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第一話 消し炭と狂人 -1-

 山を越えて伸びる狭い街道の西端にあるのは、もともとはただの小さな港町だった。東側のふもとから徒歩で三日。ようやく最後の峠を越えたハキムは、幾度も折り返して西側のふもとへ向かう道を見下ろしながら、その先にあるアルムの町を眺めた。


 あと一刻(二時間)もあれば市街まで辿り着けるだろう。ハキムは大きな木の根元に腰かけて、革袋に残った水を飲み干した。


 人のいない場所を長く移動するのは久しぶりだ。しかしこのあたりは気候も穏やかで、危険な野生生物も少ないので、旅の苦労は少なかった。なにより、官憲の目を警戒しなくていいのは気が楽だ。


 ハキムはここから南の砂漠地帯で生まれ、スラムで生存と盗みの技術を身につけた。成長してからは各地を放浪し、盗賊として生計を立ててきた。必要に迫られれば人も傷つけるが、基本的にはこっそり金庫や宝物庫に忍び込み、高価な品を盗んでいくのが主なやり方だった。


 ここ一年ほど、ハキムは調子に乗って派手な盗みを繰り返したので、首に金貨三十枚の懸賞金がついてしまっていた。どこかでほとぼりを冷ます必要を感じたハキムは、十日ばかり前にアルムの噂を聞き、さっそく向かうことにしたのだった。


 もちろん、静養をしに来たわけではない。カネを稼ぎに来たのである。しかしこんなしみったれた港町には、財産を盗むに値する、裕福な人間などいそうにない。


「この真下に遺跡がねえ……」


 ハキムは座ったまま、ブーツのかかとで地面を叩く。

 

 以前耳にした噂というのは、この町で偶然発掘された遺跡にまつわるものだ。


 西側を海、他の三方を山に囲まれたアルムは、交易においても軍事においても、特別重要な地というわけではない。少し前までは、魚と材木を細々と産出するだけの、ぱっとしない辺境の町だった。


 〝それ〟が発見されるまでは。


 四か月ほど前、このあたりで激しい雨が長く続いた。長雨よって緩んだ地盤が崖崩れを起こし、町の辺縁にある住居がいくつか飲み込まれた。


 はじめ、この大規模な崖崩れは単なる災害としか捉えられていなかった。


 しかし数日後、恐る恐る様子を見に行った町人が発見したのは、長く地下へと続く洞窟だった。洞窟はひと月ほど放置されたが、ある日町の無謀な若者たちが、松明とロープを持ってその中を探検した。


 若者たちは、そこで二つのものを見つけることになる。


 一つは死体。しかしただの死体ではない。動く死体(、、、、)、いわゆるアンデッドと呼ばれる怪物だ。


 もう一つは黄金。かつて遺跡に住んでいた人々が蓄えていた財貨である。


 アンデッドに襲われ、ほうほうの体で逃げ出した若者たちは、しかし一握りの黄金を持ち帰り、町人に遺跡の存在を知らせた。


 黄金が埋まる遺跡。尾ひれのついた噂はまたたく間に広がり、多くの人がアルムに殺到した。食い詰めた農民や労働者。傭兵などの流れ者。ハキムのような犯罪者や無法者。彼らを抑え込むための兵隊。需要を見込んだ娼婦や商売人。


 〝黄金の狂騒〟が発生した。


 彼らによって冴えない港町は空前の賑わいを見せ、一時は各地から流入した人々によって非常な混沌を呈することになる。盗掘者同士の揉め事や、町人に対する粗暴な行為。あるいは利権を巡った有力者の闘争。


 しかしひと月も経つと多少の秩序を取り戻し、今はすっかり盗掘者の町に変貌を遂げていた。黄金を探す者は〝探索者〟と呼ばれ、危険を冒して遺跡にもぐった。


 何百人もの探索者によって調査が進むと、遺跡全体の大きさが明らかになり始めた。それはどうやら通常の城、町の規模をはるかに超え、歴史に類を見ないような大都市であるらしい。ハキムが越えてきた山の下に、それがすっぽりと埋まっているような形となっている。


 大きな町の盛り場でハキムが仕入れた情報は、総合するとこのようなものだった。


 古代の廃都が持つ、文化的な重要性を理解する探索者はほとんどいない。カネになるのなら、都市だろうが墓場だろうが聖域だろうが蹂躙してみせる、というのが探索者の正しい在り方だ。ハキムもまた、それとおおむね同じような人種だった。


 それに都市単位の大きな遺跡ならば、多少出遅れたとしてもまだうま味が残っているはずだ。噂を聞き、最低限の情報を集めたハキムは、さっそく準備を整え、西へ向かう馬車に乗り込んだのだった。


