6
「あれ? 高岡?」
学校帰りに藍の参考書選びを頼まれて藍と本屋に行くと、思わぬ人に遭遇した。
と、言うか。あんまり遭遇したくなかったんだけど。
「……田村君」
うわぁ。なんだか難しそうな参考書、3冊も抱えて。
「田村―。私もいるわよ」
俯いて参考書を選んでいた藍が顔を上げる。
「知ってるよ。佐伯」
田村君が苦笑して言う。
「なに? 参考書選んでんの?」
「そうなの。藍の……田村君、見繕ってあげてよ。私、理系の参考書なんて全然分からないから」
「別に良いけど……佐伯はどんなのが欲しいの?」
藍と田村君が何かを話し始めたので手が空いた私は、少し気になっていた本棚に進む。
高校受験の進路コーナー。
サクは高校に行かないつもりらしいけど。やっぱり出来るなら行った方がいいんじゃないか、って思うのだ。
兄みたいにそういうのを捨ててでもやりたいことがある、っていうんなら別だけど、特にそういうのもなくて、って言うのなら。お金が掛かるのが嫌なら、奨学金制度という手もある。昨日のサクの学力を見る限り、これからでも必死になって勉強すれば、そういうの、取れるんじゃないだろうか。
「何見てるの?」
適当そうな高校案内をパラパラと見ていたら、背後から田村君の声。
私は慌ててそれを閉じると振り返る。
「参考書選びは終わったの? ……藍は?」
「会計」
そう言いながら、私がさりげなく元の場所に戻した物をじっと目で追ってるし。
「高校案内? 高岡、弟か妹、いたっけ?」
「いや、これはちょっと。サクの事を……」
「サク?……この前の?」
田村君が眉を顰めた時、「お待たせー」と元気の良い藍の声がする。私は急いでそちらを振り返る。
「どう? 良いの見繕ってもらった?」
「うん。バッチリ」
「そう?じゃ、帰ろっか……」
私が言いかけるのを遮って、藍は言う。
「私、なんか小腹がすいちゃったよ。マックでも寄ってかない?田村もどう?お礼に奢るけど」
田村君はちょっと首をかしげて、それから、「うーん。奢ってもらえるなら行こうかな」と言った。
『遭遇』。そんな単語が頭をよぎった。
3人でマクドナルドに行く道を歩いている時だった。
どうも、そこは。中学生の通学路だったらしくて、学校帰りの中学生がぞろぞろと歩いていた。もっとも、私達はそれに逆行する形で歩いてるんだけど。
サクと同じ制服だー。というか私の母校なんだけど。
そんな事を考えていたら前方から、なんだか見覚えのある男の子。
でも、はじめ、私はそれがサクだとは思わなかった。
遠目だったこともあるんだけど、それ以上に、私の中でサクはいつも1人のイメージがあったから。あくまでも私の勝手な印象だけど。
ソレが、その男の子は3人くらいの女の子たちに囲まれている。その子たちは、押し合い圧し合いするように、男の子に群がって興味を向けようと話しかけているんだけど、男の子は全くそっけない。むしろ、ちょっと迷惑そうだ。
「うわわ。モテモテ美少年ー」
藍が横でうひひ、と笑って言う。
この時点で、私はいまだにソレがサクだって確信がもてなかった。やっとソレがサクだって分かったのは、漸く距離が縮まったのと、サクの視線が私に留まったからだ。
今まで周囲の女の子を仏頂面で鬱陶しそうに無視していたサクの顔がハッとした顔になってそれから少し柔らかい表情になる。
「水乃? 何してんの? こんなトコで」
サクを取り囲んでいた女の子達がギッ、って感じで私を睨んだ気がするのは気のせいではあるまい。最近の中学生ってこんなに積極的なんだ。
「ちょっと、水乃。知り合い?」
藍が私のブレザの袖を引っ張る。
「うん」と頷いて私は、サクの方を向く。
「友達とね、マックに行こうと思って。ここ、通り道でしょ?」
言うと、サクは藍と田村君の交互に見る。
相変わらず、無愛想な顔だなぁ。私の友達なんだから、そんなに睨むようにしなくても良いのに。
