第121毒 閑話 ダブルピース公爵、猛毒姫に会う
ノクターン一歩手前の罪深い小説に仕上がりました。
くっ殺せ!
たくさんの投票、誠に感謝する。
私は栄光あるサーモン王国の誉れ高きダブルピース家が長女、バイタビッチ・ダブルピース公爵だ。
私の朝は、一番鶏が啼く前から始まる。
「ん……朝か……」
暗闇の中でゆらりと起き上がると、胸元を探る。
寝る時も離さないロケットペンダント。
「……お早うございます、お父様、お母様」
その中で幸せそうに笑う2人に、私は口づけをした。
ベッドから降りると、まずは柔軟運動を始める。
それから腹筋、背筋、腕立て伏せと各種筋トレを、じっくり1時間。
それが終わると大体空が白くなり始めるので、軽く服を羽織ってランニングに出るのだ。
とても公爵のする事では無い、か?
そもそもダブルピースの家系は、貴族の血では無い。
私の曾祖母は、バッタ武国の平民であったと聞いている。
というか、王国5公は全員平民、もしくは下級貴族がルーツだったはずだ。
数代前の勇者であるストリー1世は、ペンギン皇国へ押し寄せる魔族軍を叩きのめし、魔界へ追い返したという功績を以って、現在のサーモン王国の建国を許された。
その際に、勇者のパーティーを構成していた勇者以外の5人のメンバーが、5公として魔族領に近いこの地を治める事になったのだ。
女剣士として勇者を支えていた我が曾祖母、アヘガヲの武勲によってこの地はダブルピース家に統治されてきた。
平民上がりの穢れた血などとほざく輩もいるが、我が家系、そして我ら5公程この国に貢献している者はいない。
我々の血が穢れているならば、お前らの血は如何程なのか、と問いたい。
そんな事をぼんやりと考えながら城の周りを走っていると、前から走ってくる人影があった。
ヒトノイー副官である。
「ああ、公爵様。
本日もお元気そうですね」
すれ違ったかと思うと、そのままくるりと引き返して私の隣を走り出すヒトノイー。
「ああ。
ヒトノイー副官も変わりない様だな」
「ええ、おかげさまで」
ニコニコしながら此方を見つめるヒトノイー。
しかし、此奴も男だ。
恐らく頭の中では、私を全裸靴下にしてジョギングをさせているのだろう。
優しそうな顔をして、全く獣の様な男だ。
2人で城壁周りを走る事1時間。
ヒトノイーと別れ、次は稽古場で剣技の練習だ。
曾祖母より受け継がれし武国10刀の1本『一筆書き』。
身長の倍程もある巨大なクレイモアは、剣先に重力制御の魔術が仕込まれており。
極めた者ならば最低限の力で、武器ごと敵を両断する事さえ出来る。
そう、極めた者ならば。
私は『一筆書き』を振り回して稽古を始める。
踊るように振られる剣先は止まることなく弧を描き。
まるで空中に絵を描いているようにも見える。
しかし。
……っく、重力操作が甘い。
まだ力を削ぎ落す事が出来るはずだ……。
曾祖母アヘガヲはクリムゾンの姫騎士とも呼ばれていた。
1人で敵陣に突っ込み、逆側から突破するなんてこともしたらしい。
晩年、箸すら持てなくなった様な状態で、彼女の剣筋はますます冴え渡ったという。
私が夢中で剣を振っていると、突然ヒトノイー副官が稽古場へ乱入してきた。
「なんだヒトノイー、騒々しい」
「大変申し訳ありませんが、急ぎの知らせです!
サヨナラー公爵領が、魔族に滅ぼされました!!」
「滅ぼ……!?」
そんなまさか、第一報で!?
「敵には魔貴族がいる模様!
信じられない程しっかりした指揮系統で、浮き足だっているサヨナラー公爵領を、数時間もかからず占領してしまったそうです!」
「くっ……緊急度・赤と判断。
独断で、5公会議所の魔法陣を開くぞ!」
「そ、その前に、もう一つ報告があります!
