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 サクはあのバイトを辞めて、深夜のコンビにとガソリンスタンドのバイトにした。本当は1つにして欲しかったんだけど、それは聞き届けられなかった。でもまぁ、ガソリンスタンドは放課後だし、深夜のコンビにも毎日って訳じゃなくて、なるたけ土日前に入れてるようだから譲歩した。

 バイトで疲れちゃうから、サボりがちだが、それでも何とか学校にも行くようになった。学校では、どうも殆ど居眠りをしてるんじゃないかと思うけど。それでも、行くだけ良いと思う。

 サクはなるべく生活費や家賃は自分で払うようにして、それでも足りない分を私が補うという風だから、そこまで私の出費は大きくならなかった。

私はまた、サクの食事の通いを再開した。

 少しでもサクの負担を減らそうと思って、なるべく、家のおかずの残り物なんかを見繕って持って行ってるから、もしかしたらお母さんは、最近冷蔵庫を開けながら首を傾げてるかもしれない。


 少しずつ、サクは私と会話してくれるようになった。

 相変わらず無愛想でぶっきらぼうだけど、前ほど無視することもなくなったし、態度にも棘がなくなった。

 「お、ちゃんと学校行ってるんじゃない。偉い偉い」

 ドアを開けると、サクの方も丁度帰ってきたところらしく、学ラン姿のサクが居て、私は思わず目を細めた。

 流石に、こういう格好でいられると中学生なんだなぁって思う。サクは少し私を睨むと、ぷい、と顔を逸らして学ランを脱いでしまう。

 私はかまわず適当な事を話しながら、家から漁ってきた食事などを盛り付ける。

 食事の用意が終わって、サクが食卓に付くと、私はサクが放ってある洗濯物をまとめて側のランドリーまで行く。サクは、洗濯をすると、どうしても乾燥機までかけてしまうのだけど、今はやっぱり節約しなくちゃいけないし、それに殺菌などの為にも外に干した方が良い。丁度、あの部屋の窓は南向きだし。

 だけど、サクに何度言ってもサクは聞かなくて、最近は仕方がないから私が洗濯まで代行しているのだ。といっても、サクは洗濯物が少ないから溜まってから行けばいいのでそんなに頻繁なことではないけど。

 洗い終わった洗濯物を抱えて部屋に戻ってきて、100円均一で買って来た角ハンガーに掛けていく。そして、

 ソレを干すために窓を開ける。

 相変わらず満開の金木犀の香りが強い。もしかしたら、洗濯物に匂いがついちゃうかもしれないけど、嫌な匂いではないから良いかな。

 そんなことを考えながらこれを掛ける為にわざわざつけた紐にハンガーを吊るしていると、不意に背後でじゃらん、と空気を響かす音がした。

もう、久しく聴いていなかった音。生のギターの音だ。

 私が驚いて振り向くと、サクがこちらに背中を向けて、兄の置いていったフォークギターを抱えて座っている。

 「サク?」

 私の声に重なり、有無を言わせないようなサクの声。

 「金、立て替えてくれてる見返り」

 それだけ言うと、ギターから優しい音色が流れてきた。

 私はそっと音を立てないように歩いて行って、サクの正面に腰を下ろす。

サクの指は、信じられないくらい器用に弦の上を動き回っては、繊細な音を紡いで行く。

 窓を閉め忘れたのに気が付いたが、あえて閉めに行こうとは思わなかった。

 むせかえるような甘い金木犀の香りが満ちる部屋の中。窓から入りこむ日の光で、部屋中が金色に揺らいでいる。ギターを弾くために顔を伏せがちなサクのさらさらの黒髪や、ギターの木目に背後からの日の光が当たって、きらきらと光る。

