第1毒 猛毒姫、死ぬ
プロローグ
いやあ、失敗、失敗。まさか死ぬとは。
職場仲間が私の99歳のお祝いを開いてくれたので、祝いの席で調子に乗って海中息止め9分9秒我慢大会をやってみたんじゃが。
100も間近にそんなことするもんじゃあ無いの。
まさに年寄りの冷や水、そして冷や水からの溺死とは情けない。
皆は青い顔をして水中から私の体を引き上げようとしているが、既にその体に魂は無いぞう。
誰か会場の上空2mをふよふよと浮遊している私に気づいてくれぬじゃろうかの。
望まずに海中遊泳者から空中遊泳者へとじょぶちぇんじを果たした訳じゃが。
いやしかし空中は海中よりも遥かに自由度が高いの。
なんだか楽しくなってきたので、重力を無視して後跳2回半捻前方抱込宙返転や後方倒立回転などを演っていると何人かの仲間が私に気が付いたようじゃ。
目を見開いて驚いている彼女らを見ると、霊体である私のことを本当に見ることができるのだなあと感心する。
さすが本物のイタコは違う。
……うむ、私の職場仲間は、全員、イタコなのじゃ。
イタコ……、数十年以上の厳しい修行と通過儀礼を経て、死者を自身の身に憑依させる能力を手に入れた者たちを差す言葉である。
『苦しい修行』と『通過儀礼』内容に関しては企業秘密なので詳細は差し控えるが、るびを振ると『苦しい修行』と『通過儀礼』が近いかの。
例えば今回、私が行った海中9分9秒我慢大会ですらも、イタコの面々からしたら子供同士の竹篦と変わらん認識であろう。
そんな死ぬほど辛い期間を経ても、才能の無いものは口寄せもできず泣く泣く諦めるしかない。
では、泣く泣く諦められない者は……?
それが私じゃ。
私は生まれつき霊力が全くなかった。
霊視も降霊も出来なかったが、他に生きる道を持たなかった私は、だから『乗り』と『如何様』でイタコの世界を渡り歩くしかなかった。
そう、私は似非のイタコじゃった。
イタコの皆は最初こそ、いんちき口寄せしかできない私を馬鹿にしておったが、客の望む答えを的確に指摘する私のそれに、いつしか滑稽さに似た興味を抱くようになった。
次第に仲間と打ち解け、年を経るごとにそれなりの地位を築く事が出来た。
今日も私の誕生日に大勢の仲間が集まってくれたしのう。
若い者は死んだ私の体に心臓まっさーじを行っておる。
老いた者は文言を唱えて私の魂を現世に繋ぎ留めようとしておった。
仲の良かった庄子の婆が『お前らしい最期だ』と笑っておる。
犬猿の仲だった早坂の婆が『まだ逝くな』と泣いておる。
『ふつう逆であろう』と私は二人に突っ込んだ。
ふむ、なかなかに、悪くない最期じゃ。
ふと祭り台を見ると、霊体の私を見てころころと笑い転げる少女がおる。
初めて拝見するが、ああ、あれがオシラ様か。
霊力のない私が80年近く虚空に向かって行っていた儀式を、神様である彼女はどういう気持ちでご覧になっておったのだろう。
私が死んだのを見て笑い転げ遊ばせるほどであるし、相当に嫌われていたのかしらん。
複雑な気持ちを胸に、オシラ様に今までの御礼を申し上げると、御大は急に涙をお浮かべになられた。
『行かないで』というように唇を噛みしめ地団駄を踏まれている。
……あれ、何だか、意外と好かれておるのか?
最期に周囲を見渡した。
私の遺体を引き揚げ心臓まっさーじをする若い者達に対して『もう間に合わんよ』と声を掛ける。
文言を呟き私を現世に留めるものにも『もう良い』と告げる。
人はだれでも死ぬ。
それがたまたま白寿の祝賀会の日だっただけじゃあないか、大迷惑だけれども。
イタコの皆は一様にこちらを見て、私の最期の言葉を待っておる。
待たれても大した事は言えぬのじゃが、それじゃあ締まらぬしのう。
私は少し考えて、人生最期の言葉を皆に伝えた。
『それでは、祝賀会の宴も酣で御座いますれば……』
両手の人差し指を立てて組み合わせると、お馴染み忍者のぽーず。
『……私はこれにて、どろん』
最期にしてはあまりの物言いに、全員が茫然とした。
しばらくして遠くの方からころころ、と笑い声が聞こえた。
他の皆もつられて笑った。
『逝ってらっしゃい』
誰かが言った。
私は空へ引っ張られて消えて行く。
これが見えざる手か。
逝ってきます、と言っておくか。
いざ逝かん、さあ逝かん。
どこへ逝くのか解らんがのう。
千の風になるのかしらん。