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第三話 コンビニ強盗を追え!

 鉄矢には事務所の隣の202号室があてがわれた。

 空っぽの部屋にはホコリが積もっていたので、掃除をするだけで初日は終わってしまった。

 実家の物置よりひどい環境に弱音を吐きそうになったが、そのたびに隣の201号室のクリスの顔を思い出してやる気を奮い立たせるのであった。


「鉄矢。掃除が終わったら勉強の時間だ。刑事の基本を覚えておけ」


 日も暮れる頃、針井はノックもせず上がってきてドサドサと本を置いていった。


「ありがとうございます。読んでおきます」鉄矢が礼を言うと針井はすぐに出ていってしまった。

 受け取った本は本棚がないので壁際に並べることにした。

 針井から受け取った本はサイズも出版社もバラバラだったが、几帳面な鉄矢はそれらをなるべく整理していく。


 『憧れの刑事マニュアル』

 『刑事の食事』

 『尾行のススメ』

 『昭和の名刑事』

 『はたらくくるま~バキューム大全集~』

 『小学生でもできる刑事入門』

 『元刑事が教える! 混浴温泉スポット20』

 『区分地図 渋谷区』


「はあ……」あのおっさんは何者なんだろう。まるで受験生の頃のような、先行きの見えない不安が心に積もっていく。

 畳に体を横たえて本を読んでいるうちに、いつの間にか眠りについてしまった。


    ◆   ◆   ◆


「鉄矢。鉄矢! 起きろ!」

「う……」体を揺すられ目を覚ますと、針井の姿が目に入った。


 まだ真っ暗じゃないか。スマホには午前二時と表示されている。こんな時間にいったい何の用だろう。

 寝ぼけ眼をこすりながら起き上がる。


「……どうしたんですか、こんな時間に」

「強盗事件だ。現場に急行するぞ」


 ――強盗事件。

 睡魔に侵食された意識が冷水を浴びせられたように自我を取り戻す。


「事件ですって!?」鉄矢は着替えながらたずねた。

 不謹慎だが、心の中は期待感でいっぱいだった。


 ジャケットを羽織って針井に続いて外に出る。

 春とはいえ、夜はまだ肌寒い。


 アパートの階段を下りながら声をひそめて針井が語る。


「十分ほど前、宇田川町のコンビニにナイフを持った強盗が入り、食品を奪って逃走した」


 ついさっきじゃないか。宇田川町という地名は聞いたことがある。確かセンター街のあたりだ。

 路地に出ると、針井は走り始めた。


 道を曲がるとホテル街に出た。

 全力疾走で駆ける二人を指してカップルが笑った。

 奇異の視線を気にもせず、鉄矢は針井を追った。

 ああ、刑事みたいだ。針井の心はますます激しく燃えていく。

 坂を駆け下りて通りに出ると、サイレンを響かせたパトカーがセンター街に入っていくのが見えた。

 雑居ビルの側面に赤色灯が反射している。明るさから見るに光源は複数のパトカーと考えて間違いない。あそこが現場だ。


 ナインイレブン渋谷宇田川町店の周囲には人だかりができていた。

 警官たちは野次馬をせきとめつつせわしく現場検証を行っている。

 針井と鉄矢は野次馬をかきわけなるべく前に進んだ。


「ここから先は立ち入り禁止ですよ」若い警官は彼らを通せんぼした。

「用があるのはその店じゃねー」針井は制止を振り切って隣の雑居ビルに入っていく。当然のように鉄矢も続いた。


