血の香り。


 つい、眼鏡を押し上げる仕草で、指先を眉間に伸ばしたが、今日は眼鏡をかけていなかったことを思い出す。クスクスと精霊が笑う声。


「辻馬車 …… 不運(アンラッキー)だな」


 誤魔化すように、一人ごちると、ローズはそのまま崖から飛び降りた。

 刹那、辺りに蔓延っていた蔓草が伸び、ローズの骨ばった手首から二の腕へと蔦を這わせる。重力に従い加速していた少女の身体が、蔓草に捕らわれてしなった。

 蔓草に支えられながら、馬車の近くに降り立てば、ローズの腕に巻き付いていた蔦は、名残惜しみ、彼女の滑らかな肌を撫でるように離れていく。


 むせ返るほどの血の香りにローズは顔を顰めた。

 横転した馬車の下には、斃れた馬と人だったもの。恰好から推測すればおそらく御者だろう。

 それらに折り重なるのは、ローズが追ってきた悪魔憑きの男だ。


 警戒しながらも歩み寄れば、馬車の上になったことが幸いしたのか、悪魔憑きの男の肩がわずかに上下している。荒い息と、喉の奥から響く唸り声。


 ローズは羽織った外套の内側から聖水を取り出し、左手に握りこむ。銃を構えたままの右手で、悪魔憑きの男の顔を向けさせれば、荒い息と裏腹に、完全に気を失っていた。


「…… ラッキー(・・・・)、なのか? このままにはしておけないけど」


 ローズの呟きに応えるように、地面から生えた蔓性の植物が馬車ごと悪魔憑きの男を縛り上げる。ローズは「ありがとう(thank you)」と呟いた。


 悪魔憑きの男に聖水を振りかければ、数度大きく痙攣した後、再び動きを止めた。

 しかし、先ほどよりも幾分か落ち着いた呼吸だ。

 以降は後発隊に引き渡せばいいだろう。


 問題は辻馬車の乗客だ。馬車の中を覗き込むも、誰もいる様子はない。投げ出されたのかと、辺りを見回してもやはり人影はなかった。もしかしたら、御者同様、確認できないだけで馬車の下に下敷きになっているのかもしれない。


 何かを伝えようとしている森の声に耳をすまし、辺りを見渡せば、視界を掠める季節外れの蝶の姿。


 ローズは目を見開いた。

 キアゲハに似た絢爛な蝶は見覚えがある。

 癖のない黒髪に留まる翅を休める姿。


 馬車を見下ろし、そして崖の上を見上げる。

 崖上をはしる街道は学園へと続く道。

 学園の生徒が街に出るためには、必ずと言っていいほど通る街道だ。自前の馬車を用意できなければ辻馬車を使うだろう。


 ざわり、と鳥肌が立つ。


「…… モモ?」


 おそるおそる名前を口にするが、応えはない。しかし、ひらひらといたずらに遊んでいた蝶がまるでローズの言葉を解したように、すいっと一本のリボンを伝うようにその高度を上げた。森の精霊たちが、蝶の行き先を祝福するように、折り重なる葉を避けていく。


 開ける木々の合間にきらりと何かが光る。


 目を凝らして蝶の行き先を視線で追えば、暮れなずむ森の闇に紛れるように、木の枝に引っ掛かる影の中にきらめく何か。蝶はその輝きに足を絡め、翅の動きを止めた。


 ローズが手をあげれば、木の枝からアイビーの蔦が垂れ下がり、彼女の体に巻き付く。そして、そのままローズの身体を持ち上げた。


 蝶が翅を休める輝きに近づくにつれ、その影が人であることがわかる。まだ子供のような小ささ。ちょうど、東洋人の少女ほどの。


 脳裏に浮かぶのは、まるで妖精のような少女。


 その肌はきめ細かく、荒れたところはおろか、小さな雀斑のひとつも見当たらない。丸みを帯びた頬にかかるぬばたまの髪は、藍や紅で何度も下染めを繰り返しさらに浸染した黒絹よりもつややかな黒。伏せた眼差しに小さな鼻。やはり小さな唇はふっくらとしており、血を刷いたような緋色。


 西洋人よりも格段に華奢な体躯。頤から首筋、襟元にのぞく浮き出た鎖骨までのなだらかな流線。


 小さな手のひらが握る花鋏、開いた花を切り落とすときに、わずかに眉を寄せる。

 まるで、花の痛みを知るかのように。


 見かけより、いや、年齢に似つかわしくないほどの大人びた物腰と、柔和な微笑み。落ち着いた声音で紡がれる理知的な会話。高い倫理観に即した勤勉な生活態度。


 だからといって、彼女はつまらない優等生ではない。

 親しみを持った者には、警戒心を忘れてしまうのか、無垢ゆえの素直な大胆さで露悪する。時には、無邪気な好奇心を曝け出しては、こちらが驚くようなことさえして見せるのだ。


