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リジーは夕方にまた来るとニコラスに言っていたが、私はもう会えないのだろうと思っていた。
そのため、夜になって他の隊士から小隊長が私を呼んでいると聞き、緊張しながら応接室に行ったとき、マイクロフト、ニコラスと一緒にリジーがいるのを見て私は驚いた。
「よう、ジャコブ」
リジーが片手を挙げてあいさつした。
彼女は昼にはかぶっていたスカーフを外し、淡い栗色の艶やかな髪を肩まで流していた。
こうして見ると、万人が美人と認めるほどではないかもしれないが、愛嬌のある可愛い女の子だった。
「まあ座りなよ」
リジーはまるで自分の家に居るかのように席を勧めた。
座っているのにいちいち動作が大きかった。
私がマイクロフトの方を見ると、彼は一瞬キョトンとして私を見返したが、すぐにその意を察して座っても良いと手で示した。
小隊長になったばかりで、他人に指示を出すことにあまり慣れていなかったのかもしれない。
「果実酒でも飲むかい?」
私たちが席に着くと、もてなそうと思ったのか、マイクロフトが妙なことを言った。
妙というのは、マイクロフト、ニコラス、リジーの3人を見ても、誰も酒など飲んでいなかったからだ。
飲めるものなら飲んでおきたい。
だが、私が答える前にニコラスが横槍を入れた。
「よせ、兵隊に酒なんぞ飲ませんな」
軍では上官と部下の関係のはずだが、軍務以外ではもっと親しい間柄のようだ。
それにしても、マイクロフト小隊では酒も飲めないのだろうか。
女や賭け事よりも酒が好きな私にはつらい話だ。
「酒は人類の友だよ、ニコラス。眠りや水浴と同じで、人間には必要なものだ」
マイクロフトがナイスなことを言った。
そして、自ら立ち上がって棚から果実酒の瓶を取り出した。
彼が「どうだい?」と言わんばかりに瓶を振ったので、私は遠慮なく厚意に甘えることにした。
「今日の模擬戦はニコラスがやったんだってね。ジャコブ、ケガしなかった?」
マイクロフトと一緒に1杯目を煽る私を見ながら、リジーが尋ねてきた。
模擬戦から時間を置いてから右手首に少し違和感が出るようになっていたが、こういう違和感の経験は以前にもあったし、大した痛みでもなかった。
「ああ、大丈夫だ」
だが、リジーは何かを察したのか、私の右手からグラスを取り除けた。
「診せて」
「心配ねぇよ」
ニコラスが言った。
「こんなザコ相手に俺がミスしねぇって」
彼の言葉には耳を貸さず、リジーは私の右手首に触れた。
すると不思議なことに、その瞬間に違和感が消えた。
別に筋や関節をいじられた訳ではなく、ただ触れられた感触しかなかったが、これで治ると彼女は知っているのか、すぐに手を離した。
リジーとニコラスは私の疑問など意に介さずに話している。
「心配ないなんてよく言うね。どうせ、どうやって勝ったか覚えてないくせに」
「覚えてるよ。今日のザコはみんな剣を吹っ飛ばして勝った」
「ホントに?」
リジーがマイクロフトの方を見た。
相手は貴族なのに、全くかしこまった様子がなかった。
ひょっとしてリジーはこう見えて子爵様なのだろうか、と私は訝しんだ。
「喉を捉えて勝った2名に関しては剣を飛ばしてない。それに、最後の1人には足を薙ぎ払って勝った」
マイクロフトは私の盃に2杯目の果実酒を注ぎながら答えた。
言わずもがなだが、私は恐縮して礼を述べた。
「ああ、あの……、メアリーな」
ニコラスは何か言いかけていたが、リジーを見てそれを引っ込めて言い直した。
下品なことでも言おうとしたのだろうか。
「メアリー……、ああ、彼女!」
リジーは昼に会った女戦士のことを覚えていたらしい。
私がメアリーの名前を知ったのはこのときだった。
マイクロフトが尋ねた。
「あれ? 知り合いだったの?」
「演習場で見かけただけ。話はしてない。彼女、どうだった?」
「優秀だったよ、男たち以上にね」
マイクロフトはそう言ったが、ニコラスは
「ザコには違えねぇがな」
と鼻で笑った。
私からは何も言えないので、黙っていた。
「そうだ! 彼女、呼ぼうよ」
「なんでだよ」
「彼女と打ち解けるには時間が掛かりそうだがね」
「いいじゃん、話してみたら楽しい人かもしれないよ」
「まあ、こいつよりは面白えかもしれねぇけどよ」
ニコラスが親指で私を指差しながら言った。
実際、私はなぜ自分がこの場に呼ばれたのかさっぱり分からなかったし、40年以上経った今も分からないままだ。
「おーい、サム」
マイクロフトが部屋の奥に向かって声をかけると、小柄な若者が進み出た。
「今日入隊したメアリー・アドラー嬢を、ここにお呼びしてくれないか」