 二階の踊り場からは事件になった店がよく見下ろせた。

 針井はポケットから何かを取り出して鉄矢に渡した。煙草の箱だった。マルボロと書かれている。


「僕、吸いませんけど……」

「馬鹿かおめーは」

 煙草箱はやや重く、イヤホンジャックがついていた。

 言われた通りにイヤホンを挿し込んで耳に入れるとガサッと爆音が聞こえ、鼓膜が破れそうになった。


「指向性マイクだ」針井は同じものをもう一個取り出してイヤホンを装着する。

 踊り場の手すりの隙間に煙草箱を置く。

 すると、箱を向けられた方向の警官たちのやり取りが聞こえてきた。

 こんなに離れているのに、隣で話しているみたいだ。さっきの爆音は自分の衣擦れだったのかと鉄矢は気づいた。


 鉄矢は店内にマイクを向けた。

 有線の音量が大きすぎて警官と店員のやり取りは聞こえそうにない。

 入口付近の警官同士のやり取りはよく聞き取れた。


 強盗の特徴が「五十代」「ハゲ」「全裸」ということはわかった。

 全裸でコンビニ強盗するなんて正気の沙汰じゃない。犯人は薬物をやっているに違いないと鉄矢は推理した。

 薬物中毒者なら冷静な逃走は難しいだろうし、被害に遭ったのが食品ということからも突発的犯行と考えてよさそうだ。

 監視カメラの映像を分析すればあっという間に特定されるだろう。


 しかし、店から出てきた警察官のぼやきがその幻想を打ち壊した


『監視カメラが映ってないんだってよ』

『故障か?』

『わからない。午後十時頃からの録画はなかった』

『店員が怪しいな。内引きでもしてたんじゃないか?』


 監視カメラが映っていない?


「もしかして店員も共犯なんじゃないですか?」鉄矢は針井の顔を見た。

 針井は耳のイヤホンを半分挿しにしてささやく。「あのコンビニの月曜の夜勤は、ちゃらいガキだ。警察マッポの言う通りカメラを切ってサボってたんだと思うぜ。共犯なら逆にカメラを切ったりはしねーはずさ」

「……」言われてみれば確かにそうだ。共犯なら自分に有利なアリバイは周到に用意するはずだ。


 しかし、犯人の姿が映ってないとなると犯人が逃げおおせた場合、特定は困難なのではないか。

 犯人が全裸ってことは足の指紋が床に残っているかもしれない。いや、全裸だからといって裸足はだしとは限らない。

 八方塞がりだ。

 冷静に考えろ。自分が犯人だったら、どうする?


 その時、鉄矢の頭にひとつの推理が浮かんだ。

 流れるように次のひらめきが生まれていき、筋道の通った物語となっていった。


「わかりました、針井さん」

「ボスと呼べと言ったろ。何がわかったんだ?」

「犯人はまだこの近くに潜伏しているはずです」

「どうしてそう思う?」

「全裸だからです。全裸で渋谷の街を遠くまで移動できるはずがありません」

「どうしてそう思う?」

「だってそうでしょう。終電もないし、全裸じゃタクシーも拾えません。自家用車を持っているとしたら、きっと着替えも持っているはずです。犯人はこの近くに住む、衣服すら持っていないホームレスです」

「……続けろ」針井は煙草に火をつけた。

「犯人が全裸だったのは、おそらく食糧費にするために衣服を換金したからでしょう。とうとう何も換金できなくなった犯人は食糧を盗むことにしました。この店を選んだのは、センター街のはずれで人目につきにくいからです」

