水蛇との戦い(1)
水蛇は蛇というよりむしろ山椒魚に似ていた。
暗い水底を自在に動き回るため、大きさをはっきりと把握することはできなかったが、男の身の丈を優に超えていることは確かだった。
「畜生! まだ水蛇が一匹残っていたか!」
オリヴィエは腰に佩いた剣を抜き放つと水音を立てて、水蛇めがけて切りかかっった。松明が宙を舞うがそれを絶妙の一瞬、ダオレが後ろ手で拾った。
そして灯りに、口にするも憚られる野生動物独特の異形が姿を現し、思わずオルランダは目を覆った。
その山椒魚のようなモノは「モノ」としか形容したくはない存在で、左右非対称の腕は三本生えており其処には膜のような水かきがあったのみならず鋭い爪が、松明の灯を照り返していた。
滑る表皮は鰓蓋があり、肉色をした鰓が見え隠れしている。
表皮自体はこの灯りの下でも見える範囲では斑の柄、紫、緋、黒の入り混じった塗のような毒々しい薄っぺらい皮で、そこには野生動物特有の歪に重なった多重の造作の顔面がグロテスクに付いていた。
爬虫類のような金色の眼と言えば複眼で瞼が半透明の下瞼のみ、ぎょろぎょろと動くのはこの生き物が確かに野生動物であるということを訴えかけていた。
長く尖った背鰭は強固な膜を形成し、浅瀬を移動する際には目安になるように不快な音を立てていた。
水蛇は特に避けたりもせず、オリヴィエが切りつけたところからどろりと腹部の内容物が漏れ出したが、別段その行動には変化もなく水音を立ててより深みへと後退した。
アルチュールは背中にミーファスを背負っているせいで、この戦闘には参加することができないので残りの三人に任せるしか歯がゆいが選択肢は無かった。
「オルランダさん、松明です! 持って!」
ダオレは水蛇の異形に畏怖し、立ち尽すオルランダに松明を預けると、鉈を両手で構えた。
「ダオレ、オリヴィエとやらの実力が未知数の今頼りになるのはお前だ! 行けそうか?」
「ぼくは野生動物の特性をまだよく理解はしていません、ただやるしかないでしょう!」
暗黒の淵では水蛇が背鰭を見せながら旋回しているのが、オルランダの手のした松明の微かな灯りを反射している。
「オリヴィエ、アンタはどうなんだ? 剣には自信はあんのか!?」
「おれは論客で剣は嗜む程度に過ぎない、ただ――」
「なんだオレと同じじゃねえか、ただ、何だ?」
もう一度水蛇が黒い水面を割って飛び出してきた。
『傷』は塞がっていた。
再びオリヴィエの白刃が松明の炎を反射する。
水蛇は水を出ればひどく愚鈍だった。
「水蛇と闘ったのは初めてじゃない!」
白い閃きが毒々しい多重の口腔の一つを捕らえると、歯のないそれに深々と押し込んだ。
「延髄を捕らえた!?」
ダオレは歓喜したが、オリヴィエはいまいち手ごたえを感じていないようだった。
「外したか!」
「莫迦な、喉の奥は延髄じゃないのか!」
ゴーシェはがなったが、オリヴィエはあくまで冷静に剣を返した。
紫の体液を撒き散らしながら、水蛇は再び着水した。
高く水柱が上がる。
「水蛇の脳は頭とは限らない、以前闘った個体もそうだった」
「脊髄の塊が体を制御しているのか、コイツ!」
「そうだ、だがその塊が何処にあるかは個体によって不明だし、異様な回復力を持っている」
「その、ようですね――」
ダオレは再び水から姿を見せた水蛇の目を切り裂いた。
再び紫の体液が迸る。
「これは文字通りのばけものだ……お前達三人だけに任せている私が歯がゆい」
その場を動けないアルチュールは水蛇との戦闘を見ながら、そっとそう呟いた。
それはオルランダも同じだった。
己は参加できない戦闘をただ見ていることしかできないもどかしさ。
飛び散った体液をゴーシェは黒いマントで遮ると、液体のかかった部分はみるみる腐食していった。
「強酸なのか、コイツの体液は!」
だが好機と黒く染まったグラムは重々しく振り下ろされ、鰓蓋を切り落とすように左側面をそぎ落としす。
「こうなったら三人がかりでこいつを膾に刻むしかありませんね!」
そう言ってダオレは鉈を振り下ろして腕の一本を捕らえた。
鉈は熱したナイフがバターを抉るように骨肉を切り落とした。
「いいぞ、切り落とした腕はもう生えてこない!」
オリヴィエは叫ぶと、飛び散った体液を避けながらぱっくり開いた口の下の部分に、剣を突き立てた。
「当たりのようだな……」
ゴーシェの観察眼が、水蛇の異常を捉えていた。
突き立てた剣をオリヴィエが引き抜くと、水蛇の体液は滝のように流れ出てきた。
だが、水蛇は傷つけられたことで敏捷さを増した。
再び水面を潜るとダオレの足元へ一瞬で現れる。
これには流石のダオレも避けられなかった、刹那、鉈を構えるとそれまでの腐食で穴の空いたマントで防禦するほかになかった。
「ダオレ!!」
オルランダは叫んだ。
そのとき、手にした松明は水蛇に向かい火球を凄まじい速度で放ち、あっという間に水蛇の頭部は炎に包まれた。
ぬめる皮膚は一瞬にして熱により乾燥し、萎びて燐の臭いが立ち込めた。
バランスを崩したダオレは浅瀬に尻餅をついたが、無傷であった。
「これが神の左手……」
オリヴィエは呟いた。
「オルランダ! 大丈夫か」
「ええ、私は……」
アルチュールの問いにオルランダは呆然としながら応えた。
だがゴーシェとオリヴィエは背中合わせになって互いに剣を構えると、再び水蛇の追撃に備え始めた。
「仕留めたのではないのですか!?」
「ダオレ、こいつ……燃えながら生きてやがる」
ゴーシェの言った通りだった。
消えない炎に焼かれながら水蛇は再び水に潜るとゴーシェ達を攻撃する隙を窺い始めた。