 そのくせ、ソファの気持ちを代弁し、花に語りかける愛らしさ。

 なにより、差し出すバラを受け取るときに臥せられた瞼と、目元に浮かぶ甘い微笑み。


 ローズは身を震わせた。


 輝く何かを間近で見れば、乱れた黒髪を彩る銀細工の髪飾り。

 精緻な銀花に真珠をあしらった、清楚に見えて贅沢な品だ。

 そして、その花が本物とばかりに翅を休める艶やかな蝶。


 ローズは精霊たちの様子を確認した後、手にしたままだった銃をガンホルダーへと押し込んだ。


「……モモ?」


 思ったよりもかすれた声でローズが声をかければ、影は小さく身じろいだ。

 そのことに自分が思ったよりも安堵する。ローズは大仰なほど、深い息を吐いた。その溜息に追われるように、銀の花から蝶が飛び立ち、数度旋回した後、今度は近くの枝葉にとどまった。


「大丈夫?」


 ローズの問いかけに、影はその小さな頭を持ち上げた。

 小さな頭に沿う癖のない前髪がさらりと流れる。前髪の隙間から覗く重たげな瞼のアーモンドアイ。あまり感情をのぞかせないそれは、今、ローズの姿に驚いたのか、わずかだが見開かれている。

 ローズはひとまず胸をなでおろした。


「やっぱりモモだった。ケガは、痛みはない? どうしてこんなところに、」

「ローズさん ……? どうして、眼鏡は ……?」


 矢継ぎ早に問いかけるローズに、モモは答えることなく瞬きを一つ。ついで、モモの問いかけに、ローズは軽く眉を上げたが、しかし、直ぐにふっと口の端に笑みを浮かべた。


「…… 今、それを訊くということは、痛いところはないってことでいい?」


 苦笑するローズに、モモは俯いた。濃い睫毛がそれにふさわしく濃い影を作り、いつもの通り彼女の瞳に入る光を遮断した。


「は、はい。あの、すみません。私、馬車に乗っていたと思ったのですが、どうして ……」

「馬車は転落している。モモはおそらく投げ出されたんでしょう」

「え …… きゃっ?」


 ようやく自分の状態に気が回り始めたのか、モモがあたりを見渡そうと身を起こせば、がさっと枝がたわむ。バランスを崩すモモに、ローズは慌ててモモへと手を差し出した。


「掴まって、降してあげる」


 差し伸べられたローズの手に、モモは「あ、」とその小さな口を開く。まるで幼子のような表情。ローズが安心させるように口元に笑みを浮かべてみせれば、モモは恥ずかしがるように瞼をわずかに伏せた。


「ほら、手を貸して」


 モモの細い腕を引いて、自身へ体重をかけさせるように促す。モモは撓る枝に怯えているのか、強張りながらも身体を預けてきた。

 おずおずと首に回されるモモの腕は、ローズの庇護欲にも似た感情を誘う。沸き起こる衝動に従いローズがモモの華奢な体躯を抱きすくめれば、ふ、とモモのふっくらとした唇から安堵にも似た吐息が漏れる。


 引き寄せた小さな頭を己の肩に預けさせれば、きらきらと銀細工の髪飾りが目に入った。

 想像上の花なのだろうか、バラ科の花のようにも思えるが判然としない造形だ。近頃流行のモダン・スタイル(アール・ヌーボー)を想起させるデザイン。しかし、より異国情緒(オリエンタリスム)を感じさせるのは、身に着けている少女自身の持つ雰囲気なのか、それとも品物自体が彼女の祖国の業物かもしれない。


 ローズに絡む蔦が、モモの身体も飲み込むように伸びる。

 その不可思議を恐れたのかモモの身体に、再び力が入った。


「怖がらなくて大丈夫」


 安心させるために背を撫でれば、モモはびくっと小さく震える。念を押すように「怖かったでしょう、でももう大丈夫」と囁けば、ローズの腕の中で、モモの身体から力が抜けた。

 すう、と深く息を吸い込んだのか、モモの背中が緩やかに隆起する。


「ローズさんは、バラの香りがします …… おいしそう(・・・・・)


 モモのどこか陶然とした声音。

 彼女の口元が預けられた首筋が、ぞくりと泡立つ。


 それは快感と紙一重の恐怖だった。


 思わずモモの華奢な体躯を引きはがしたい衝動にかられたが、ローズはそれを押しとどめ、逆にぎゅっと彼女の身体を抱き寄せた。

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