 そして今、アルムの町まであと少し。ハキムは空になった水袋をしまい、小休止を終えて立ち上がった。太陽の位置を見るに、日没までは余裕がある。


 季節は初夏。森からは鳥の鳴き声や葉擦れの音がやかましいほど聞こえてくる。遺跡発掘以降は、豊かな森で林業や狩猟で生計を立てる人間も少なくなったに違いない。黄金や、それを求める人間の需要があるというのに、今までの暮らしを続けているとすれば、それはよっぽど愚鈍な人間か、ご立派な哲学者のどちらかだ。


 西から吹いてくる風が、ハキムの黒い髪と褐色の肌をなでた。多くの先人によって踏み固められていた道を下っていくと、無秩序に拡張されたアルムの町が近づいてくる。滞在しているのは、少なくとも数千人といったところか。西の海に向かって傾きつつある太陽に照らされながら、ハキムは今夜泊まる宿のことを考え始めた。



 町の入口には、急造ではあるが厳重な関所が設けられていた。入る人間はほとんど素通りできるが、外に出る人間は持ち物を調べられている。黄金や財宝の持ち出しには制限がかかっているようだ。


 黄金を町に閉じ込めておけば、取引を独占することができる。危険な作業は探索者に任せ、上前だけをはねればいいのだから、領主というのも楽な商売だ。


 ハキムも他の旅人と同様、問題なく検問を通り抜けることができた。黄金を掘ってくれるのならば、浮浪者だろうが犯罪者だろうと構わないらしい。


 検問を過ぎて少しすれば、アルムの市街に入る。海に向かって奥にあるのは、もともとあった市街、通称〝オールド・アルム〟。手前にあるのは、盗掘者によって無秩序に拡大された市街、通称〝ニュー・アルム〟だ。


 山間から流れて海に至る川。それと並行した街道には、遺跡から掘り出された財貨を買い取る両替商、探索者が寝泊まりする宿泊施設、探索に必要な物品を売る店舗、そして酒場や娼館などがずらりと並んでいる。


 そこには大都市のスラムにも似た雰囲気があり、行き交う者の容貌も相まって、お世辞にも治安が良さそうには見えなかった。ただ、遺跡からの黄金でそれなりに潤っているらしく、貧困ゆえの荒んだ感じは少ない。


 それにこういった場所には無法なりの規律があり、馴染みさえすればそれほど危険ではないということを、ハキムは自らの経験から知っていた。


 ハキムはとりあえず、安全な拠点を確保することにした。今日のところは旅の疲れを癒し、本格的に動くのは翌日からにしよう。


 ハキムはニュー・アルムの表通りを一往復したあと、黒いトカゲが彫られた看板を掲げた宿に入った。都市部によくある、酒場と宿屋が一緒になった施設だ。


 軋む安普請の扉を開けると、早い時間から酒盛りをしている男たちの、無遠慮にこちらを推し量るような視線が向けられた。誰も彼もが一種の殺伐とした無骨な空気を纏っている。彼らもまた探索者なのだろう。


 新参者に対する、警戒と侮りが入り混じった態度を感じながらも、ハキムは悠々とフロアを横切った。この程度で臆していては盗賊などできない。カウンターを指で叩き、亭主に声をかける。


「部屋、まだ空いてるかい」


 五十歳を過ぎていると思われるハゲ頭の亭主は、拭いていた皿を置き、ハキムを値踏みするように見た。


「ああ、ちょうど一部屋だけ。あんた、運がいいよ」

「とりあえず一泊頼む」

「銀貨で二枚だ」


 この等級の宿にしては少々高いが、それだけ需要が多いということだろう。ハキムはカウンターに銀貨を置き、ついでに銅貨三枚で温かい食事を頼んだ。


「名前は?」

 亭主は宿帳を見下ろしたまま尋ねた。


「ハキム」

「探索しに来たのかい」

「もちろん」


「もし一人で探索するつもりじゃないなら、手配師に人集めの仲介を頼むといい」

「ああ。考えとくよ」

「ここは慣れれば悪くないところだ。せいぜい頑張んな」


 無骨な亭主はそれだけ言うと、再び仕事に戻った。


「人集め、か」


 たとえ遺跡を徘徊するアンデッドの存在がなくとも、不慮の事故を考えれば、探索には仲間が必要だ。ハキムにとって、仲間探しが最初の仕事になりそうだった。


 仕事を共にするとなれば、第一に信用できる人物でなければならない。こういう現場では、金銭のトラブルが頻繁に発生する。財宝を手に入れたあとに分け前で争った挙句、後ろから刺されてはたまらない。