サヨナラー公爵様の奥方様が……転移魔法陣で、こちらへ避難されました!」
「む、むう!?」
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サヨナラー公爵の奥方であるセレン・サヨナラーは転移魔法陣の上で涙を流して無様にへたり込んでいた。
主人を放って鉄火場から逃げ出した癖に。
涙を流すくらいなら、戦って死ねば良いだろう、とすら思ってしまう。
……いや、これは魔族に対しての恐怖に因る物かもしれない。
なんとも情けない奥方だが……まあ、人の事は言えないか。
私は初陣で油断してしまい、魔族に攫われた時のことを思い出す。
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数年前。
公爵の地位についての初めての出陣で。
私は功を焦り、敵のオークの群れに捕らわれてしまった。
「可哀想なお嬢ちゃんだ、よりにもよって、このオーク様達に捕まるなんてよォ!」
「くっ……、殺せ!」
「ぐへへ、馬鹿を言うなよお嬢ちゃん。
あんたみたいな上玉を思う様に弄ぶのが、俺たちの生き甲斐なんだよ!」
私の周りを囲むたくさんのオーク達。
皆一様に、手には熱く猛る物を掴んでいた。
むっとする様な熱気に思わず顔を歪ませる。
「ほら、まずは俺のモノから頬張りな」
「むぐぅ……!
こ、こんな熱くて大きなもの咥えられ……。
ゲホッ、ゲホッ!!」
口の中に押し付けられたアツアツのおでんに、私は思わず咽せ込む。
何と言う煮卵だ。
それでも奴は私を押さえつけ、無理矢理それを口腔内へ突っ込む。
そして、ゆっくりと咀嚼させ、舌で嬲らせ、嚥下させるのだ。
「おいおい、それで終わりだと思ってるのかァ?
相手はそいつだけじゃないんだぞ。
ほら、これを見ろよ。
汁の染み込んだ大根の一番美味しい所だぜ?
遠慮せずに口に含むと良い」
「ちょ……待って……もう少し、冷ましてから……」
私が助けを乞うても、奴らは嬉々としてその行為を続けるのだった。
目の前に並ぶ糸こんにゃく、ちくわぶ、ソーセージ、牛筋に餅巾着……。
嫌がる私の口の中に、食道に、臓腑に。
それらは熱い汁を吐き出して悉く納められていく。
「……おいおい、此奴の顔見てみろよ。
口の周りまでぐしょぐしょじゃねえか!?」
「ば、馬鹿な、そ、そんなはずは無い!
な、何かの間違いだ!!」
「やれやれ、誇り高き女公爵様は。
オークの作ったおでんが大好物です、ってかあ?」
精一杯の否定に、彼らは心底馬鹿にしたような笑い声で応える。
「お前がどれだけお上品ぶった事を言ってもよォ。
俺たちの前では只のリアクション芸人に過ぎないんだよ!」
「う、うぐ、うわあああああああああ!!」
私はこらえきれずに、無様に泣き出したのだった。
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「お腹の中に、赤ちゃんが、いるんです」
物思いにふけっていると、サヨナラー公爵夫人は唇を噛みしめて呟いた。
……成程。
未だに悔しそうに震えているその姿は、戦えなかった事に因る物だったのか。
私は夫人を落ち着かせるように軽く抱きしめる。
「……分かった。
貴女は安心して我が屋敷で安静にされると良い。
おい誰か、夫人を客室へ案内しろ」
ここで働いている者は、ヒトノイーを始めとして人面獣心の者しかいないが。
それでも、おいそれと客人に手を出す者もいない。
まず安心と言って良いだろう。
「お、お願いします……サヨナラー領を……トキシン領を……助けて下さい……!」
私は苦々しい顔をして、その問いには答えずに彼女を見送った。
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5公会議はまだ始まらなかった。
ピッグテヰル公爵がいくら待っても来ずにいるためだった。
本当に遅れているのか、策謀を巡らせているのかは分からない。
戦乙女と誉めそやされている私でも、残念ながら机上での舌戦は赤子同然だ。
特に、ピッグテヰル公爵とコロスキー公爵。
彼らの深謀遠慮、奸智術策は、もはやどこからどこまでが考えられた物なのかすら分からない程だ。
「……ところでデカエース公爵に、コロスキー公爵。
此度の戦い、トキシン領と共闘すると言う形にすると言うのはどうでしょうか……」
「「勿論、駄目でしょう」」
彼らは口を揃えてそう言った。
トキシン領は魔族の数を減らすための道具位にしか思っていない口ぶり。
「そう、ですか」
彼らの気持ちも理解できない訳ではなく、私はサヨナラー公爵夫人に心の中で謝罪しながら仕方なくその矛先を収めた。
「み、み、みなの者。
遅れて悪かったなあ。
ぶひょ、ぶひょ。
ぶひょひょひょひょひょひょひょひょひょ」
……やっと男が、登場した。
まるでオークを更に醜くしたようなその姿。
セルライト・ピッグテヰル公爵である。
男はコロスキー公爵に献花した後、私を注視している。
体を舐めまわすようにじろじろと見つめ、舌舐めずりしているのだ。
視界には入らないが、多分恐らくそうに違いない。
お腹の下の方がきゅうと温かく幸せに疼くかの様な、激しい怒りが湧きあがる。
思わず殴り倒してのしかかってしまいたくなる程の、耐えがたく強烈な怒りが。
唇を噛みしめて汚辱に耐えていると、どうも廊下が騒がしい事に気付いた。
どうも、我々に謁見を希望する貴族がいるらしい。
「……くくく、見―付けた!
