第三十話 黄金の天象儀 -5-
階段の下に辿り着き、鐘楼を出るころ、ハキムは徐々に地面が沈下しつつあることに気がついた。それは家屋の基礎を少しずつ叩き壊していくような、明らかに取り返しのつかない陥没だった。
「この地震は、ハキムが球を取ったから起こってるんだろうか」
「おいおいおい。俺のせいかよ」
「多分、エーテル灯が活性化したのと関係がある。エーテルを急激に汲み上げすぎて、地脈に変化が生じたんだと思う」
よく考えてみれば、球を取ったら宮殿が崩壊するなんて仕組みを作ることに、なにか意味があるとは思えない。しかしリズの言う通りだとすれば、この地下空間全体がもっと深い場所に落ち込みつつある、ということではないか?
ハキムは不吉な想像を振り払う。まだ本調子ではない脚を動かし、そのまま宮殿の玄関に繋がる階段を駆け下りた。先程は青白いエーテル光が大量に飛び回っていた空間だが、今はすべてが消え去り、静かな闇だけが横たわっている。
ランタンの灯を頼りにフロアを横切り、大きく重い玄関扉に辿り着いたハキムたちは、傷ついた身体に満身の力をこめ、それを押す。
千年を耐えた扉は、地震の中でもまだ辛うじて機能していた。乾いた軋みとともに宮殿の出口が開く。ハキムたちは転がるようにして中庭へと退避した。背後で大きな瓦礫の落下音が響き、鼓膜と皮膚を震わせる。
あれほど明るかった屋外のエーテル灯も、すっかりその光を弱めていた。それぞれを繋いでいた帯のような光は消え去り、ときおり消えてはまた点灯するということを繰り返している。とはいえ、まだ真の暗闇にはなっていない。移動に支障はないだろう。
グランデ二体の残骸を横目に、すっかり朽ち果てた中庭を駆ける。城門脇にある通用口の扉が閉まっていたので、転がっていた巨大なメイスを破城槌代わりに、何度も叩きつけて突き破る。宮殿の崩れる音が、背後からハキムたちを急き立てた。
「これ、かなりヤバいんじゃないか?」
「そんなの、いまさらでしょ」
ハキムたちが敷地を抜けて背後を振り返ると、いよいよ沈下していく建物が見えた。繊細な彫刻の施された壁が、美しいステンドグラスが、完璧な形のドームが深淵へと崩落していく。
しかし感傷や寂莫を噛みしめる間はなかった。ハキムは地震がレザリア全域に及んでいるらしいことを悟った。不気味な鳴動が地下空間に満ち、周囲の建物が大きな軋みを上げている。
「ああ、嘘だろ」
ここから遺跡の出口までは、何の障害もなく進めれば一刻。急げば半刻。しかし崩落に巻き込まれれば即死。強力なアンデッドに遭遇すれば苦戦は必至。状況は厳しいと言わざるを得ない。
ハキムはプラズマに晒されて全身に火傷があり、リズとトーヤもどこかしら怪我をしているはずだ。そうでなくとも、連戦による体力の消耗が大きい。
邪魔になる荷物を捨て、転倒しては互いに手を貸し、励ましあい、悪態をつきながら、ハキムたちは崩れゆく廃都からの脱出を目指す。
その途中で、アンデッドの一団と遭遇した。しかし、様子がおかしい。
アンデッドたちは倒れてこそいなかったが、歩いたり、獲物を探したりする素振りもない。すべての関心や欲求を失ったかのように、ただぼんやりと上を眺めていた。その姿は巨大な捕食者に為す術もなく襲われる、無力で小さな動物にそっくりだった。
「この人たちは、元々ただの住民だったんだもんね」
「身勝手な計画に利用されて可哀そうだ。僕らが言うのもなんだけど、これで苦しみから解放されるなら……」
トーヤは彼の傍にいるらしい妹を見て言った。
「同情はいいが、コイツらの仲間になるのは御免だぜ。供養は生きて帰ってから好きなだけすればいい。それよりもうすぐ旧市街を抜ける」
