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第二十話 オールド・アルムの騒動 -4-

 あと半刻ほどで正午になる。ハキムとトーヤは街道を駆け、ニュー・アルムからオールド・アルムに入った。海側は町の主要部でもあり、人通りも多い。ただし港は基本的に探索者自身が来るような場所ではなく、レザリアから発掘された黄金の輸出や、探索者に必要な物資の輸入をおこなう区画となっていた。


 レザリア発見以降拡張されたとはいえ、もともとは小規模な漁港。船の数はそこまで多くない。目的なくうろついていると変に目立ってしまう。ただ、それは今更な話だった。こちらが来ることは当然、ヘザーも想定しているだろう。


 しかしあまり無計画に行動したくはない。まずはリズの居場所に見当をつける必要がある。


「俺が探ってくる。まだ派手に動かないでくれよ」


 ハキムはトーヤを目立たない場所に待機させ、自らは亡霊の指輪を装着した。港の岸壁には積荷を置き、商人や船乗りが休息するための商館がある。ハキムは海に延びる桟橋に停泊している船を、一つ一つ見て回った。


 今は朝方に到着して物資の積み下ろしを済ませ、アルムからの荷を積んでいる最中の船が多かった。それなりに混雑もしているので、誰かと衝突して騒ぎになるような事態には気をつけなければならない。


 一つ、二つと船を調べる。魔術師らしき人影がないか、船乗りではない無法者がいはしないか、ときに甲板まで忍び込んで様子を窺った。


 目的のものは、さほどの苦労なく見つかった。桟橋の先端に停泊している中型の帆船。側面は防水用の黒っぽいタールで塗装されている。そして甲板上では、メインマストの根元、座り込んだような姿勢でうなだれるリズの姿があった。


 おそらく手首が背中あたりで拘束されていて、メインマストに括りつけられているのだろう。着ている赤黒のローブは油でぐっしょりと濡れており、目隠しもされている。頬には抵抗して殴られたような痕があった。


 よかった。まだ生きている。


 リズの傍らには木箱に座り、嗜虐的な表情で彼女の様子を眺めるヘザーの姿もあった。灰色のローブをわずかに海風でなびかせ、組んだ脚の上で頬杖をついている。


 奇襲するか? いや、おそらくヘザーには効かない。リズをこっそり解放する? そのあとどうやって逃げるかが問題だ。交渉しながら隙を見つけるか。危険は大きいがそれしかないだろう。


 ハキムは一旦桟橋を離れ、トーヤと合流した。


「どうだった?」


「いた。すぐに殺されそうって感じじゃないが、状況はかなり厄介だ」


 トーヤに位置関係を説明する。荒事になった場合、ヘザーとの戦闘は避けられない。ただ希望的観測ではあるが、相手が船の破壊を嫌うのならば、そこまで派手な攻撃はしてこないとも考えられる。


「今はとにかく、行こう。タイムリミットがあるかもしれない」


 仕方ない。無策も同然だが、一度はやると決めたのだから。


 ハキムとトーヤはもはや忍ぶこともなく、桟橋上を堂々と進む。船の近くではどこに隠れていたのか、セヴルスとパペルの兄弟がいた。まだこのあたりをうろついていたのか。絶対にあとで殺してやる。


「よう、よう、よう。お間抜けさんたちのお越しだ。こないだは随分とやってくれたじゃないか。え?」


 セヴルスが嘲るように言った。二人はいしゆみを装備し、こちらから距離を取っている。


「ヘザーさまがお待ちだ。行って差し上げろ」


 何がおかしいのか、セヴルスの言葉でパペルが吹き出す。彼らはここでハキムたちを始末するつもりはないようだ。ハキムとトーヤは神経を逆なでされるような挑発を受けながらも、桟橋に横づけされた船の左舷から乗り込み、甲板中央に降り立った。


 左手にはメインマストと拘束されたリズ。ほぼ正面にヘザー。背後にはセヴルスとパペル。


「へえ、てっきり来ないと思ってたわ。賭けはあなたの勝ちね。エリザベス」


 ヘザーが木箱から立ち上がり、リズを一瞥する。


「リズを放すんだ、ヘザー」


 トーヤが毅然とした態度で言った。武器はまだ抜いていない。


「あなたにそれを決める権利はないの。でも賭けに勝った賞品として、選択肢をプレゼントするわ」


 どうせロクでもないものに違いない。そう思いつつ、ハキムは黙って続きを聞く。


「一つはこのまま大人しく捕まり、連行されること。最低限、命は保障してあげましょう」


「で、もう一つは?」


「ここで嬲り殺しにされて、汚い積荷として運ばれる」


 なるほど。交渉の余地はないようだ。


「でも、この女はダメね。もちろん生きたまま連れてはいくけれど、たっぷりとなぐさみ(、、、、)者になってもらわなきゃ。成功した協力者には特別な報酬が必要でしょう?」


「ダメだ。それは飲めない」


 トーヤが声に強い怒りをにじませる。


「男どもをリズに触れさせるな。そうでなければ条件は飲めない」

「お前に決める権利はないんだよ」


 ヘザーも段々と苛立ちつつある。いつ衝撃波が飛んできてもおかしくない雰囲気だ。


「それとも、この貧相な女に惚れてるの? 〝狂人〟の分際で。お前は空想上の妹と乳繰り合っていれば――――」


 おっと。ヘザーは竜の尾を踏んだ。もう駆け引きも何もない。ハキムは覚悟を決めた。


 すぐ横で抜刀の風圧を感じながら、ハキムも両手で投げナイフを抜いた。標的を決めかねているセヴルスとパペルに、素早く投擲を浴びせる。距離は約十五歩。ほぼ同時に弩からクォレルが放たれたが、所詮は慣れない得物、一本の矢がハキムの耳元を掠めるだけに終わった。