「……」

「犯人は食糧を持ってあの道を走っていったんです」鉄矢が指したのは、さっき二人が歩いてきた方向だった。東急本店が遠くに見えた。

「どうしてあっちだと思った?」

「人通りが少ないからです。こっちには飲み屋が多くあるし、向こうには交番があります。必然的に人の少ない向こうに逃げたと思われます」

「ほう」


 針井は吸い終えた煙草を靴底に押し付けて消すと、携帯灰皿に放り込んだ。そしてすぐに次の煙草をくわえて火をつけた。


「しかし犯人はまだ近くにいると思います」

「何故だ?」

「東急文化村を越えると住宅街で人通りが少なくなっています。おそらく民家の軒下などに隠れてやり過ごし、始発を待って人ごみにまぎれて渋谷を離れると思われます」


 鉄矢のテンションが高まってきた。探偵みたいだ。渋谷の地理を勉強しておいてよかった。

 針井はため息とともに煙を吐き出した。


「10点だな」

「えっ」

「いくら都会は人が多いといっても全裸の人間が人ごみにまぎれるのは不可能だよ。始発になったらヤツの負けさ」

 痛いところを突かれた。昼の渋谷を見る限り、何人か全裸がいても問題ないと思ったのだが。

 針井は続けた。「それにあっちの住宅街は松涛しょうとうって言うんだ。金持ちしか住んでねえ。そんなところをフルチンの男が歩いてたら二秒で逮捕だ」

「……」

「確証バイアスを捨てろ若造」針井は鉄矢を一喝した。

 大学の心理学で習ったことがあった。確証バイアスとは仮説の検証時に自説を支持する情報ばかりに目がいってしまう現象のことだったはずだ。

 僕はそれに陥っていたのか、と鉄矢は頭を抱え込んだ。


「だけどよ、いいセン言ってたぜ。ヤツが文化村方面に逃げたのは間違いねえ。行くぞ」

 針井はくるりと振り返って階段を降りはじめた。

 鉄矢はあわてて彼に続いた。「待ってくださいよ、ボス」


    ◆   ◆   ◆


 二人は東急文化村を越えた。さすがにこの時間に出歩いている者は少ない。

 小走りの針井の背中に鉄矢は話しかけた。


「どこへ行くんです?」

「『青葉の湯』だ」


 『青葉の湯』……? 聞いたこともなかった。


「渋谷と池尻大橋の間にある銭湯だよ。犯人はそこを愛用している」

「どうしてそんなことがわかるんです?」

「俺も『青葉の湯』にはよく行くんだが、いるんだよ。『五十代』で『全裸』の『ハゲ』がよ」

 五十台で全裸のハゲ? 犯人の特徴と一致している。

「でも、五十台で全裸のハゲなんて銭湯にはごろごろしてませんか?」当然と思える疑問を口にする。

「……刑事デカの勘ってのは当たるもんだが、確かにおめーの言うことも一理ある。確認はしておこう」

 自信があるのだろう。歩く速度は一切緩めずにスマホを取り出してどこかに電話をかけた。


『はい。ナインイレブン渋谷宇田川町店です』

「もしもし? ちょっと聞きたいんだが、いいかね?」

『すみません、今とても立て込んでるので後にしてもらえませんか?』

「馬鹿野郎。強盗事件のことで聞きたいことがあるんだ。そこに警察マッポいるだろ? ヤツらには気づかれないよう、普通の電話のふりをして相槌あいづちだけ打つんだ」

『し、失礼しました。三便の納品時間の変更ですね?』

 誰からの電話だと思っているのだろうか。店員の声色が少し緊張感の帯びたものになった。

「それでいい。さっきの強盗だが、五十代で全裸のハゲ。間違いないか?」

『はい。間違いありません』

「そいつに鼻の穴は空いていたか?」

 店員は黙ってしまった。『……いえ、そこまではちょっと……』

「よく思い出せ。ハゲだと覚えているのに鼻の穴は覚えてないのか?」

『……た、確かに空いていたと思います』

「ようし、いい子だ。いくつだ?」

『……ひとつ? いえ、ふたつ。ふたつです』

「間違いないか?」

『はい。確かにふたつ空いていました』

 針井の口角が上がる。

「大変参考になったよ。ありがとな」

『いえ、では、お弁当はふたつ欠品ということで報告しておきます。それでは仕事に戻ります』

 電話は切れた。


「ビンゴだな」針井の足が速まる。

「どういうことです?」

「『青葉の湯』のハゲと鼻の数まで一致していた。犯人はあのハゲで間違いない」

「???」何を言ってるんだろう、と鉄矢は思った。

「そのハゲは湯船に鼻まで漬かってブクブク泡を出しやがるんだよ。その時に鼻の穴の数を数えておいたのさ」

 誰だって禿げたら容疑者に該当するんじゃ――そう言いそうになった時、喉まででかかった言葉を飲み込んだ。

 鼻の穴がふたつというのは先入観による思い込みなのではないか。

 思い込みは視野を狭め、柔軟な思考を妨げる。夕方に読んだ本にもそう書いてあったじゃないか。

 柔軟な推理をするためには、鼻の穴の数さえ確認する。これが刑事なのか。


「どうした、鉄矢。急ぐぞ」針井は駆け出した。

「……はいっ!」


 鉄矢は目を輝かせて針井を追った。

 これが僕の憧れていた世界……!


