11-2
「うううぅぅぅ……! ああぁぁ!」
家の中からうめき声が聞こえてきて、私は我に返った。
そして、取るものもとりあえず、家の中に入った。
案の定というか何と言うか、ひとりの妊婦が台所に倒れて腹を押さえていた。
状況は見れば明らかだ。
もちろん、私は出産とは縁遠い半生を送ってきた。
こんなとき、何をどうするのが正解なのか見当もつかなかった。
「おい、あんた、大丈夫か?」
私が話しかけると、彼女は苦しそうに顔を上げた。
よほど痛いのだろう、涙と鼻水が垂れ流しの状態だった。
「ハインツ? 帰ってきたの?」
彼女のダームガルス語を聞いてようやく、ここではダームガルス語しか通じないことを思い出した
(彼女は涙で視界を確保できず、強烈な陣痛と戦っていたために、甲冑を着た私を出征中の夫と勘違いしたようだ)。
「奥様、立てるか?」
「ううぅぅぅおおおぉぉぉ!!」
「待て待て待て待て!」
私は槍を放り投げて、彼女を抱え上げた。
とにかく、赤ん坊とは台所で産まれるものではない気がした。
寝室へ……と思ったが、あいにく、この家のどこに寝室があるのか、私は知らない。
慌てていたということもあって、私はとりあえずリビングに入った。
彼女を寝かせられる広い場所を探したが、見当たらなかったので、テーブルに彼女を下ろした。
「手を! 手をちょうだい!」
「え?」
私はよく分からないままに彼女の手を握った。
彼女は私の手が折れるのではないかと思えるほどの握力で私の手を握って、叫び声を上げ続けた。
「キャー!!」
戸口の方から別の女性の悲鳴が聞こえて振り返ると、こちらは妊婦ではない女性が手で口を覆っていた。
妊婦の声を聞きつけた近所の女性だろうか。
「あんた誰!?」
「え、えーっと……」
「ぐあああぁぁぁ!」
「マルティナ! 産まれそうなの?」
「わ、分かんないけど、とにかく出そう!」
「『出そう』ってあんた!」
戸口の女性は豪快に笑った。
あれ、この女性は私たちほど慌てていないようだな、と私は思った。
「で、あんたは誰なの?」
「……ジャコブ・ハーベイ」
「そう。詳しいことは後で聞かせてもらうわ。あんた、奥さんの出産には立ち会った? いや、聞くまでもないわね。とにかく、まず必要なのはお湯か。マルティナ、ちょっと待ってな!」
そう言うと、女性は名も名乗らずに去っていった。
そしてしばらくして、お湯の入ったタライを持ってやってきた。
「もし本当に産まれたら、こいつで赤ん坊を温めてやるんだよ。脱がすよ、マルティナ」
マルティナと呼ばれた妊婦は返事をするどころではなさそうだが、たぶん隣の家の婦人であろう彼女は返事など待たなかった。
私は慌てて目を逸らした。
彼女がマルティナのスカートと下着を脱がせ始めたからだ。
「あんたも手伝う気があるなら、手を握るだけじゃなくて背中を揉むくらいしておやり。あたしはフロッシュ先生を呼んでくるから、いざってときはあんたが赤ちゃんを受け止めるんだよ」
女性はそう言って再び私たちを置き去りにしようとしたが、戸口で立ち止まって、やってきた誰かのために道を空けた。
「あら、フロッシュ先生、もうお越しでしたか。ああ、ミハイル、あんたが呼びに行ってたのね、えらいじゃないか」
「お母さん、大丈夫……? あ!」
ミハイルと呼ばれた少年が私を指差して固まった。
言うまでもなく、私が家に入ろうとしたときに出くわした少年だった。
「アルトマイヤーさん、この方はどなた?」
おそらく産婆であろうフロッシュが呑気に尋ねると、アルトマイヤーと呼ばれた婦人も悠長に肩をすくめて私を見た。
「さあ? あたしも知りたいと思ってたところです」
ここまで読んでくださってありがとうございます。
第11章はもちろんのこと、物語はまだまだ続きます。ですが、ここから先の投稿には再びお時間を頂きたいと思います。
ある程度まとめてからの定期更新にするか、出来上がり次第アップする不定期更新にするかは検討中です。ただ、今回、2日に1回のペースにしてみたところ、投稿時刻直前まで推敲を重ねることになったので、今後も同じパターンになりそうな気はしています。
今後とも、寛大な心で、気長にお付き合いいただけると幸いです。