宵楢萎茶菓と雨
こんにちは。私、宵楢萎茶菓と申します。ご存知の方は少ないかと思いますので、少々説明致しますと、私は「雨の日に……」というシリーズの作者はくじゃくさんでもグラタンさんでもなく、私なのです。一応、ルイくんよりは先に存在していますよ。ルイくんの方が実はネット上ではたくさんの作品を書いているんですがね。
「雨の日に……」は私の唯一の作品であり、まあ、一応、傑作と言えるでしょう。くじゃくさんやグラタンさんとの違いは「群像劇」であるところでしょうか。くじゃくさんが本当に書きたいのはあんな感じでしょうが、あれを書いたのはくじゃくさんではなく、私ですがね。
くじゃくさんが精神を病んで、あれだけ大切になさっている名前を捨てようとしたときに現れたのが私です。投げやりになったくじゃくさんが「雨」という憂鬱の象徴を題材にして、話を書くようにしたんです。けれど、くじゃくさん自身はスランプの時期で、全然文章が書けないことに悩んでいました。
そんな苦悩の末に生まれたのが私という存在です。私が代筆して書いたのが、第一話、「雨の日に傘を差さない馬鹿」です。
そこから私には雨が浸透するように物語のストーリーが染みてきたのです。
私はくじゃくさんのふりをして雨の日にシリーズを書き続けました。
登場人物に名前をつけない、それぞれの視点から物語を俯瞰する、最後には全ての物語が一つの物語となって完結する。そう、私はくじゃくさんの理想の下に生きていたのです。
……本当のことを言うと、私は私に自信がありません。当たり前です。私はくじゃくさんの抱える闇だからです。くじゃくさんの影。あの人が光を浴びるためには、私は闇の中で孤独を一人編んで行かなければならないのです。
正直、グラタンさんやルイくんが羨ましいです。彼らには各々に誇れる個性があります。「二次創作」「趣味嗜好」……彼らは光の下にあるのです。
孤独な私はあの一度きりの作品で、あとはもう影の中にいるしかできません。……私は今、こうしてここで喋っていることさえも辛いのです。
くじゃくさんは今では毎日更新もへっちゃらなスランプ知らずになりました。だからもう、私の出る幕はないでしょう。……出る幕なんて、ない方がいいのです。
ここまでそこそこシリアスに語ってきましたが、結局のところ、私が言いたいのは一つ。
私、宵楢萎茶菓の唯一の作品、「雨の日に……」シリーズを、皆さまに是非とも一度読んでいただきたいのです。
あれは影だったからこそ書けた私の作品だとくじゃくさんは言ってくれました。くじゃくさんの作品と名乗ってもいいのに、くじゃくさんはあの作品だけは私に譲ってくれたのです。
というわけで、光あるところに影あり。私、宵楢萎茶菓は決して消えないということを今ここに宣言するのです。
晴れの日もあり、雨の日もあるように。
台風一過の後には大快晴が待つように。
作品を書かなくても、私、宵楢萎茶菓は九JACKファミリーの中に存在するのです。
番宣だったという事実。