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3月8日、私はローラを訪ねたが、ニコラスの話をすることはできなかった。
というのも、戦闘の兆しを前にして、多くの兵士がローラの元に押しかけていたからだ
(マイクロフト小隊を含む全ての部隊が、体力温存のために教練をやめていた)。
救いを求める兵士たちは朝から晩までローラを釘づけにした。
私は約束の午後7時にローラの部屋を訪ねたが、彼女はまだ大広間で説法をしている、と護衛の騎士に教えられただけだった。
大広間で助祭の説法を聞いても仕方がないので、その日はおとなしく退散した。
翌日、ダメ元でもう一度ローラの部屋を訪ねると、廊下でリジーとリヴィウスが護衛の騎士(前日とは別の騎士)と話していた。
「よう、ジャコブ」
リジーは振り返って気さくに手を振ってくれた。
「おう、リジー」
「ニコラスとは話せた?」
「ああ、うん。おかげさまで」
「どういたしまして。ジャコブもローラを訪ねてきたの? でも、今日はまだ大広間でお仕事してるらしいよ」
「そう言うお前さんも目的は同じかい?」
「うん。リヴィウスがどうしてもって言うし、あたしもせっかくだからローラに会いたかったんだけど、やっぱり人気なんだね」
リヴィウスはそっぽを向いていた。
身分の差を考えれば私から挨拶するのが当然なのだし、私の方が大人なので、私はリヴィウスに敬礼した。
「ご無沙汰しております、サルフォース子爵」
「ほら、リヴィウス、挨拶しなさい」
リジーが注意した。
リヴィウスはいかにも渋々といった様子で私を見た。
まるでゴミを見るような目だったが、人を殺した経験もないガキ相手にビビる私ではない。
むしろ、私は彼の迫力に欠ける態度を鼻で笑わないように注意した。
「久しぶりだな、馬の世話係」
リヴィウスがぼそりと言った。
何も間違っていないので私は気にしなかったが、リジーがリヴィウスをどついた。
「何だよ?」
「挨拶するときはちゃんと名前で呼びなさい」
「こんな奴の名前、知らねぇよ」
「ジャコブ・ハーベイよ。『バルディベルグの悪魔』をやっつけたすごい人なんだから、覚えときなさい」
私がリジーの言葉を訂正する前に、リヴィウスが声を上げた。
「はぁ? 嘘つけ!」
すると、間髪入れずにリジーが彼の頭を叩いた。
「ジャコブに謝りなさい」
「××!」
リヴィウスが悪態をついた瞬間、リジーが彼の顔面に裏拳をかました。
リジーがやっていたことは、たしかに現代で言うところの体罰だ。
私が思うに、暴力が行使される目的は常に、不当な暴力による被害を事前に防ぐため、あるいは被害の深刻化を防ぐためでなければならない。
だから、いつの時代も体罰は不当な暴力だ。
だが、当時の私は暴力をそこまで悪いものだと思っていなかったし、リジーの行為にも疑問を抱かなかった。
なぜなら、ハリントンで用心棒生活を送る以前から、私の身辺には暴力が溢れていたからだ。
私がそれまで被ってきた暴力に比べれば、リジーの体罰など可愛いものに思えた。
その日は私もリジー、リヴィウスと一緒に大広間まで行った。
大広間には100人以上の人が詰めかけており、私たちは場所を確保するために、立ち見の男たちを掻き分ける必要があった。
ローラが話している間、大広間はとても静かだったし、彼女には意外と声量があったので、説法は大広間にいた全員に届いていたはずだ。
だが、ローラの話が一段落するたびに、兵士たちがこぞって、
「聖女様、どうか私の苦悩をお聞きください!」
「ローラ様、私にも神の国に至る法をお教えください!」
「おお、バラのように美しい人よ!」
「後生ですから手にキスさせてください! 握手でもいいです!」
などと叫ぶので、彼女の説法には終わりが見えなかった。
ローラは全くもって疲れを見せることなく、慈悲深い助祭の顔で微笑み、いつまでも兵士たちの相手をしていた。