藍はそんなサクの様子にも怯むことなく「佐伯藍でーす。ヨロシク美少年」なんて言ってにゃはは、と笑ってるけど、田村君はちょっとムッとした感じだ。
「そっか、じゃあ、また」
サクが言うので私も「うん。じゃあね」と言ってその場を離れたけど。
なんだか、ちょっとショックだったかな。微妙に。
学生服で、学校のコと一緒にいるサクって初めて見たから。なんだか、ここにはここのサクの世界があるんだなぁ、思ってしまった。
「高岡」
そんな事を考えてたら、突然田村君が話しかけてきた。
「さっきのヤツ、この前の?」
「え……? あ、うん。そう」
私が言うと、「ふうん」と頷く。
「え? 何? 何? この前のって??」
藍が興味津々、といった感じで身を乗り出してくる。
「ちょっと、ね。ほとぼりが冷めたら話すわ」
私の言葉に藍は不満そうな声を上げる。それでも、何とかお茶を濁してその場を収めた。
「サク、受験してみる気はないの?」
私の言葉には即座に「ない」と返事が返ってきた。
「なんで?」
「受験には金がかかるから」
サクの動機ってなんだかいつもソレねぇ。
「奨学金制度ってのもあるけど」
「それだっていつか返さなきゃいけないし、高校行ったらバイトできる時間が減る。水乃にだって借金返せなくなる」
うーん、と私は悩んでしまう。
諦めたワケではないけど、説得の言葉がない。
サクはそんな私を尻目に、ギターを弾き始めた。ヘッドフォンをつけて、エレキの方。
そういえば……。
私は側に歩いて行って、スポッとヘッドフォンをサクの頭から外した。
「……何?」
迷惑そうにサクが顔を上げる。
「サクは、音楽で食べていこう、とか思わないの?兄貴みたいに」
ソレを聞いた時、サクの表情が、痛みを堪えるように、少し歪んだ。
「それは。駄目だって、翼と約束したから」
は?
何で?
もしかして、自分を追い越されるのが怖くて?……まさか、ねえ?
私の疑問を読み取ったのか、サクは側の壁にギターを立てかけると、1つ溜息をついて言う。
「俺にとって、ギターは逃げ道でしかなかったから。翼みたいに何を捨てても音楽をやりたい、とかじゃなくて、色んなものから逃げようとして、そんな時に目の前にあったのが、すがりつけるようなものがギターだった。それだけだから」
胡坐をかいて、軽く掌を前で組むようにして。その掌を見るともなく見ながら、少し顔を伏せて、サクは言う。
「そんな、半端なキモチで音楽をやるんなら、無礼だから絶対にやめろって言われた」
「でも、サクは今もギターを弾いてるじゃない」
私の言葉にサクは苦々しい、弱い笑みを浮かべる。
「それは、ギターが俺と翼をつなぐ、唯一の物だからだ。情けないって思うけど、俺は翼にまだ縋ってる。
……翼は、初めて俺に居場所をくれたから」
私は、何も言えなかった。その時のサクの姿はとても痛々しくて。
兄と出会うまで、サクの居場所は、ずっとなかったのだろうか?サクは、今までどういう道を歩んできたんだろう?家族は?友達は?
私はその時はまだ、予想だにしてなかったけど。その疑問は、すぐに解けることとなるのだった。
「高岡。ちょっと」
そう、田村君に昼食中に呼び出されたのは翌日だった。
「何?」
前と同じく人気のない廊下で、田村君は相変わらず真面目な顔だ。
「この前の、サクってヤツ。フルネーム、知ってる?」
へ? フルネーム?
言われてみて初めて気づいた。
私、サクの名前、知らないんだ。フルネームどころか、サクってのが本名 なのかどうかもしらない。
「……知らないけど」
私が言うと、田村君は「そうか」などと言って少し考えこんでしまう。
「何で?」
私が聞くと、少し迷ったようだが、こう答えた。
「確信がないから、こういう話をするべきじゃないかもしれないけど、アイツ、古典の楓先生の息子なんじゃないかな」
えぇー?