 弩は簡単に飛距離が出せる一方で、風があると飛翔が安定しない。兄弟にとっては、ヘザーの衝撃波に巻き込まれないよう距離を取っていたことが災いしたのだ。


 ハキムが投げたナイフは一本がセヴルスの喉に、もう一本がパペルの眉間に突き刺さった。セヴルスが弩を取り落とし、喉をかきむしる。パペルは自分に何が起こったのか、まだ理解していない。


 二人の始末を完了したハキムは、ふたたびヘザーに向き直る。先程から衝撃の余波が空気を震わせていた。


 しかしトーヤはまだ立っていた。信じられないことに、衝撃波に刀をぶつけ、吹き飛ばされるのを避けているのだ。


 相手の殺気や目線やわずかな動きを捉え、極めて強い膂力をもってすれば可能なのかもしれないが、ハキムには到底想像できない領域の戦いだ。刀を振りながら、トーヤは半歩ずつヘザーに近づいていく。


「なんだお前……、なんだお前は!」


 トーヤの豹変ぶりに対して、ヘザーは明らな動揺を見せていた。魔術は強大でも、精神は未熟。所詮は頭でっかちのお嬢様か。


 ハキムは短剣を抜き、ヘザーの隙を窺う。しかしその間、トーヤが衝撃波をもろに喰らい、ハキムの足元に倒れた。


「トーヤ!」

「大丈夫だ」


 トーヤは素早く跳ね起きる。彼は冷静だった。


「今のうちにリズを頼む」

「……おう」


 ハキムは指輪も嵌めず、甲板を駆けてリズのもとに向かった。すぐそばでは衝撃波と剣圧の応酬が再開された。


「ふざけるな! 死ね、死ね!」


 罵倒とともに放たれる魔術の余波でよろめきながらも、メインマストまで辿り着く。


「リズ、無事か。今ロープを切るからな」


 ハキムは握った短剣で、リズの手首を固く結んでいたロープを断ち切った。これで逃げることはできるが、リズは相変わらず油で濡れており、魔術は使えない。


 しかしトーヤが鬼神のような奮闘を見せ、ヘザーを圧しつつあった。魔術に怯えが混じり、威力を減じさせると、トーヤが振るう嵐のような刃が近づく。ついにヘザーは二、三歩と後退し始めた。ただしトーヤにも、体力的な限界が近い。


 海に逃げられ、距離を取られてはたまらない。ハキムは低い姿勢でヘザーに飛びかかり、その両脚を抱えるようにして押し倒した。


「いまさら逃げるんじゃねえ、クソ野郎」

「ひっ」


 ヘザーは小さな悲鳴を上げ、仰向けに転倒する。その頭にトーヤの刀が振り下ろされようとしたとき、ハキムは腕に違和感を覚えた。ヘザーの両脚が、突然溶けたように柔らかくなったのである。


 次の瞬間目前にあったのは、黒い粘性の物体。それはレザリアで遭遇した、恐るべきルトゥムに似ていた。しかしあの怪物のように、蠢く偽足を伸ばして襲い掛かってくることはなかった。ヘザー一人分の水っぽい泥が、力なく地面に落ちる。


 泥の中でゴトリと音がしたのを見ると、黄金のキューブがハキムの目の前に落ちていた。ヘザーだった泥は、そのキューブに吸い込まれるようにして消えてしまう。あとにはキューブだけが残った。


「……なんだ?」


 刀を構えたままのトーヤが、周囲を油断なく警戒しながら言う。ヘザーが何か奥の手を使っているのだとしたら、まだ危機は去っていない。


 しかしそれから少ししても、ヘザーの気配は現れなかった。その代わり、先ほどナイフで斃した兄弟の死体に人が集まりつつある。ハキムは肩透かしを喰らったような気になり、トーヤと顔を見合わせる。


「もっと早く助けに来てよ」


 よろよろと立ち上がりながら、リズは言った。


「……悪かった」


 ハキムが殊勝に謝ると、リズは意外そうな顔をして、ハキムを優しく抱きしめた。


「ごめんごめん、嘘だって。ありがとうね」


 顔に油がついて臭かったので、ハキムはやんわりとリズを押しのける。


「よかった。これで探索が続けられる」


 トーヤは二人の頭に手を置き、またいつもの穏やかな声で言った。


「これで用は済んだな。とっとと帰ろうぜ」


 ハキムもトーヤも重傷を負ってはおらず、リズも少し消耗しているだけで問題なく移動することができた。船の乗組員たちは詳しい事情を知らなかったようで、騒ぎを聞きつけて甲板に上がってきはしても、ハキムたちを追うことはしなかった。


 ハキムたちは領主の兵に見咎められないよう、そそくさと港をあとにし、街道を戻って木馬亭へと向かう。


「ちなみに、私は二人が(、、、)来ることに賭けたんだからね」


 まだ鉱物油の刺激臭を放つリズが、なぜか得意げに言った。


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