ミーファス
アーシュベック枢機卿は聖堂騎士団の本拠地である『大聖堂』に戻って来る道すがら、出会った二人の男を思い返していた。
一人は言うまでもないフォン=ボレスキン伯爵、近衛隊の副長であり昨今は謹慎中であったというが、都に戻ってきたというわけだ。
ふん、謹慎とはまた不道徳な。
そして彼が連れていた赤い瞳が印象的な青年。
初めて見る顔だったが、奴隷というのは嘘で佩刀しているからには相応の身分には違いなかった。
思うに伯爵の護衛といったところか、だがあの剣は――あまりに禍々しすぎる。
いったい何者だ?
枢機卿が聖堂に戻ると大勢の信者たちが恩寵に与ろうと、彼に殺到するのが常だった。
聖堂騎士団の中でも高位の者達がそれを掃うのだが、枢機卿は十字を切って彼らに応えた。
ようやく自室に戻るとマントを脱いで、法衣姿になったアーシュベックは早速仕事に移ることとした。
「捕縛した汎神論者の尋問は?」
影のように現れた彼の片腕の僧侶――オリバーは頷いた。
「枢機卿のお帰りを待っておりました、まだ行われておりません」
「では早速始める、牢に繋いであるのか?」
「はい、懇ろに」
オリバーの答えを聞くや否やアーシュベックは自室を出て長い廊下を歩き、巨大な黄金の十字架を据えた聖堂に出た。
礼拝時は信者でごった返すそこは今や無人でがらんとした空間だった。
アーシュベックは説教壇まで行くとそこの陰にある引手を引いた、すると説教壇が動き地下牢へと続く階段が現れた。
何せ汎神論者や、教団の敵対者に地下牢で尋問――その後さらに口外するのも悍ましいことも、していることは信者には秘中の秘なのだ。
彼が階段を下っていくと、オリバーが燭台を持って追いかけてきた。
ミーファスという男は鎖に繋がれじめじめとした地下牢の一番奥に居た。
まるで女のように整った顔立ち、形の良い眉根の下長い睫毛に縁どられた紫色の瞳が今は怒りに燃えている、癖のない黒い髪は艶やかに頬や肩に零れ落ちていた。
アーシュベックはミーファスの目の前まで近づくと、胸に軍靴で蹴りをお見舞いした。
「―――――っ!」
ミーファスはごぼりと喀血し、形の好い唇から幾筋か赤い血が流れ彼の白いシャツを汚した。
「ミーファスというのは本名ではないな?」
アーシュベックは有無を言わさず訊いてきた。
「また、お前が奴隷もしくは流民の出だということも調べがついている」
「身分が何だというのだアーシュベック卿、わたしはただのミーファス(フォーマルハウト)に過ぎない」
顔に似合わず低めの声音でミーファスは答えた。
「黙れ! お前の本名は単なるネロスだ! 騎士団の情報網を甘く見るなよ! さあ言え、お前は奴隷か? 流民か?」
「如何にも両親が付けた名はネロスだがその名に意味はない。そしてわたしの生まれた階層にも意味はない、知ったところで待遇が変わるわけでもあるまい?」
「減らず口を!」
オリバーは思わず手を上げたが、アーシュベックは制止した。
「待て、この男の顔は傷つけるな、体だけにしておけ」
「何故です!?」
「この男のカリスマ性はこの容貌から来ている、顔は最後のお楽しみだ」
「フフフフフ、枢機卿もなかなか異端審問官として優秀でいらっしゃる、なるほど……」
そのやりとりをミーファスは唾棄すべきものとして見ていたが、やがて口を開いた。
「いにしえの異端審問が聞いて笑う、ただの拷問でわたしの意見は何一つ聞こうとしないではないか」
「さあな、その異端審問もなかなか苛烈なものであったと聞いているが?」
アーシュベックは背後の燃え盛る焔に包まれた炉から、真っ赤に焼けた火箸を取り出した。
「オリバー、その男のシャツの前を開けろ!」
僧侶は言われた通りミーファスのシャツのボタンを弾き飛ばして、上半身を露出させた。
そこにあったのは異様なほど白い肌と、あまり筋肉の付いていない痩せた胸板だった。
「綺麗なものだな、火傷の痕のつけ甲斐があるというものだ」
アーシュベックはちりちりと熱を放つ火箸をミーファスの胸に押し付けようと近づけた。
※※※
「オルランダ! 大丈夫か?」
「アルチュールさま、ゴーシェ!」
オルランダの寝かされていた寝室に戻ってきた、ゴーシェとアルチュールが入ってきた。
「あわわわわ……ゴーシェさん、アルチュール伯、オルランダさんの熱中症はすっかり良くなりましたよっ」
ダオレが慌てて補足した。
初めてではないがやはり女の格好をしたオルランダには、ゴーシェは緊張しているようだった。
あまりその寝間着姿をゴーシェがじっと見ているので、
「何よ私が何か珍しい動物にでも見えるの?」
オルランダは思わず照れて言い返してしまったがのだが、ゴーシェはぷいと顔を背けてしまった。
そんな二人に構わずアルチュールは話し始めた。
「恐らくミーファスは捕らえられて聖堂騎士団の本拠地『大聖堂』に囚われていると思われる」
「そこに攻め入ってミーファスさんを助けられる可能性は?」
ダオレは質問した。
「無理だ、万に一つもない。それだけ『大聖堂』は難攻不落だ」
「ミーファスとやらと合流できないなら、都に来た意味もあんまりねえな。で、どうやって助けるつもりだ、アルチュール?」
ゴーシェの問いにアルチュールは眉間に皺を寄せた。
「今それを考えている!」
「では取引しましょうアルチュール」
その声に皆一斉に部屋の入り口に視線が釘付けになった。
そこには黒衣の少女、アルチュールの従妹。
「アーリャ・ミオナ……! 都に来ていたのか!」