此処じゃのう?」
……5公会議に闖入してきたのは、6歳に満たない赤毛の少女であった。
此れから見捨てられる予定のトキシン侯爵家の代行として来たらしい。
こんな子供が?
唖然とする私に、何事かと騒ぎ出す周囲。
なんとなくデジャビュを感じた。
ふむ、と頭を捻る。
……あれは確か4歳位の頃であろうか。
思い出したのは雨上がりの日。
ダブルピース公爵邸へ間抜けな顔で侵入してきた、1匹の毒ガエルの事だっだ。
何故そんな事を思い出したのだろうか?
私の疑問は、1時間も経たずに、氷解することになる。
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赤い髪の少女は、恐ろしい程の弁舌で5公を圧倒した。
多分、頭の回転の早さやその智謀であれば、ピッグテヰル公爵やコロスキー公爵の方が遥かに上だろう。
しかし、神憑ったかの様に、口が上手いのだ。
喋り方なのか、間の取り方なのか、声の大きさなのか。
聞く者を惹きつけて離さない力がある。
まるで何十年も、人の心の機を見て、相手を懐柔する仕事についていたかの様に。
間抜けなカエルなど、とんでもない。 しかしそんな彼女も、大勢を覆す事は出来なかった。
ピッグテヰル公爵からの質問に答える事を拒否した彼女。
質量を伴うかの様な彼の殺意を。
……彼女は笑って受け流した。
スルスルと腹に巻いた晒を外した少女に、私は顔を青くする。
彼女の腹は、ぽかんと大きな口を開けていた。
まるでいつかの毒ガエルかの様に、その口の中から長い舌をボタボタと机に垂らし続ける。
ジワジワと広がる血なのか腸液なのか分からない、その毒液を前に私は思わず叫んだ。
「衛生兵ッッッ!!」
腹を切った彼女を助ける為なのか。
それとも、その液体に触れた者を助ける為なのか。
それは、未だに分からない。
……影腹。
それは、曾祖母の故国であるバッタ武国にて、国王への諫言など命懸けの行為をする前に予め行っておく切腹のことだ。
勿論、腹を切った後すぐに首を刎ねられる切腹よりも、数段に苦しい。
4人のうち2人は痛みの余り途中で意識を失い、1人は我慢できずに思わず回復魔法を使ってしまうとも聞く。
私は脅えながら、もう一度少女を見つめた。
影腹を行ったにも関わらず、終始笑顔を絶やさなかったその少女を。
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結局その少女は、自分の望みを全て押し通してこの館を去った。
まるで、屋敷の者達の動揺も気にせず飄々と去って行った、何時かの毒蝦蟇の様に。
「……なんとも、笑えるな」
トキシン侯爵領へ出陣する我が軍。
その馬上で、私は誰にともなく呟く。
己の弁舌で見事未来を切り開いた彼女に比べて、私という生き物の何と無力で滑稽な事か。
喜びで泣き付くサヨナラー公爵夫人に、拭いきれない居た堪れなさを感じていた。
私には感謝を受ける謂れなど、全く無いのだ。
如何ともし難いその気持ちを汲んでくれたのか、事件の一部始終を一緒に見ていたヒトノイー副官は私に声を掛けた。
「恐れながらダブルピース公爵様。
あれは、たまに現れる突然変異という奴でしょう。
我々と同じ物差しで考えてはいけません」
おどけた調子で喋るその言葉に、私は少しだけ気を取り直す。
彼のフォローに納得したからではなく。
彼のフォローそれ自体が嬉しかったから、なのかもしれない。
私が調子を取り戻した事を喜ぶようにニコニコと笑うヒトノイー副官。
彼の情欲に滾るその目の中には、私が自身の愛馬に嬲られる様がまざまざと映っていたが。
まあ、その位は許す事にした。
可哀想なヒトノイー副官。