第五話 北のキャンプにて -1-
翌朝。いや、正確には朝かどうか分からない。太陽の届かない地下遺跡では、時間の感覚を掴むのが困難だ。腹の減り具合からして、おそらく三刻ほどは寝ただろう。
ハキムはテントの中で身を起こし、大きく伸びをした。遺跡の空気は基本的に冷たいが、キャンプあたりはわずかな地熱があり、比較的快適に過ごせる。
トーヤがいないのでテントの外を覗いてみる。彼はもう火を焚き、鍋で粥を煮ていた。
「すぐにできるよ」
テントの中に目を戻すと、リズはこちらに尻を向け、まだ寝息を立てている。
「起きろ、魔法使い。朝だぞ」
起きる気配がない。足で小突く。
「蹴らないでよお」
彼女は文句を言いながら身をよじった。ひとしきり言葉にならない呻き声を上げ、乱れた髪のままテントから這い出る。ハキムもテントから出て、三人で鍋を囲んだ。
松明で照らされた闇の中で朝食を摂るのは妙な感じだ。トーヤに盛られた麦粥を咀嚼しながら、ハキムは今日の行動を考える。鍋には明らかに一人分残されているが、これは食べてもよいのだろうか。
「今日は北のキャンプに行ってみるか」
昨日、キャンプの管理人に説明されたことを思い出しながら、ハキムは提案した。一通り探索し尽くされた西のキャンプ近辺にいても、大した成果は見込めない。
かといっていきなり旧市街まで深入りするのは、いささか蛮勇というものだ。そこまで行くのは、もう少し探索の感覚を掴んでからの方がいい。
北のキャンプまで、普通の道と同じように考えれば一刻半。道中で探索しながら行くことを考えると、倍くらいまでは見ておいたほうがいいだろう。
「そうだね。昨日みたいに襲われないといいけど」
トーヤは鍋に残った粥を、ハキムとリズの器に盛りながら言った。
「あれは俺たちが襲ったんじゃなかったか?」
「まあとにかく、気をつけて行こう。怪我をしても、ここに医者はいないから」
「……そうね」
聞いているのかいないのか。リズが眠たげな声で言った。
◇
朝食と準備を済ませたハキムたちは西のキャンプを出発し、辺縁を北東に向かって歩き始めた。二つのキャンプを繋ぐ直線は探索者の通り道になっているので、収穫はあまり期待できない。とはいえ未踏の場所を通れば迂回することになるわけで、目的地までの距離は長くなってしまう。
結局、ただ移動するだけではつまらないとハキムが主張し、都市の中心に向かってややへこむようなルートで北のキャンプを目指すことにした。
「一体、この都市にはどれくらいの人が住んでいたんだろう」
ぼんやりとした光の下、瓦礫の散乱する街路を歩きながらトーヤが呟いた。人骨の欠片を踏みそうになった彼は、わざわざそれを拾い上げて脇に除ける。まるでそれが数年前にできた死体であるかのように。あるいは、その骨片の持ち主の姿に思いを馳せているのか。
「きっと何十万って数でしょうね」
大体、立っているエーテル灯からして、アルムの全人口より多そうだ。都市の規模について考えると、気になることもいくつか出てくる。
「俺はこんな都市があったなんてことは知らなかった」
それに、とハキムは続ける。
「アルムの連中も、その周りの連中も知らなかったんだろ? 知ってたら、今ごろになって大騒ぎするのはおかしい。知ってて隠すつもりだったんなら、よそ者に好き放題されてるのを黙って見てるはずがない。昔に滅亡したのは分かるが、こんなにデカい都市が、誰にも知られてなかったのか?」
ハキムは答えを求めるようにリズを見た。
「……オヴェリウスが生きていたのは、千年以上前だと言われている」
疑問をぶつけられると、彼女は神妙な顔で語り始めた。
「確かに古いけど、作り上げた帝国の規模に比べれば、残っている資料は皆無に等しい。国の名前さえ知られていないの」
「何で?」
「これは私の仮説だけど、理由の一つは、記録を残す時間がないほど、急速に滅んだから。もう一つは、どこかの大きな勢力に隠滅されたから」
「おいおいおい。剣呑な話だな」
話を聞いていたトーヤも思うところがあったのか、口を挟んでくる。
「そういう例は僕の故郷にもあるよ。戦争に負けたら、相手の土地を文化ごと焼き払う。元の住民も記録も無くなれば、残虐な行為を訴える人間もいない」
ハキムは考える。いつの時代であっても、強大な帝国を一瞬で滅ぼせる勢力がいたとは考えにくい。多分、なんらかの原因によって、オヴェリウスは都市ごと地下に墜落したのだ。そして皇帝の権力と威光に頼り切っていた国家は、その隙を突かれて滅ぼされた。
