第46毒 閑話 ストリー王、猛毒姫に会う
誰も望まないストリー王視点。
余はストリー王国が国王、ストリーⅢ世である。
齢は10、未だ未熟な身なれど、いずれは亡き父上に並ぶような立派な国王になっていくつもりだ。
今回は地方の侯爵が父上の下賜した陶器の壺を割ったという報告を受けたためその地域へ向かうこととなった。
我が王家のモットーは“電撃が如く”である。
問題があれば直接すぐその地に向かう、早く行ったことで対処可能になることはいくらでもあるからだ。
「良いですか、国王陛下」
王国から貰ったものを壊すとは何たる不届き者であるかとばかりに怒り狂っている余を見て爺やは静かに話し出した。
「今回は壺を破壊したものを罰するために行くのではありません」
「な!?
下賜したものが破壊されたのだ、王家の面目が破壊されたも同然だろう!
罰を与えて何が悪い!」
「形あるものはいずれ滅びます。
王家の下賜したものが壊されるたび我々が赴いて彼らを罰していたなら誰も王家からの贈り物を欲しがらないでしょう」
爺やのいうことはいつも本質をついているし、短慮な余よりもよっぽど正しい道が見えている。
もちろん最終決定するのは余であるが。
余は深呼吸すると、怒りの感情を鎮めた。
「…。確かに爺やの言う通りだ…では余は何をしにいくのだ?」
「それは、赦すためです」
「赦す?」
「考えても見てください、今回王家が失ったものは何ですか?」
「王家の面目と……それくらいか。壺は既に送った物でもあるし」
「そして、面目を潰されたと思っているのは陛下くらいですので、実際の損失はゼロです」
「…おい、爺やよ、余を馬鹿にしているのか。
牢屋へぶち込まれたいのか」
「ほほ。
年寄りに牢屋は堪えますので御遠慮したいですな」
余の軽口を、爺やは笑って受け流す。
余も思わず笑って力が抜けた。
……成程、怒りで我を忘れていたが、余が失ったものは実質何もないのか。
「さて、ここで壺を破壊した者を皆殺しにしたらどうなりますか」
「対処としては正しいと思うが…不平不満が出るであろうな」
「しかも今回は年端もいかない少女です。
民からは強い不満が出るでしょうなあ」
ストリー3世国王陛下は、臣下に贈った壺を5歳の少女に壊され、怒り狂って少女を惨殺した……間違ったことは言っていないが、傍から聞くと酷い国王である。
「民の好悪を操ってこその王家、ということか」
「まさしく。
逆に気持ち良く赦すとなるとどうでしょう。
少女の“おイタ”を笑って赦す陛下に、民は優しい王であると印象を受けるでしょう」
「近隣諸国や貴族に舐められるのではないか」
「優しい王は舐められます。
厳しい王は民が離れていきます。
要はさじ加減の問題ですな。
というかそもそも、王家において品物を下賜するということは、それが破壊された時、破壊した者を笑って赦すことまでがワンセットなのです」
うぅん、と唸る。
成程、今回のことは何も失うものがなく、かつ民の好感度を上げることが出来るという美味しい企画なのか。
「言いたいことは分かった。
ただ、爺やよ、余は笑って赦すつもりはない。
糞餓鬼が不注意で父上の贈った大事な壺を割ったのだから、罰を与えなくてはならん。
自宅監禁程度の温い罰で余が納得すると思うなよ」
「ほほ。
もちろん、最終決定は国王にして頂きます。
私は見聞を広めるために選択肢を提示しているだけですからな」
「…ああ。いつも頼りにしている」
「ほ?」
トキシン家は王国からかなり外れたところにある。
山や谷を越える必要もあり、到着は準備も含めて20日間程度かかることになった。
屋敷に現れた余の姿にメイド達は驚いておったが、そんなことはどうでもよい。
余が用事があるのは、ボツリヌス・トキシンとか言う糞餓鬼のみである。
爺やの止めるのも聞かず、屋敷のメイドに糞餓鬼の監禁されているという独房に案内させた。
こっちです、とメイドに地下の独房へ案内された時は驚いた。
監禁と言っても私室でのものかと思っていたが…階段を降りてみると中は思ったより真っ暗で。
これならば多少の反省をしているかもしれないな、言い過ぎて悪かった、と余は心の中で馬鹿にし過ぎた少女に対して少し謝罪する。
独房の階段を降るにつれ、生き物が腐った様な臭いがしてきた。
それから糞尿の臭いと、強烈な死臭が加わる。
自分の想像と現実が乖離しすぎていたため、余は思わず案内させているメイドに尋ねた。
「ちょっと待て、これはどうなっているのだ」
「ボツリヌス様はご当主様の言い付けで監禁され、水分も食事も取っておりません。本日で20日目になります」
「20日目!?」
5歳の少女に20日間の絶飲食だと!?
怒り狂っていた余であるが、流石にそれ程の罰は望んでいなかった。
考えのまとまらないまま牢屋の前につく。
そこにボツリヌス・トキシンはいた。
恐らく美しかったであろう真っ赤な髪は泥と糞尿に汚れて、真っ白な体はぐったりとしてその動きを止めており、金色の瞳には何も映しておらず、しかし控えめな胸はなんとか微かに上下していた。
良かった……生きておったようだ。
余は舐められぬよう、何となく腕を組んで威厳を出しながら少女に声をかけた。
「貴様が、王家より賜りし壺を破壊した阿呆であるところの、トキシン家令嬢だな」
その台詞を吐いた次の瞬間、余は気づいた。
20日間、食事を取っていない令嬢。
……なんで、此奴は死んでいないのだ……?
強烈な吐き気がする。
途端に令嬢が、なんだか得体の知れない生き物の様に見え始めた。
糞尿に塗れた体をのそのそと動かすその様は、まるで原色の毒虫だ。
そして青虫の眼状斑を思わせる命の通わない令嬢の瞳が唐突に余を捕える。
「……お声掛け頂き恐悦至極に存じます、ストリーⅢ世 国王陛下」
「なっ!?」
何故、それが分かる!?
爺やに向き直ると、爺やも目を丸くしていた。
教育のなっていない糞餓鬼どころか、余よりも遥かに頭の回転が速い。
少女はゆるゆると立ち上がる。
まるで、毒虫が蛹から羽化する様に。
その姿は、信じられない程に美しく見えた。
「トキシン侯爵が三女、ボツリヌス・トキシンめに御座います」
毒虫から羽化した毒蛾は、羽を広げて挨拶をした。
彼女は下弦の月の様に口元を綻ばせる。
爺やがぼそりと呟く。
「飛んで火にいる夏の虫、ということですか」
……成程、虫は、我々の方で。
後は毒蛾に、平らげられるのみと言う事か。
第32毒 猛毒姫、間に合う 参照