第六話 北のキャンプにて -2-
「俺たちは管理人の依頼で、辺縁の北をおおまかにカバーする地図を作っていた。このあたりは少し入り組んでるから、需要が見込める」
道を急ぎながら、クーパーは説明する。はぐれた仲間はティンという名前だそうだ。撤退してくる途中、キャンプから四半刻程度の地点で、その姿が見えないことに気づいたらしい。
「民家がある分アンデッドも、死角も多い。危険な地帯だ」
「それで、不覚を取ったってことか」
「否定はできないが、それだけじゃない。さっきも言ったが、厄介な敵に遭遇したんだ。いや、襲われたって方が正確かな」
確かにそう言っていた。これまで見たアンデッドとは違うのだろうか?
「住民型。探索者型。俺たちはそう呼んでるが、コイツらはよく見るし、群れなければそこまで危険じゃない。だが俺たちがやられたのは、もっと危険な奴だ。探索者連中には、〝グランデ〟と呼ばれてた気がするな」
「大きいって、どれくらい?」
リズが尋ねた。
「身長は大人の倍。見た目の迫力は十倍ってとこだな。おまけに結構素早い」
そういうのは先に言って欲しかった。しかしいまさらやめますと日和るのも情けない話だ。
「普通のアンデッドでも人間より力が強い。迫力が十倍なら、腕力もそれだけあるかもね」
トーヤが言った。常人基準で考えても、十倍の腕力で殴られたら、骨の三本や四本はまとめて粉砕されてしまうだろう。クーパーの仲間たちはきっと、まだしも幸運だったのだ。
ハキムたちはさらに歩いた。道はやがて石畳の大きな通りへと合流し、南、すなわち防壁内の旧市街へと伸びている。もし都市の住民が全てアンデッドになってしまったのだとしたら、人口密度の多い旧市街は、さぞかし恐ろしい状態になっているだろう。
灰色の石畳の表面は滑らかで、幅も広い。アルムやその近辺ではあまり見かけない立派な街道だ。往時は大勢の人や馬車が行き交い、さぞ賑やかだったに違いない。しかし今はただひたすらにがらんとしていて、広さがそのまま空虚の大きさとなっている。
街道をしばらく進んで行くと、ハキムたちはやや開けた空間に出くわした。エーテル灯に囲まれた、円形の広場だった。ここはどうやら、東西南北から伸びてきた道の交差点となっているようだ。広場の中央には噴水が見えた。
ハキムが慎重に近寄ってみると、それは意外にも水を湛えていた。柔和に微笑む女性を象ったオブジェが、欠けた顔でこちらを見下ろしている。
「地下水かな」
トーヤが呟く。ハキムが頭上を眺めていると、はるか遠い岩の天井から一滴の水が落ち、泉に波紋を作った。広場に響くわずかな水音。ハキムが泉の中に光るものを見つけ、手を入れて探ってみる。水は氷のように冷たい。底には古代の銅貨が一枚沈んでいた。
「ティンとはぐれた場所までは、あと少しだ」
クーパーが前方に油断なく目をやる。彼は間もなく目を細め、毒づいた。
「待て……。クソ、敵だ」
ハキムたちの進行方向から、二つの人影が近づいてくる。
「こっちからもだ。アヤメ、下がってて」
左から三体。ハキムが右に目を走らせると、さらに三体。南、西、東から合計八体のアンデッドに囲まれた形となる。極端に大きな身体を持つ敵はいない。しかしこれまでに遭遇したことのない数だ。
「ヤツら、待ち伏せする知能があるのか?」
ハキムはキャンプへの道中で拾ったメイスを構えた。この数相手となれば、自分も多少は働かなければならない。
「分かんないけど、とりあえず切り抜けなきゃ」
「よし。クーパーは前のを頼む。トーヤは左。リズは俺とこっちの三体を片付けよう」
挟み撃ちにならないよう、ハキムたちはそれぞれ噴水を背にして敵に向かい合った。アンデッドたちは躊躇することなく輪を狭めてくる。三対の濁った目がハキムに向けられた。彼らは実際に視ているのだろうか。それとも何か、別の方法で人間を感知しているのだろうか。
ハキムはまずリズを下がらせた。一体との間合いを詰め、大雑把な攻撃の動作を見切って一気に踏み込む。そのまま相手の脇下を抜けるようにして、低い姿勢ですれ違いざまに右膝を叩いた。
骨の砕ける手ごたえがあり、アンデッドは膝をついた。ハキムに掴みかかろうとするがバランスを崩し、地面に倒れる。
接近戦は久しぶりだが、意外となんとかなるものだ。
次は左右に二体のアンデッド。一体が振り回した腕を、ハキムはメイスの柄で受ける。しかし意外に重い一撃で、ハキムは後方に二、三歩よろめいた。手がビリビリと痺れ、メイスを取り落としそうになる。
別のアンデッドが追撃するように噛みつこうとしてくるのを、ハキムは後方に転がって避けた。
「リズ、やれ!」
そのまま地面にしゃがむような姿勢でいるハキムの頭上を、熱風が通り抜けた。アンデッドたちの乾いた皮膚がチリチリと焦げ、ところどころ小さな炎を上げながら萎縮していく。苦しむような素振りも見せないまま、魔術を受けたアンデッドたちは倒れた。
二体の無力化を確認すると、ハキムは先ほど膝を砕いたアンデッドの頭に、とどめのメイスを二度振り下ろす。頭蓋が砕け、まだ水気を保っていた脳が漏れ出した。
