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ダームガルス戦記  作者: あじさい
第10章 ルンデン その2
139/146

10-12

 部屋を後にする前に、私たちは段取りを確認し、口裏くちうら合わせのために、ローラの主導で細かい設定をった。


「もしも誰かにわたしと会ってるときのことをかれたら、『ヨブ記』の話をしてるって答えてちょうだい。

 解説するのはちょっと難しいんだけど、それくらいのテーマと長さがあった方が色々と辻褄つじつまを合わせやすいと思うわ。

 ハーディングさんは、ジャコブから『ヨブ記』の話を聞いてわたしに興味を持ったことにしましょう」


「『ヨブ記』?」

 ダゴスやハリントンにいた頃は文字を読めなかったし、スタンリーの語学講座では兵法や地政学(たまに算数)の本を使っていたので、ローラと話したこの当時、私はまだ聖書を自分で紐解ひもといたことがなかった。

 そして、幼い頃に行った教会で司祭が『ヨブ記』の話をしていたかどうか、私は覚えていなかった。

「どんな話だっけ?」

 全く知らない、と言うと助祭ローラ・ガレットの機嫌をそこねるかもしれないと思ったので、私はなるべく「ちょっとド忘れしたんだが」という雰囲気をかもしながらたずねた(ニコラスは全く興味なさそうに紅茶を飲んでいた)。

 たぶん私の思惑はローラにバレていただろうが、彼女はこころよく答えてくれた。


「ざっと話すとね――、

 あるところにヨブという信心深い男がいて、満ち足りた生活を送っていたんだけど、あるとき急に不幸のどん底に叩き落とされるの。

 ヨブはそれでも信仰を捨てなかったんだけど、ヨブの不幸を知って訪ねてきた友人たちが、『考えてもみよ、だれが罪のないのに、滅ぼされた者があるか。どこに正しい者で、立ち滅ぼされた者があるか』――、つまり、あなたの不幸はしゅが下した罰だ、罪を悔い改めよと言うと、ヨブは反発するわ。

 そうやって友人たちと問答を重ねる内に、ヨブは自分に罪はないのに主によって不当に罰せられているという思いを強くして、『わたしのよこしまと、わたしの罪がどれほどあるか。わたしのとがと罪とをわたしに知らせてください。なにゆえ、あなたはみ顔をかくし、わたしをあなたの敵とされるのか』と主に訴える。

 主はなかなかヨブの問いかけにお答えにならないんだけど、最終的に、つむじ風の中からヨブに『無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者は誰か』とお尋ねになり、具体例を挙げながら自らの偉業をお示しになったわ。

 そして、ヨブは恐れおののきながら主と和解するの」


「……え?」

 あまりにも唐突に話が終わったので、私は重要なことを聞きのがしたのかと思った。

 ローラは笑って言った。

「初めてこの物語に触れると、そうなるわよね。わたしもそうだったわ」

「変な話だな」

「特にどこが変?」

 ローラのひとみがきらめいた。

 ニコラスのこと以上に神様が好きなんだろうな、と私は思った。

「えーっと、神様がヨブの前に現れたところか。だって、人が不幸を嘆いたくらいで神様が現れてなだめてくれるなら、今頃世界中が神様でいっぱいになってるぜ」

 私の答えに、ローラが優しく微笑んだ。


 後に知ったが、『ヨブ記』は「なぜ善人が不幸な目に遭うのか」と同時に「なぜ人の苦しみに対して神は沈黙するのか」というテーマをも扱った物語なので、私が言ったことは、

「人間が神の沈黙を嘆いたら最終的には神が現れてくれる、ヨブ記に書かれているのはそういう安っぽいキレイゴトなんだろ」

 という意味にも受け取ることが可能だった。

 『ヨブ記』の解釈としてこれはあまりにも浅はかだった。


「良いところを突いてくるわね、ジャコブ。

 でも、主がヨブの前に現れた、ただそれだけで問題が解決した訳ではなくて、主が発しなさった問いかけの内容が重要な意味を持つの」


「何か、難しい話になりそうだな」

「ええ、話し始めると本当に長くなるし、今はあなたが最初に言った通り時間がない状況だから、続きはまた今度にしましょう」




 席を立って、いよいよ部屋を出ようというとき、アリスが言った。

「ねえ、ハーディングさん、せっかく今日はこんなに長くおしゃべりをしたんだから、これからはわたし()()もあなたのこと『ニコラス』って呼んで構わないかしら?」


「好きにしろよ」

 ニコラスがそううなって、あくびをした。

 散々「ハーディング卿」と呼ばせていたにしてはあっさりした言い草だった。


「ありがとう、ニコラス。わたしのこともアリスって呼んでちょうだいね」


 そう言って、アリスはローラの背中を叩いた。ローラが一歩前に出て、か細い声で言った。


「わ、わたしのことは、ローラって呼んでね、……ニコラス」


 私に対しては冷静に話していたし、ニコラスとだって神について議論をわしたのに、いつまで恥じらっているんだろう、と私は思った。

 ただ、顔を真っ赤にしてニコラスを見上げるローラはあまりにも可愛らしくて、このときばかりは私もローラを応援したくなってしまった。

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