第二話 消し炭と狂人 -2-
ハキムは町に到着してからの三日を、地道な情報収集に費やした。遺跡からどういうものが発掘できるのか。それがいくらで売れるのか。トラブルが起きた場合、誰に賄賂を払えばいいのか。自分が持っている鍵開けの技術は、実際にどの程度求められているのか。
ニュー・アルムからオールド・アルムにも足を伸ばし、何人もの手配師や情報通に声をかけ、ときにはそれなりの金銭さえ支払って話を聞いた。
しかし一番の目的は、やはり探索の仲間を探すことだった。このあたりで腕利きとして名が通っている者は誰か。何人かには直接会ってみることもした。ハキムは三日間で、大体二十人程度の優秀な探索者に目星をつけることができた。その中には、〝短槍〟のクーパーも含まれていた。
さて、誰に交渉を持ちかけようか。ハキムはオールド・アルムの市場で買った固いパンをかじりながら、適当な広場の一角に座り、使い古した羊皮紙を地面に広げていた。そこには何人かの名前と、聞き込みで集めた彼らの評判が簡単に記してある。
猥雑さと埃っぽさの中でリストを眺めていると、誰かがハキムの前で立ち止まった。自分と羊皮紙を上から覗き込んでいる。ハキムがほんの少し顔を上げると、ひらめく暗い赤色のローブと、その隙間から見える白い足首が目に入った。
「ちょっといい?」
投げかけられる若い女性の声。ハキムは煩わしく思った。今は重要な考え事をしているのだ。商売女を相手にしているほど暇ではない。
「女なら間に合ってるよ」
「そういうのじゃないんだけど」
声は憤慨した。ハキムは相手が娼婦ではないことを察して顔を上げる。
こちらを睨んでいるのはどこか気品を漂わせる美人だった。胸のあたりまである見事な金髪はまっすぐで、一部が編まれて後ろで結んである。
ゆったりしたローブのせいで体形は分かりにくいが、女性らしさを失わない程度にほっそりとしている。平均的な娼婦ほど肉感的ではないにせよ、十分男好きのするシルエットだ。
眉をひそめていた彼女は、取り繕うようにして表情を戻した。用件を思い出したらしい。
「あなた、〝マスターキー〟?」
おや、とハキムは意外に思った。探索者には見えないが、彼女も仲間を探しているのだろうか。
「そう呼ばれることもある。あんたは?」
「エリザベス。リズでいいわ」
〝消し炭〟のリズ。ハキムはこの三日間で仕入れた知識を呼び起こした。気の強い男ばかりの探索者連中が、侮るべきでない女として挙げる人物。嘘か本当か、性欲を持て余し、夜道で彼女を襲った探索者が、翌日無残に炭化した状態で発見されたという。
リズは魔術師なのだ。
「ねえ、私の仲間にならない?」
彼女は無理やりな笑顔を作って言った。頼みごとには慣れていないようだ。
「いや……」
ハキムは彼女を怒らせないように、やんわりと申し出を断ろうとした。腕利き二十人の中にリズの名前も含まれているが、数人に絞る段階で彼女は選考から漏れていた。ハキムは魔術師という人種をよく知らない。よく知らないものに命を預けるべきではない。
「この遺跡はただの遺跡じゃない」
ハキムの回答をほとんど無視して、リズは話し始めた。
「失われた古代帝国の秘密が埋もれている場所かもしれないの。でもここの連中ときたら黄金のことしか頭になくて、歴史や真実の重要性を理解する気がない」
「だから、かたっぱしから消し炭に変えたのか?」
リズがハキムを睨んだ。軽い冗談のつもりだったが、気に障ったようだ。身振りで詫び、続きを促す。
「もし黄金より価値のあるものが、ここに埋まってるとしたら?」
彼女は腰を曲げ、ハキムに顔を近づけた。力のある灰色の瞳がこちらを見据える。控えめな香料の匂いもした。
「あんたと一緒に行けば、それが見つけられるのか?」
「多分」
ハキムは首のうしろをごしごしと手でこする。考え込んでいるときや、悩んでいるときの癖だった。
山一つの範囲に及ぶ古代の廃都。それが地下に埋まっているのには、なにか尋常ならざる理由があるのだろう。
リズが都市の成り立ちや滅亡の経緯を理解できれば、他の探索者を出し抜き、価値ある物品を手に入れられるかもしれない。
例えば、魔術的なアーティファクトとか。
それに消し炭の噂が本当だとすれば、彼女はアンデッド排除にも力を発揮するだろう。世間知らずなところはありそうだが、厄介な交渉は自分がやればいい。ハキムは心のうちで結論を出した。
「分かった。リズ」
ハキムは座ったまま手を差し出す。それを握ったリズに体重を預けて、勢いよく立ち上がった。彼女は小柄なハキムよりも少しだけ背が高い。
「交渉成立」
リズは今度こそ、本心かららしい笑みを見せた。
「あなた、いくつ?」
「十九」
「私より年下ね」
「ああ、そう」