    ◆   ◆   ◆


 『青葉の湯』に向かっていると、全裸の男が横断歩道を渡っているのが遠目に見えた。


「ボス、あれを!」

「運がよかったな」


 『青葉の湯』に何日でも張り込む覚悟でいたのだが、本人を見つけてしまった。

 男は戦利品と思しきウィンナーの袋を持ってはいたが、他には何も持っていなかった。


「ヤツは丸腰です。捕まえましょう!」

「待て!」

「何故です?」

「丸腰とは限らねえ。あいつはナイフで店員を脅したんだ。どこかに凶器を隠しているかもしれねえ」

「でも、あいつ全裸ですよ!?」

「プロはそうやって油断した相手をるんだよ。折りたたみナイフならケツの中にだって隠せる」

「な、なるほど……」想像したくなかった。

「それに、まずは泳がせておこう。全裸でこれ以上移動するのはリスクが高すぎる。近くにアジトがあるに違いない。そこを押さえるんだ」

「なるほど」


 針井の予想通り、首都高に隣接したマンションのエントランスに男は入っていった。

 二人はすぐに追わずに外から様子を探った。

 エレベーターを五階でおりて男は廊下を歩いていく。

 するととある部屋のドアが開き、裕福そうなマダムが出てきた。

 針井は煙草箱型の指向性マイクを五階に向ける。


「あら、おはようございます。早起きですね」

「夜勤明けでしてね。体に堪えますよ」

 男はマダムの部屋を通り過ぎ、隣の504号室に入っていった。


「住人と談笑してたな。やはりここがヤツのヤサらしい」


 針井と鉄矢はエントランスに入り、郵便ポストを確認した。

 504号室の住人の名は、禿山則男はげやまのりお


「五階まで行くぞ。俺はエレベーターから。おまえは非常階段からだ」

「はい」


 針井はエレベーターを呼び出すと監視カメラの死角をついてコートから拳銃リボルバーを取り出した。

 S&W社のM29。銀色に輝く弾倉に慣れた手つきで弾を込めていく。


 五階に着いたら、まずは隣のマダムの部屋のドアを強力接着剤で接着した。

 これで何かがあってもあのマダムの安全は守られる。

 遅れて上ってきた鉄矢と合流して504号室のドアに聞き耳を立てると「僕の大事なお●んちーん」と聞こえてきた。


「あいつやばいっすよ。ウィンナーで何をしてるんだか……」

「確かにああいうヤツが一番危ないな。社会のためにもほうむらなければ。突入する前にこれを渡しておく」

 針井から渡されたのは手錠だった。それは想像以上に重く、冷たかった。


「私が奴のペニーを撃ち抜く。君は奴に手錠をかけ、弾を回収しろ。我々の痕跡を残してはならん。行くぞ」

「ラジャー」


 ゴム手袋をしてドアノブをまわすが、開かない。


「離れてろ」


 狙いを定めてためらいなく引き金を引く。ドンと轟音が響き、ドアノブ周辺が消し飛んだ。


 二人は室内に突入した。

 禿山は、床に置いた紙皿に盗品のウィンナーを並べてうっとりしていた。


「動くな禿山!」

「ちっ、もうサツにかぎつかれたか!」


 全裸のまま禿山はのそっと立ち上がると両手を上げた。

 でっぷりとした腹が揺れるグロテスクな姿に鉄矢が思わず目を背けた、その直後。


「うおおおおぉ!」


 禿山はその巨体に似つかわしくない素早さで鉄矢の後ろに飛び込んだ。


「なっ!?」


 そして、どこから取り出したのか想像もしたくないナイフを鉄矢に突きつけて笑った。


「馬鹿ガキのおかげで助かったぜ。動くんじゃねえぞ、動いたらこいつの目玉をエグるぞ」

「め、目玉……?」鉄矢の頭の中は軽いパニックを起こしていた。あまりの非日常な出来事に、自分が人質にされている事実すら理解するのに数秒かかったほどだった。


 針井は銃口を禿山に向けたままだ。


「銃を捨てろ」禿山はあごで窓を示した。

「……」

「聞こえないのか? 銃を捨てろ。窓からだ」

「……」


 禿山は眉ひとつ動かさない針井に気味悪さを感じていた。


「捨てろ!! ガキの髪の毛を全て引っこ抜かれてもいいのか!」


 頭髪を強く引っ張られ、鉄矢はうう、と声を漏らした。

 首筋にはナイフの冷たさを感じていた。

 あまりの恐怖に金縛りにあったように体が動かない。喉仏を切り裂かれてしまいそうで唾を飲み込むことすらできない。

