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「主はこの天地を創造し、世界を愛と希望で満たしました。偉大でないはずがありません」
「今、世界が愛と希望で満ちてるって言ったか?」
ニコラスはすっかりローラに対して喧嘩腰だった。
「手前は一体この世界の何を知ってるってんだ?」
「ハーディングさん、あなたは今までに不幸な目に遭ってきたかもしれませんが――」
「不幸? そんな言葉で片付けられると思うなよ、××」
ニコラスが暴言を吐いた。
アリスが立ち上がった。
私は、彼女が手を出す前にニコラスを叱責して、ローラとアリスに謝罪した。
ローラは恋の相手から侮辱されて涙をこぼしたが、それでも反論をやめなかった。
私はてっきり彼女を、蝶よ花よと育てられたお嬢様だと思っていたが、この様子からすると、少なくとも「ただのお嬢様」ではなかったようだ。
「主はいつも最後の希望を残してくださいます。だからわたしたちは生きていけるのです」
「人間ってのはなぁ、希望があるから生きるんじゃねぇ、死ぬのが怖いから生きるんだ」
「人が死ではなく苦しくとも生を選ぶのは、生には常に希望が残されているからです。そういうものとして、主がこの世界をお創りになったからです」
「手前が恐怖も絶望も知らねぇだけだ」
「そうかもしれません。ですが、主の愛がなければ、この世の恐怖と絶望はより深いものになっていたでしょう」
「出来の悪い親ほど『愛してる』って言いながら子を殴る。神なんかいない方がこの世は平和だろうさ」
「主の愛はそのように独り善がりのものではありません。寛容で、高ぶらず、誇らず―― 」
「そんなこと俺が知るか。とにかく、俺は神が大っ嫌いだ!」
「でも、ハーディングさんが武勇に優れていらっしゃるのは、主のご寵愛をお受けになったからだとはお考えになりませんか?」
「はぁ?」
ニコラスがこちらを見た。
仕方がないので、私は再び翻訳した。
「お前が半……、他の奴らより強いのは神様のおかげじゃないか、って言ってる」
「神は何もしてねぇ。俺はクララから力をもらったんだ」
「クララって誰だ?」
私は興味本位でニコラスに尋ねた。
半神の力が誰かから与えられる類のものだったというのも驚きだが、ニコラスに力を与えたのがまさか女だったとは。
「クララっつったらクララじゃねぇか」
私の質問の意図は「彼女はニコラスとどういう間柄だったのか」ということだったが、この男はその辺の機微を理解してくれなかったし、考えてみればどうでも良いことだった。
「どうやって力をもらったんだ?」
「そりゃお前……」
ニコラスが言葉を濁してぼさぼさの頭を掻いた。
「もしかして、ヤッたんですか?」
アリスが下品なハンドサインをしながら尋ねた。
それを見たローラは、思考停止するように固い顔をした。
「いや、違う」
そう答えたニコラスは、さっきまでの威勢はどこへやら、暗い面持ちで下を向いた。
私たちは顔を見合わせてニコラスの出方を見守った。
やがて、奴は弁解するようにぼそりと言った。
「……そのことはしゃべるなってジョンが言ってた」
「しゃべるなって言われてるんじゃ仕方ありませんね」
アリスが言った。
「話を戻しましょう。ハーディング卿の様子からして、とりあえず、アンドレアス神父たちにハーディング卿を敬虔な信徒だと思わせるのは無理そうですね」
「弱みを握らせるってのは、たぶんもっと無理があるぞ」
私がそう言うと、ローラが丁寧に言葉を並べるように応じた。
「わたしの方で、ハーディングさんがわたしの前で罪を懺悔したと報告しておくわ。
視察団の神父たちがわたしの話を信じてくれるか、信じてくれたとして、それで納得してくれるかは分からないけど。
今日、ハーディングさんとジャコブがわたしを訪ねたことは、たぶんもう城中で噂になっているはずだから、ある程度説得力はあると思う。
ハーディングさんが他の神父たちではなくわたしを訪ねた理由は、ジャコブに勧められたからということにしましょう。
ハーディングさん、お願いできますか?」
「あー」
奴はいつも通りの生返事をしたが、分かっていなさそうだったので、私は三度ローラの言葉を翻訳した。
「ニコラス、お前は今日、俺の勧めでローラを訪ねて、自分の罪を告白して、悔い改めた。そういうことにしておくんだ。でないと、まずいことになる」
「何の罪を悔い改めるっていうんだ?」
「その辺は何でもいいが、とにかく人には言えないようなことだ。だから誰にも言わなくていい」
「それで、誰がまずいことになるんだ?」
今になって思うと、物理的暴力の点で誰からの支配も受けないニコラスにとって、本当の意味で「まずいことになる」事態など想定できなかったのだろう。
「俺たちみんなが、だ。だから――」
「ジョンもか?」
「もちろん、小隊長もだ。だから、お前には口裏を合わせてもらう必要がある」
「くちうらって何だ?」
もちろん、「口裏」とは話す人の心の中や事情などが推察できるような話しぶりのことで、「口裏を合わせる」とは打ち合わせて話の内容が一致するようにすることを指す慣用表現なのだが、このときの私はとっさにそれを説明できなかった。そこで、「要するに、みんなの前ではお前がローラに罪を打ち明けて悔い改めたことにしておくんだ」と言って誤魔化した。
「みんなに嘘を吐けってことだな」
「そうだ」
「嫌だ。ジョンに嘘は吐けない」
私は困ってローラとアリスを見た。
すると、ローラが言った。
「ハーディングさんがそうおっしゃるなら、やむを得ないわ。
カストバーグ子爵には全てを知ってもらうことにしましょう。
ハーディングさん、あなたの方から彼に事情を話してもらっても構いませんか?」
「小隊長には俺が話すよ」
私はローラの言葉を遮って言った。
ローラの横で、アリスが頷いていた。
「ありがとう、ジャコブ」
ローラが言った。
「たしかに、あなたから話してもらった方がいいかもしれないわね。必要であればわたしの方から改めてカストバーグ卿にお話しする旨も伝えてちょうだい」