ハキムは腰を伸ばし、あたりを見回す。
「ほかの仲間は?」
リズの方を見ると、彼女は若干気まずそうに目を逸らした。
「まだいないけど、目星はつけてある」
「ふーん」
まあ、リズの価値を理解する人間も少なそうだし、彼女もあまり頭を下げて仲間を募る性格ではなさそうだ。ただ田園へのピクニックならともかく、遺跡の探索をリズと二人でやるのは非常に心もとない。
「トーヤって人がいいと思う」
「〝狂人〟トーヤか。またえらいのに目をつけたな」
「そんなに変な人じゃなかったよ。まだ話してないけど。今は木馬亭にいるって」
トーヤは剣の達人だ。色々な噂を聞くと、今アルムにいる探索者たちの中でも、とりわけ近接での戦闘に力を発揮しそうだ。ただ二つ名通り、振る舞いに少々癖がある。
「別のヤツじゃダメかな」
「なんで?」
ハキムは再び考えた。リズの実力は未知数。自分にしても、真正面からの殴り合いは得意でない。かといって頭数を増やせば一人当たりの取り分が減る。もし優秀な剣士が一人いれば、探索はずいぶん有利に進められるだろう。
「うーん。誘うだけ誘ってみよう」
◇
木馬亭はハキムが滞在している宿からそれほど離れていない場所にあった。リズと二人で宿に向かうと、ちょうどトーヤが建物から出てきたところだった。彼は軽装のまま武器だけを帯びて、通りを西に歩いていく。
「ほら、あの人」
リズがトーヤを指差した。多少の噂を聞いていれば、彼の姿はすぐに分かる。トーヤの得物は立派な長刀で、その鞘には鮮やかな桃色をした無数の花弁が描かれている。
「よし、俺が行ってくる」
ハキムは姿勢よく大股で歩くトーヤに小走りで追いつき、後ろから声をかけた。
「ちょっと、そこのあんた」
トーヤが振り返る。背は高いが、大男という感じではない。ややべったりとした髪の下にある顔は、いかにも人が良さそうだ。刀を帯びてさえいなければ、親方に怒られてばかりいるのんびりした職人見習い、という感じもする。
「うん?」
「あんた、トーヤって名前だろ。腕の立つ剣士だって聞いた」
ハキムが言うと、トーヤは意外そうな顔をした。
「ああ。腕が立つかどうかはともかく、僕はトーヤだ」
感触はそれほど悪くない。単刀直入にいこう。
「その腕を見込んで頼みがある。俺たちの探索を手伝ってほしいんだ」
トーヤは一瞬驚いたようだが、すぐに表情を緩める。
「一緒に探索を?」
「そうだ」
「それはありがたい。実は僕も仲間が見つからなくて困ってた。連れて行ってもらえるなら、精いっぱい頑張るよ」
そこまで言ってから、トーヤは少し考えるような仕草を見せた。
「ただ、一つだけ条件がある」
「条件?」
「アヤメも一緒で構わないだろうか」
予想はしていたが、ハキムは思わず目尻をひきつらせた。トーヤが〝狂人〟と呼ばれる所以はここにある。
アルムの町にアヤメという女性はいない。噂によれば、アヤメというのは彼の病死した妹であるようだ。しかしトーヤはときおり、まるで彼女が生きて傍にいるように振る舞うのだ。
その奇行を笑う者、アヤメの不在を指摘する者に、トーヤは何もしない。困ったようなあいまいな微笑みを浮かべるか、同情したような表情を向けるだけだ。しかし一度だけ、アヤメを侮辱するような物言いをした男がいた。
目撃者によれば、それを聞いたトーヤは無言で男の顔面を掴み、抵抗も意に介さず、建物の外へ引きずっていった。あとから恐る恐る様子を見に行くと、建物の壁で顔面を半分ばかりすりおろされた男の死体があったそうだ。
そのような経緯があってか、トーヤは〝狂人〟と呼ばれている。それは強さの比喩でも、破天荒な勇敢さの表現でもない。彼の奇行そのものに対する呼称なのだ。
「いいよ。可憐な女性は誰でも歓迎」
実際にアヤメが可憐かどうかは知らないが、ハキムはそう答えた。
「ありがとう、よろしく頼む」
ただハキムが話してみた感触からして、トーヤは概して柔和な人物であるように思えた。多分、竜の尾さえ踏まなければ安全で頼りになる人間なのだろう。探索においては、安全と信頼こそが最優先の要素だ。多少の突飛な行動は、退屈しないためのアクセントぐらいに思っておけばいい。
「それで、実はもう一人仲間がいる」
ハキムが振り返ると、リズが少し離れたところからこちらの様子を窺っていた。交渉が上手くいったと身振りで伝えると、ローブをひるがえし、涼しげな足取りで近づいてくる。
「リズ。魔術師よ。よろしく」
「すごいな、魔術師か。僕はトーヤだ。こちらこそよろしく」
これで三人。少数精鋭で臨むなら、これ以上は必要ない。準備が整ったら、いよいよ探索に移るとしよう。個性の強い仲間二人に一抹の不安は覚えつつも、ハキムは黄金の眠る地下都市に胸を躍らせた。