「それにしたって、どんな悪いことしたら山の下に埋められるんだよ」
「さあね」
リズは心当たりのありそうな顔をしているが、それを言うつもりはまだなさそうだった。確信を持っているわけでもないのだろう。
「おっと三人とも、敵が来た」
トーヤが手で制する。前方からアンデッドが一体、覚束ない足取りで近づいてくる。手には戦棍を持っていた。探索者の成れの果てだ。
「私がやる」
リズはそう言うと、アンデッドに向かって手をかざした。十歩ほどの距離まで近づいてきていた敵は、見る間に煙を上げ始める。やがて表皮が焦げはじめ、前のめりになって倒れた。肉の焼ける臭いが辺りに漂う。
「やるじゃん。でも、臭いのなんとかならねえの?」
「そんなこと言ってると焦がすよ」
ともかく、リズとトーヤがいる限り、一体二体のアンデッドはさしたる障害にならない。やはりこの二人を仲間にしたのは正解だった。ハキムはアンデッドが持っていたメイスを拾い上げる。リズが放った熱のせいで、柄がほんの少し焦げていた。
普段は短剣と投げナイフ、石の投擲で戦うハキムだが、アンデッドを相手にする場合、小手先の技術はあまり有効でなさそうだ。そう考えたハキムは、無骨なメイスを武器として持っていくことにした。
◇
西のキャンプから北のキャンプまでは、結局二刻半ほどの時間で到着した。道中での収穫は、探索者のアンデッドから回収した銀貨が五枚。廃屋で見つけた古代の銀貨が四枚。安物の指輪が一つに、焦げ目のついたメイスが一本。今のところ、遺跡で見つけた財宝よりも、死体から剥いだものの方が多い。
北のキャンプに近づくと、やや建物の密度が高くなってきた。同じ都市の辺縁でも、場所によってわずかな違いがあるようだ。しかし疲労を感じてきたハキムたちは、新しい場所を探索するより、まずキャンプに到着することを優先した。
乾き、風化し、埃にまみれた地面を踏みながらさらに進むと、やがて青白い光源の中に浮かぶ、松明の炎が見えてきた。北のキャンプだ。
若干の安堵とともに立ち入ってみると、多くのテントがあった西のキャンプよりもやや小規模である。それでも何人かの探索者たちが、たき火を囲んで休息している姿が見える。
ハキムはまず、入り口近くの管理人らしき男に声をかけた。だらしなく木箱に座り、原料不明の干し肉を噛んでいる。
キャンプの管理人は身体を洗ってはいけないという決まりでもあるのだろうか? この男も西のキャンプにいた管理人と同様、身なりは汚らしかった。よく見ると、左腕の肘から先が義手である。
「よう。テントを張るなら銀貨二枚だ。結界があるからぐっすり眠れるぜ」
今日はここまで歩いてきただけのようなもので、そのため収穫も少ない。食事をして半刻ほど休憩したら、また軽く探索に出ることにする。
ハキムたちは燃料となる廃材を銅貨五枚で買い、火を起こし始めた。小さい炎が灯ったころ、キャンプにまた新しい人間が入ってくる。
探索者が五人。しかし何人かは負傷している。アンデッドにやられたのだろう。致命傷というほどではなかったので、ハキムは無視しようとしたが、その中に見覚えのある、茶色い髭の人物を見つけた。
〝短槍〟のクーパーだ。アルムに到着したその日、ハキムを勧誘した男。
「知り合い?」
ハキムの表情を見てリズが尋ねた。
「知り合いというほどでもない」
しかしクーパーはハキムに気づくと、近づいて声をかけてきた。
「〝マスターキー〟じゃないか。お前もここに来てたんだな」
「まあね。それより、大変そうだな」
ハキムが答えると、クーパーは仲間たちを振り返った。
「面倒な敵に遭って撤退してきた。だが困ったことに、一人とはぐれたんだ」
「それは、あー、ご愁傷様。あんまり気を落とすなよ」
「いや、多分まだ生きてるはずだ。そこで、頼みがある」
厄介ごとの気配を感じながら、ハキムはそのまま続きを聞いた。
「仲間を回収したいんだが、無傷なのは俺だけだ。手伝ってくれないか。礼はする」
正直気乗りはしなかったが、ハキムはリズとトーヤの意向を窺った。
「この遺跡で一人は危険だ。助けるならすぐに行かないと」
トーヤは積極的である。彼は本質的にお人よしなのだ。リズはどちらでも構わないという顔をしていた。ハキムは首のうしろをこすりながら考える。まあ、彼に恩を売っておくのも、長期的に見れば悪くはないだろう。
「仕方ない。ここで出会ったのも何かの縁だ。報酬は弾んでくれよ」
クーパーの頼みを聞くことにしたハキムたちは、休憩を早めに切り上げ、北のキャンプを出発した。