「案外力が強いな。腕が折れるところだった」
「ヒヤっとさせないで」
ハキムは痺れた手をブラブラと振って感覚を取り戻す。動きが遅いからと油断した探索者が、膂力で殴り殺された事例は少なくないだろう。元人間とはいえ、怪物には違いないのだ。
「おい、無事か」
前方からのアンデッドを処理したクーパーが駆け寄ってきた。トーヤの方を確かめると、二体のアンデッドをバラバラにし、残る一体の頭を割ったところだった。
「こっちにティンはいないみたいだ」
アンデッドたちの残骸を確かめると、探索者型は一体いたが、それもクーパーの仲間とは別人であるようだった。残りは全て住民型で、剥げるものもほとんどない。
「アイツがまだ無事だといいんだが。とにかく先を急ごう」
ハキムたちは濃い死臭の漂い始めた広場を抜け、さらに南へと進んだ。
◇
「で、どこでどう襲われたんだ?」
ティンの痕跡を探しながら、ハキムはクーパーに尋ねた。いつグランデや他のアンデッドが現れるか分からない。警戒しながらの行動だ。
「通りを歩いてたら、突然建物の壁をぶち破って出てきたんだ。二人が怪我をして、ティンが囮になってなんとか撒いた。そのあと、運悪くさっきみたいな集団に襲われてな」
それをなんとか切り抜けてきたが、あまりに必死で逃げたため、一人足りないことに気づくのに時間がかかったのだという。
「戻るかどうか迷ったんだが、結局、怪我人をキャンプに送り届けることを優先した。ティンには謝らなきゃあいけない。でもアイツとも古い付き合いだ。分かってくれる」
クーパーの言葉からは、彼と仲間たちとの厚い信頼関係が窺い知れた。
それからハキムたちは大体の見当をつけた場所で止まり、ティンの居場所が分かりそうな手掛かりを探した。ランタンを地面に近づけ、石畳を舐めるように調べていく。
やがて、リズが地面に垂れた血痕を見つけた。乾いてはいるが、そこまで古いものではなさそうだ。量はそれなりで、致死的というほどではない。この血を垂らした人間は、おそらくまだ生きているだろう。
血痕の周りを調べると、少し離れた場所に別の血痕が見つかった。方向を絞って石畳を見ていくと、瓦礫の欠片で作られた小さな矢印があった。それが指す先にはアンデッドの残骸が一つ。さらに先には一軒の家屋。
「あそこだ」
クーパーがやや興奮した声で言った。
おそらくティンはこの近辺で負傷し、クーパーたちとはぐれた。手当てのためか、消耗してしまったのか、一旦身をひそめることにした。あとで仲間が助けに来ることを信じて目印を残し、なんとかアンデッド一体を撃退して、身を隠した。
時間にすれば一刻と少しといったところだろうが、アンデッドがうろつく中、負傷した状態で待つなんて事態は、ほんの短時間であっても体験したいとは思わない。
ともあれ、ティンの期待通り助けはやってきたのだ。ハキムたちは矢印が示した家屋に近づき、控えめに扉を叩いた。
「ティン、いるのか」
クーパーの呼びかけに対する返事はない。扉には内側から鍵がかかっていた。
「ちょっと待ってな」
ハキムは器具を取り出して、鍵穴に差し込む。多少錆びついてはいるが、構造は単純だ。すぐにカチリと音がした。
ハキムが先頭になって、ゆっくりと扉を開く。万が一の事態を想定して腰の短剣を抜き、慎重に中を覗き込んだ。室内はかなり暗いが、部屋の奥にはランタンが灯っていた。白骨化した死体と並ぶようにして、壁にもたれかかり、ぐったりとした男がいる。手元には長剣が転がっていた。
「おい」
ハキムが声をかけると男はビクッと動き、長剣を掴んだ。しかしこちらを認めると、安堵したように力を抜いた。
「クーパーじゃないか。待ちきれず迎えに来たのか? もう少し休んだら帰ろうと思ってたんだが」
赤毛の下にあるティンの顔はやや憔悴していたが、それでも不敵な笑みを作って強がって見せた。ハキムたちは室内に入り、床に座った。
「ティン、見捨てて悪かった。彼らが手伝ってくれなきゃ、俺一人で戻ることになるところだったよ」
クーパーがハキムたちを紹介する。
「ハキム、リズ、トーヤね。礼を言うよ。恥ずかしい話だが、足を挫いてな。正直困ってた」
ティンはそのほか、右肩から背中にかけて傷があった。例のグランデに襲われ、その爪で抉られたのだという。
「少しかすっただけでこれだ。他の連中は?」
「怪我しちゃいるが、無事だ」
「そいつはよかった」
ティンは助けがきたとき以上に安堵した様子だった。リズが彼の応急手当を始める。強い酒で患部を消毒し、きつく包帯を巻く。挫いた足首は添木で固定した。
「正直、アンデッドになってやしないかと心配したけれど、本当に良かった」
トーヤが言った。もしそうなっていたら仕方ない、とハキムは考えていたが、帰路の雰囲気を考えれば、もちろんこの方がいい。
ティンは肩を貸せば歩けそうだった。ひとまず彼を連れて北のキャンプに戻るべく、ハキムたちは家屋の外に出た。