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第十六話 千年の虜囚 -3-

 ルカナに教えられた通り図書館の奥を調べると、地下に繋がる大きな跳ね上げ戸が見つかった。抜け道自体は、大きな都市や城館によく見られる、比較的ありふれた施設だ。侵攻や内乱、災害が起こったときに備え、貴人を逃がしたり、財宝を外部へ運び出したりするための通路である。


 もちろん、山が降ってくるような事態は、どこの領主も想定していないだろうが。


 ハキムが跳ね上げ戸から身を乗り出して覗いてみると、ここにもエーテル灯が備えられているのが見えた。ただし屋外にあるような高いものではなく、せいぜい燭台程度の大きさだ。


 それらが十歩程度の間隔で設置され、都市の地下を貫く長い通路を青白く照らしていた。ハキムたちは周囲の安全を確かめてから、備え付けられたハシゴを降りる。


 掘り抜いた土の通路、左右の壁や天井部分は、木材や鉄を組み合わせた枠で補強してあった。もともとはかなり頑丈に造られていたようだが、さすがに都市が墜落し、千年の時間が経ってからだと、かなり危うそうな部分も見える。


 とはいえ幅は二人が並んで通れるほど広く。小柄なハキムはもちろん、比較的長身であるトーヤも、なんとか屈むことなく歩くことができた。


 しばらく進むと、さらに幅広の通路に合流した。壁に埋め込まれた金属のプレートに方角が示されている。ハキムたちはルカナの助言に従って南に向かう。


「ねえ、ルカナのことだけど」


 道中、まっすぐ続く通路を歩きながら、リズが口を開いた。


「彼女は明らかに不死……かどうかは分からないけど、不老を与えられていた。姿形はともかく、理性を保ったまま、人間として」

「そうだね」


「ならばオヴェリウスが自身にそれを施すことは容易なはず。皇帝として生きながら、既にそういう状態だったんじゃないかな。神に近づこうとしたのなら、なおさら」

「まあ、そうかもな」


「ハキム。あなたがオヴェリウスだったとしたら、今なにがしたい?」

「あー、外に出たいかもな」


 多分、できることならそうするだろう。一度は広大な帝国を支配下に置いたほどの人物ならば、この陰気な死者の都と化した場所で、永遠を過ごしたいと思うはずがない。


「となると、あんまり遺跡を暴きすぎるのは良くないんだろうか」


 トーヤが言った。


「いや、もう遅いと思う。探索者たちが宮殿に到達するのは時間の問題でしょ。それに、危険なものを隠して見ないようにするっていうのは、学院のやり方そのままで、私は好きじゃない」


 つまりは、今まで通りというわけだ。それさえ分かれば、ハキムに文句はない。ここまで深入りして、命の危険があるからというのならともかく、世間のためにならないからと撤退するのは我慢ならない。


「つまり、宮殿まで侵入してお宝をいただき、オヴェリウスもぶっ殺せばみんなハッピー、ってわけだな」


「……そう簡単に行けばいいけどね」


 リズが呆れたように溜息をついた。覇気のないヤツだ。


 またしばらく行くと、前方が深い闇になっている場所に突き当たった。照明が壊れているのかと思ったが、よく見ると違う。


 あのドロドロだ。


「げっ」


 とハキムは思わず口に出す。その音を聞いたのか、暗闇はうぞうぞと奇怪に蠢きながら、通路を覆うような巨体で近づいてきた。


「ハキム、トーヤ、下がって!」


 リズの周りをエーテルが渦巻き、高温のプラズマが形成される。それは指の動きに従って、残り二十歩まで接近してきた不定形の中央に殺到した。


 煮すぎたスープがさらに沸騰するような音がして、名状しがたい刺激臭が辺りに漂った。魔術で焦がされた敵の一部は、炭化して動かなくなる。しかし残りの半分ほどが、通路の壁を這うようにして展開し、偽足を伸ばしてリズの腕に巻き付いた。


「う、わ」


 リズをドロドロから引きはがそうと、ハキムが反対側の腕を掴む。しかし敵の力は想像以上に強く、一緒になって絡めとられてしまう。


 黒く粘度の高い、湿った泥のようななにかがハキムとリズの全身を覆っていく。それは柔らかく、しかし万力のような強さで二人を締め上げた。


 これは非常にまずい。


「ハキム、リズ!」


 トーヤが刀で牽制するが、急所が分からず攻撃しあぐねている。ハキムの首元までドロドロが上がってきた。全身の骨を折られるのが先か、窒息するのが先か。


 このまま無残に死んでたまるか、とがむしゃらに腕を動かしていると、左ひじのあたりに、なにか固いものに手が当たった。ハキムは直感で察したことを、トーヤに伝える。リズは既に飲み込まれてしまった。


「トーヤ! 俺の頭のすぐ上を突け!」


 先ほど自分が触れたものは、人間の肋骨に似ていた。ならば構造から判断して、トーヤに指示したあたりが頭蓋骨だ。


 トーヤが裂帛の気合いと共に、素早い踏み込みからの刺突を繰り出した。耳の後ろで何かが砕ける音がして、ドロドロが急速に力を失っていく。拘束が弱まり、足が地面につく。ハキムはそのまま潰れた果物のように、地面に転がった。幸い、まだ骨は折れていない。


 解放されたリズは、ぐったりと地面に倒れていた。もしや死んだのではと思ったが、すぐに激しく咳き込みはじめた。とりあえず生きてはいる。


「リズ、大丈夫か」


 トーヤが駆け寄って抱きかかえる。彼女は激しく嘔吐して、口や喉に入ったドロドロを排出した。しばらくえづいてから、口元を拭ってため息をつく。


「ああ、死ぬかと思った。誰よ安全って言ったのは」


 リズは水で口をすすぎ、毒づいた。なんとか軽症のようだ。


 一方のハキムはよろよろと立ち上がり、すっかり粘りのなくなった不定形を見下ろした。いまやそれはピクリとも動かず、悪臭を放つだけの泥と化している。ハキムはその中に手を突っ込み、指先で探り当てた、人間の背骨らしき部位を掴み上げた。


「おい、見ろ」


 それを目にしたリズとトーヤにも、ハキムの言わんとしていたことが分かったのか、眉間にしわを寄せて嫌悪を示した。


「コイツも、もともと人間だったんだ。趣味の悪いことしやがる」


 リズはこの敵に、〝ルトゥム〟という名前を付けた。泥、という意味だ。もっとも、もう呼ぶ機会は訪れないことを祈りたい。


 しかしルトゥムとの交戦では、一つだけ収穫があった。ルトゥムの体内に、以前聖堂で見つけたのと同じ、黄金のキューブが入っていたのだ。魔術的な触媒なのか。あるいはこれを持った探索者を食べたのか。ハキムはそれを回収して、金貨と一緒にしまいこんだ。


 ルトゥムがどこから紛れ込んできたのかは知らないが、そう何体もいるものではないだろう。ハキムたちは痛む全身を引きずるようにして、南にある抜け道の出口を目指した。


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