10-17
視界の右側から槍を持った人影が飛び込んできて、目の前の敵が身を引いた。
ケビンが槍を振り回していた。
普通の兵士なら、感情的に槍を振り回しても適当に受け流されて返り討ちにされるだけだっただろうが、彼は「怪力のケビン」だ。
敵は受け流しきれずに体勢を崩し、慌てて距離を取ったところを、背後からサマセットに喉を掻き切られた。
「助かった、ケビン、サマセット」
「大丈夫?」
「かすり傷だ」
斬られた右足を動かそうとすると激痛が走るが、死ぬことは以外はかすり傷だ。
……今のところ。
ほどなくして、他の部隊が私たちの応援にやって来た。
数でも声でも明らかに我が軍の方が優勢になったが、援軍を2回の雷が襲った。
それによって我が軍の士気が落ちたことは一目瞭然だった。
「ケビン、ジャコブを頼む! 医療班のところへ!」
ゴードンが喧騒に負けないように叫んだ。
私はゴードンに礼を言ったが、彼は既に新たな敵と斬り合いを始めていて、ちゃんと届いたのか確かめることはできなかった。
私はケビンに半分抱えられるようにして、乱戦状態の戦場を走った。
戦場というのは不思議な空間で、みんな基本的には自分が生き残ることを最優先に考えており、負傷した敵を無理に追おうとする輩はめったに現れなかった。
「みんなが生きたいと思っているだけのはずなのに、どうして俺たちは殺し合っているのだろう」と、このとき私はぼんやりと考えた。
私たちが相手にしていたのはどうやら第2王女ツィーノとその親衛隊を中心とした部隊だったらしい。
敵の数はざっと200。
その全てが親衛隊ということはないだろうが、このときの我々にとって脅威なのは間違いなかった。
バルヴァン侯爵の雷による威嚇はかなり上手くいっていたし、ニコラスはいまだにツィーノによって足止めされていた。
ちらりと見かけた髭の将校と少女はタッシベル伯爵父娘だろう。
少女の怯えた様子から見て、初めての戦場にショックを受けたようだが、父親が一緒ならなだめられて半神としての本領を発揮するのは時間の問題だ。
そして、こいつらにばかり気を取られていたら、城壁の外から第1王子エルロイドの軍勢が攻めてくる。
――まずいな、マイクロフトの作戦が裏目に出ている。
「負傷者です! 医療班へ!」
周りに味方しかいない場所まで来ると、ケビンは適当な兵士に向かってそう叫んだ。
「フォスターならあっちだ! 後は任せろ!」
初対面の戦友は頼もしいことを言って、私たちと入れ替わりに戦場に去っていった。
城壁の下に陣取る医療班を訪ねると、すぐにリジーのところに通された。
ケビンは私を医療班のスタッフに引き渡すと、リジーの顔を見ようともせずにマイクロフト小隊の戦場にとんぼ返りした。
リジーの治癒魔法で元気になった私も、すぐに彼を追おうとした。
「ジャコブ」
呼ばれた気がして振り返ると、リジーがまっすぐに私を見ていた。
「神様の祝福があらんことを」
リジーと別れてから5分ほど経った頃、私がケビンやマイクロフトと合流する前に、事は起こった。
「城門が破られた!」
という声が響いた。
私は戦おうと槍を構えた。
だが、周りの味方たちは一目散に逃げ出していた。
もちろん、敵前逃亡は死罪だが、そうは言っても、ひとりで敵軍に突っ込む訳にはいかない。
私は逃走する味方の波に身を任せそうになった。
だが、その直前、マイクロフト小隊の仲間たちのこと、医療班に残してきたリジーのこと、そしてローラとアリスのことが頭をよぎった。
彼ら彼女らを置いてひとりだけ逃げてはならない、そんなことをすれば、たとえこの場を生き残れたとしても私は一生後悔する、と強く思った。
小隊にはマイクロフトとニコラスがいるから、最悪、私が行かなくても自力でこの窮地を切り抜けられるだろう。
ローラとアリスは聖職者だ。
城の火事のことは心配だが、彼女たちには護衛の騎士がついている。
それに、教会が略奪を受けないのと同様、祭服を着ている限り、悪いようにはされないだろう。
心配なのはリジーだ。
彼女自身は機敏で強くて治癒魔法が使えるかもしれないが、医療班にいる連中は戦闘に慣れていない。
敵軍に追いつかれれば彼ら彼女らは皆殺しに遭うかもしれないし、そうなればリジーも無事では済まないだろう。
私は逃げ惑う人波と衝突しながら、医療班を目指した。
甲冑を着た者同士でぶつかるので、その衝撃と痛みは尋常ではなく、私は何度も怒鳴られた。
やっとの思いで先ほど自分が治療を受けた場所を視認すると、そこは既にもぬけの殻だった。
どうやらリジーたちも危機を察知して持ち場を放棄したらしい。
私は一瞬そのことに胸をなで下ろしたが、辺りを見回して、状況の緊迫性に気づいた。
私ひとりが取り残された訳ではなかったが、敵軍の声と足音がすぐそこに迫っていた。
私はがむしゃらに走った。
逃走する味方の背中を頼りに、私もまた南の門からルンデン城を脱出した。
門を出たら敵の別動隊が待ち構えているのではないかと危惧したが、そうはならなかった。
どうやらこの戦闘における敵の狙いは、我が軍の兵士をより多く殺すことではなく、どんな形であれ勝利することだったらしい。
敵がどこまで追いかけてくるか分からないので、私はとにかく城から離れるべく、走り続けた。
いつの間にか雨が降り始めていたが、ルンデン城の火は雨くらいでは収まりそうにも見えなかった。