 そして第二に、腕の立つ人物でなければならない。いくら善人だとしても、アンデッドとの戦闘で後れを取ればただの足手まといだ。


 しかしハキムはこれまで、一人で盗みをすることがほとんどだったので、誰かと手を組むことには慣れていなかった。もし仲間集めが難航するようならば、手配師とやらを頼るのもありかもしれない。出された食事を咀嚼しながら、ハキムは思いを巡らせる。


 茹でた芋と肉の入ったスープはややしょっぱかったが、野営で食べる粗末なものに比べれば、だいぶましな味だった。


 いつもの癖で手早く食事を済ませたハキムは、亭主から鍵を受け取って二階の部屋へと向かった。水が手に入るときは、酒を飲まないことにしている。


 廊下に並ぶ扉のいくつかからは、粗野な話し声や、笑い声が聞こえてきた。宝の分け前や、明日からの計画について話し合っているのかもしれない。ハキムは廊下の突き当たりにある扉を開け、今日の寝床となる部屋へと入った。


 部屋といっても、ベッドがあるだけの極めて簡素な造りだ。ハキムは荷物を置き、靴を履いたまま固いベッドに身を投げ出した。外はもうすぐ暗くなる。ハキムはランプもつけず、今日はこのまま寝てしまうつもりだった。少なくとも今後二、三日は情報収集に充てるとしよう。


 ハキムがうとうとし始めたころ、部屋の扉が二度ノックされた。枕元に置いてあった短剣を反射的に取る。


 少しして、もう二度のノック。


「誰だ?」

「下で呑んでた客だ。あんたに用がある」


 少しのんびりしたような男の声だった。ハキムは左手に短剣を握ったまま、ベッドから降りて扉を開けた。声の主は、茶色いひげを生やした長身の男だった。年齢は三十より上だろう。


「クーパーだ。〝短槍〟のクーパー」


 そう名乗った男は、右手で握手を求めてきた。ハキムはやや警戒しながらもそれに応える。武器の扱いに習熟した、力強い掌だった。〝短槍〟の二つ名が自称なのか他称なのかは知らないが、それなりの使い手ではあるようだ。


「ハキム」


 簡単に名乗る。それを聞いて、クーパーはにやりと口角を上げた。


「〝マスターキー〟のハキム?」

「……まあ」


 〝マスターキー〟とは、盗賊としてのハキムにつけられた二つ名である。どんな錠でも突破する、鍵開けの達人。ハキムが自称したわけではない。泥棒が有名になっても損しかないからだ。しかし難しいとされる盗みを繰り返すうち、いつのまにかそう呼ばれるようになってしまった。


 見たところ、クーパーは犯罪者を追う領主の兵や賞金稼ぎではなさそうだった。そういう連中は大抵の場合、まず殴りかかってから話を聞く。ひとまず過度な警戒は解いていいだろう。


「やっぱり。でも、意外と若いんだな」

「そりゃどうも。で、用件は?」


「鍵開けの専門家を探してたんだ。遺跡の中には、鍵のかかった扉や箱が多くてね。派手に壊せばアンデッドが寄ってくるし、職人に頼むと高くつく。運ぶのも面倒だし」


 クーパーは肩をすくめた。


 なるほど。そういう需要もあるのか。ハキムはアルムにおける、自分の市場価値に思いを巡らせる。鍵開けが貴重な技能と見られているならば、この勧誘にすぐ飛びつくのは早計だ。彼の仲間になるにしても、もう少し焦らせば美味しい思いができるかもしれない。


「仲間はほかに何人いる?」

「俺は傭兵をやっててね、古い付き合いの連中をあと五人連れてきた。気のいいヤツらさ」


「多すぎるな。分け前が少なくなる」


 大人数で堂々とやるのはあまり性に合わない。それに古参ばかりのチームに一人だけ新参として入っていくのは、なんとも居心地が悪そうだ。


「分け前は増やしてもいい。十五に分けて、あんたが三、他が二」


「いや、やっぱり今は遠慮しとくよ」


 ハキムは一旦、申し出を断ることにした。クーパーは残念そうな顔をしたが、別段気分を害したという風でもない。


「そうか。まあ、気が変わったらいつでも声をかけてくれよ。いつもは木馬亭って宿にいる」


 健闘を祈る、と言い残して、クーパーはまた一階に戻っていった。仲間に関しては分からないが、彼は確かに気のいい人物であるように思えた。しかし自分の仲間としてふさわしいかどうかは、また別の話だ。


 ハキムはベッドに戻り、枕元に短剣を置いて横たわった。旅で適度に疲労した肉体は、すぐに眠りへと落ちていった。


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