私の驚いた顔に、田村君は続ける。
「結構噂になってたんだよ。1年くらい前に、楓先生のトコの長男が、今中学生くらいなのに家出して行方不明になった、って。しばらくしてから学校には行き始めたらしいけど、どこに住んでるか、とか全然分かんなくて、楓先生も先生で、怒って勘当だ、とか言っちゃったもんだから今じゃ絶縁状態だ、って」
でも、と田村君は言葉を濁す。
「こういう事言うの、告げ口みたいであんまり好きじゃないけど、高岡、あんまり関わんない方がいいかもしれないよ」
「何で?」
関わらない方が、って言ったって。もう十分関わっちゃってる気が。
「結構良くない連中と付き合ってる、とか。色々と悪い噂が絶えなかったから」
噂、なんて所詮遠くから見た人の意見だ。サクは、悪い子じゃない。
「ありがとう」
そう言って、私は田村君と別れた。
田村君は、何かまだ、言いたそうな顔をしていたけれど、こうしてはいられない。
目指すは、職員室。
楓先生に会わなければ。そう、思った。
「失礼します」
職員室に入るのって、どうしてこう、少し緊張するんだろう。やっぱり、ここだけは生徒ではなく、完全に教師のテリトリーだからだろうか。
そんな事を考えながら、私は目指す机に進んでいく。
職員室には、昼休み中だから半分以上、先生が残っているのがまた、ちょっと居心地が悪いけど。
一番奥の机。幸い、隣の先生は席を外しているようだった。
眼鏡を掛けて、髪をキチンと整えた、いかにも厳しそうな男性。
「楓先生、お話があるんですが」
私が机の前に立ってそう言うと、訝しげに顔を上げる。
「何かね?」
「ここではちょっと……」
プライベートな話をするには、あまりにも人が多すぎる。
でも、先生はそんな私の気遣いも無視した形でにべもなく言う。
「用件を先に聞こう。場所を変える必要があればその時に私が指示する」
あー、そっか。
この先生は厳しいから、低い点数を付けられたコが交渉、言いかえれば泣きつきに来ることが多い。殆どがここで一掃されちゃってるけど。私もソレだと思われたんだろう。
「サク君、って言うコのことですが」
私が言うと彼の表情がぴくり、と一層厳しくなった。これは、ビンゴだな。
「私の息子の事かね?」
「多分」
私が言うと、「多分?」と厳しい声で聞き返される。
「本人に確認は取ってませんけど」
私が言うと、「特徴は?」と聞いてくる。
サクの特徴?
細くて黒髪で無愛想で仏頂面で人見知りが激しくて。駄目だ、親かもしれない人の前でそんなことは言えない。
「サクって名前で今、茜中学の3年生で、家出中です」とりあえず事実だけを並べてみたらアッサリと頷かれた。
「そうだな。多分、それは息子だろう。……で、それがどうしたんだ?何か迷惑でもかけたかね?」
息子、とか話してる割に、本当に普段と変わらない落ち着いた冷たい声。
結構好きな先生ではあるんだけど、流石に冷たい、と思ってしまう。
だって、ずっと家に帰ってこない息子よ?親ならもう少し、心配したり取り乱したりして欲しい。
「先生は、息子さんが今どこで何をしているのかご存知ですか?」
私の言葉に楓先生は首をかしげる。
「さあな。あれは勝手に家を出て行ったんだ。戻って来いと言っても戻ってこない。他人に迷惑をかけるので無ければ害は無いと思って放置することにしたんだが」
何それ。
仮にも父親がそんな見放すようなこと。
「……息子さん、今、中学3年生ですよね?進路とかはどうするんですか?」
楓先生はジロリ、と私を睨む。
「君はサクの何かね? なんでそんなことまで他人の君に口出しをされなければいけないんだ」
「サクは、私の……」
何?
「友人です」
く、苦しいかしら。まぁ、この際仕方がない。
私的には保護者のような気分なんだけど、まさか本物の保護者を目の前にしてそんなこと言えないし。
「友人?」
訝しげな視線が突き刺さる。
「はい。だから、サクが今のような状態でいるのは心配なんです」
「君」
楓先生は綺麗に整頓してある机の引き出しを開けて、名簿を出す。それを広げて私と見比べる。
「確か、高岡君だったね。君、推薦を狙っているんじゃなかったかな?」
「そうですけど」
パタン、と名簿が閉じられる。
「ならばこの重要な時期にそんなのと付き合うのはやめなさい。万が一、問題にでも巻き込まれたら折角ここまで積み上げてきたものが台無しになるぞ」
そんなの、って。仮にも自分の息子を?
「あの……」
「それから」
私が反論しようとするのを遮るように、更に言う。
「人の家の事情に首を突っ込むのはやめてくれないか。これは、君には関係のない話だ」
その口調は全く、有無を言わせない口調で。
私は不覚にもすごすごと引き返してきてしまったのだった。