ほかに見かけたアンデッドも、あの凶暴なグランデさえもが同じ様子だった。しかしおかげでハキムたちはあらゆる戦闘を回避して、ひたすら移動に専念することができた。
やがて黒くそびえたつ防壁に辿り着き、背後を振り返ったハキムは、図書館にいるはずのルカナのことを思い出した。彼女はこの都市と運命を共にすることになるのだろう。それを悲惨な死と捉えるか、苦しみからの解放と捉えるか、ハキムには判断がつかなかった。
防壁の西にある門は、なにか巨大な力によって破壊されていて、ハキムたちはそこから辺縁に出ることができた。キャンプには激しい闘争の爪痕があり、探索者の死体と、グランデを含むアンデッドの残骸がいくつも転がっていた。もし生き残りがいたとしても、とっくに逃げてしまっただろう。
いよいよ揺れは大きく、その間隔は狭くなり、背後の防壁さえ波打つように見えた。街路は無数にひび割れて深淵を覗かせ、倒壊した家屋が行く手を遮った。
それらを飛び越え、忘我のアンデッドたちを押しのけながら、ハキムたちはなんとか西のキャンプ周辺まで辿り着く。全員の足や脛や膝は血まみれで、筋肉も内臓も悲鳴を上げていた。
そこにはアンデッドたちの死体が山のようにあった。それらの多くには弓や弩から放たれた矢が突き立っていたり、投石によって作られたと思しき傷があったりした。多分、遺跡からアンデッドが流出することを懸念した領主の兵が掃討に動いたのだろう。
しかしそのためか、遺跡の出口に繋がるハシゴは撤去されていた。縦穴はゆうに十階分の高さがある。鉤つきのロープも届かないし、素手で上ることなどまったく不可能だ。
「ここまで来たのに……」
トーヤがぐったりとした声で言い、壁に背をもたれかけさせた。
しかしハキムたちが絶望に沈み、このままレザリアと一緒に地の底へと沈むしかないのかと考え始めたとき、縦穴のはるか上から、誰かの声が投げかけられた。
「おい! そこに誰かいるのか」
聞き覚えのある声だ。
「逃げ遅れたんだ! 助けてくれ」
ハキムは声を振り絞って叫ぶ。
「まさかハキムか? 驚いたな! すぐにロープを降ろしてやる」
それはクーパーだった。なぜ彼がここにいるのか知らないが、とにかくあと少しでも到着が遅れ、上に誰もいなくなっていたら、ハキムたちは完全に取り残されてしまったことだろう。
やがてロープが三本下りてくる。クーパーの仲間もいるようだ。ハキムたちはそれを自分たちにしっかりと結び付け、上の人員に合図をする。
クーパーたちに引き上げられ、また自分たちの手足でも岩肌を掴み、ハキムたちは縦穴を登っていく。途中で背後を振り返ると、弱々しい無数のエーテル灯に照らされたレザリアが、ぼんやりと浮かび上がって見えた。
一時は栄華を極めた帝国の首都であった場所は、千年間死者の都として存続し、そして今まさに滅びようとしている。いや、本当はずっと前に滅びていたのだ。ただ無理やり形を保っていただけで。
冷たい冥界の空気は、やがて太陽の匂いが混じる温かい空気に変わっていった。縦穴の上部でランタンを照らしているクーパーたちの姿が見える。
やがてハキムたちは穴の縁に手を掛けた。その身体をクーパーと仲間たちが引き上げる。
「ボロボロじゃないか。アンデッドにやられたのか?」
「いや。ちょっと皇帝を倒してきた」
クーパーはそれを冗談だと解したらしく、曖昧に笑って肩をすくめた。
「とにかく、生きててよかった。俺たちも今帰るところだったんだ。背負ってやるから早く出るぞ」
ハキムたちはその言葉に甘え、屈強な男たちの背に身体を預けた。
洞窟が崩れていく。宮殿も、アンデッドも、黄金もすべて失われるだろう。最後の最後に黄金の塊を得ることは叶わなかったが、ハキムたちは辛うじて自分の命を手放すことなく、レザリアの探索行を終了したのだった。