 気を抜いたら漏らしてしまいそうだった。


「……」針井は禿山をにらみつけたまま、ゆっくりと右腕を下ろした。

 禿山がふうと安堵の息を吐くのを鉄矢は感じ取った。


「ようし、いいぞ……そのまま窓の外に銃を――」


 ドンッ!! ――銃声。ガシャアッ!! そして何かの破壊音。


「あっ!?」


 床にあった皿が砕け散る音だった。


 銃声に驚いた禿山が反射的に視線を床に落とすと、鉄矢は勢いよく上体を開いて彼を弾き飛ばした。

 しりもちをつく禿山。すかさず針井が間合いを詰めて顔面を蹴り飛ばす。


「ぐうっ!」


 手から落ちたナイフは回転しながら床を滑っていく。鉄矢はそれを拾い上げた。

 禿山は両手で股間を押さえてうめいていた。戦意を失っているのは見るまでもなく明らかだった。


 銃声がしてからわずか数秒の出来事だった。


 禿山に銃口を向けたまま、針井は片手で取り出した煙草に火をつけた。


「う……あっしの負けだ……殺せ」観念したように禿山はそうぼやいた。


 白い煙を吐きながら「殺したさ」と返す針井。

 全裸の男と意味不明の台詞の板ばさみになって、鉄矢は思考が追いつかなくなってしまった。


「……」針井は禿山に向けていた銃口をゆっくりと横にそらした。

 鉄矢と禿山は、彼の腕の動きを目で追った。砕け散った皿を指すと銃はぴたりと停まった。


 粉々になった皿と、ど真ん中を射抜かれたウインナーが転がっていた。さっき針井が撃ちぬいたものだった。

 威嚇射撃だとばかり思っていたのに――その鮮やかな弾痕に鉄矢は魅せられてしまった。


 針井がコートを開いて愛銃をしまうと、禿山は横になったまま「信じられない」といった顔つきで彼を見上げた。


「今までのおまえは死んだのさ。あのウインナーと一緒にな」

「……っ!」禿山は声を震わせた。

「ううっ……会社も倒産し、貯金も使い果たしてしまった。死のうと思ってたんです。最後の晩餐ばんさんにするため盗んできたんです……大好きなウィンナーを」

「衣服まで換金したのか? 全裸になったのは誤算だったな」

「……ご、誤算?」


「服さえあれば、おめーは今頃最後の晩餐を終えて死んでいたところだろうよ。でもよ……」

「……?」

「全裸だったから、失敗した。全裸だったから、生きられるのさ」


 針井は玄関を向いて「行くぞ」とあごでしゃくった。

「で、でも……手錠は?」すぐにでも禿山に飛びつける体勢で鉄矢は叫んだ。


「必要ねえ。そいつの心には手錠がかかってるからよ。『信頼』という名の手錠が……」

 そこま言うと針井は玄関に向かって歩き出した。

「待ってください! ボス!」鉄矢は弾丸を拾うと小走りで針井を追った。


「……旦那!」

 玄関のドアノブに手をかけた時に禿山が叫ぶ。

 針井は歩みを止めた。


「あっしは……やり直せますかね?」

「やり直せないものなんて、毛根以外には何もねえさ」

 それだけつぶやくと振り向かずに部屋を出た。


 エレベーターを降りるとちょうどマンション前にパトカーが到着したところだった。

 針井と鉄矢は堂々とエントランスを出て、帰路についた。


「……悲しい事件でしたね、ボス」

「そんなあめえ考えじゃ、刑事デカは勤まらねーぞ」

 鉄矢はふっと笑った。

 針井の冷たい口調の裏から優しさがひしひしと伝わってきたからだ。


「ところでボス、警察から金一封もらえたりしないんでしょうか?」

「もらえるわけねーだろ」

「……? それじゃ、我々の資金源って……?」


 突然振り返った針井に鉄矢はぶつかってしまった。

「いてて……すみませ――」

 針井の手には小さなビニール製のケースが握られていた。

 中には七色に輝くシールが入れられていた。


「何ですか、これ?」

「『ブラックゼウス』だ。ハゲの部屋で見つけたんだよ」

「ブラックゼウス?」

「ビックリマンシールだよ。これだけの美品なら十万で買い取ってくれる知り合いがいる」


 針井は嬉しそうに目を細めた。

 東の空を白く染めはじめた朝日に照らされ、シールはキラリと輝いた。

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