 私は思わず見とれてしまった。

 全てが完成された絵の中に居るようで。

 サクの紡ぐ音は綺麗で、でもそれ以上に優しくて。

 優しくて、優しくて。

 だけど、何でかわからないけれど、サクがその優しい曲を弾いているのは見ていて何だかとても、痛々しかった。


 サクが弾いた曲は、本当は歌がついている曲らしいのだけど、歌は歌ってくれなかった。

 でも、歌の歌詞は教えてくれて、その曲は、どうやらそのミュージシャンの亡くなった息子の為に作られた歌らしいということは教えてもらった。

 「アコギ用のこういう曲ってコレともう1曲しか知らない。両方とも翼に教わった」とサクは話していた。

 「もう1曲は、どんな曲?」

 私が聞くと、サクはギターをケースにしまいながら、「そのうち聴かせる」と言った。

 「楽しみに待ってるわ」と私は笑う。


 「水乃―、古典教えて。古典」

 藍がほとほと困ったような顔で私の机の上に、古典の教科書を投げ出す様に置いた。

 「今日、当たるのよ。もう、勘弁してって感じ。こっちはただでさえ受験勉強で手一杯だってのに。あのモミジ男」

 そう言いながら、教科書のページを開く。

 私は苦笑する。『モミジ男』とは古典の楓先生の事だ。とにかく堅物で真面目で厳しいと専ら評判だけど、授業はなかなか上手いと思う。

 「楓先生、私、結構好きよ?解釈とか説明とかね。時々凄く洒落てるなぁって思うし。それに、授業上手いし公平じゃない」

 「それは水乃が古典得意だから言えることなのよー。私、C組じゃなくて良かった。あんなのが担任だったら、進路指導、死んじゃう」

 『進路指導』

 その言葉にふと引っかかった。

 そういえばサクは本来なら、受験生の筈だ。進路は、どうする気でいるのだろう?やっぱり、進学しないで働く気で居るのだろうか。

 最近、なんだかサクの事ばかりに頭を悩ませている気がする。

 そんな自分に苦笑しながらも、今度聞いてみようと思っている自分がいるのだった。


 「アンタさぁ」

 サクが始めて自分から話しかけてくれたのはそんな言葉からだった。

 その時、私はサクの部屋を掃除していた。内心嬉しいのを隠して私は手も休めずに、「何?」と至って普通に答える。

 「何で、こんなに俺の面倒みてくれんの?いくら翼に言われたからって、 普通どこの馬の骨とも知らないヤツに、ここまでしないよ」

 心底疑問に思っている、という顔だ。

 「だって、サク、イイコじゃない」

 試しに言ってみたらバッと赤くなってそっぽを向いてしまった。案外照れ屋なんだ。

 「何わけわかんないこと……」

 などと不機嫌そうな声で呟いてサクは言う。

 「大体、アンタ、最初からこうだったじゃないか。俺がどんなヤツかなんてまるで知らなかった筈だ」

 少し、ムキになった感じが可愛い。私は苦笑する。

 観念して言うか。

 「うちの兄貴はね、馬鹿で突拍子もなくてどうしようもないけどね、人を見る目だけは確かなのよ」

 何故だか、昔から兄は人を見る目があった。

 兄の友人は皆、良い人ばかりだった。

 良い人、と言ってもそれは別に人が良い、とかじゃなくて、人間が出来ている人というような意味だ。

 兄はそういう人を見つけるのが上手くて、そういう人は皆魅力的な人ばかりで、お陰で私は初恋から始まって今までした恋は全て兄の友人だったりするほどだ。

 「その兄貴が拾ってきて一緒に住んでた、と言うんだからまず、悪い子な筈はないって思ったのよ」

 サクは「ふうん」と言って、少し俯いて、それからポツリと言った。

 「それでも、俺は翼に捨てられた」

 その言葉は、サクの口から初めて聞いた、サクの心の柔らかい部分に近い所から発された言葉だった。

 サクの、あの時見せた瞳が蘇る。

 「捨てられてないわよ」

 思わず、そう言っていた。

 「兄貴が何のために私に託したと思ってるの?何のために家賃を前払いしたと?勝手に出て行った兄貴も兄貴だけど、サクのその考え方も、兄貴に失礼よ。兄貴はサクのこと、すごく気に掛けてるじゃない」

 サクが驚いたようにぽかん、と私を見た。しまった、すこし熱を入れて話し過ぎちゃったかも。

 内心、そう反省した時だった。

 ゆっくりと、サクの表情が移り変わる。

 「そっか。……ごめん」

 素直にそう言ったサクの表情は、忘れられない。

 心底何かに安堵したような、微かな笑み。

 今まで仏頂面しか見せなかったサクが、確かに微笑ったのだった。


 ゆっくりと、サクがほぐれて行く。

 元からそんなに愛想の良い子じゃないから、あまり笑ったりはしてくれないけれど。

 それでも、何か聞いたら必ず答えてくれるし、自分からも時々話しかけてくれるようになった。

 サクの家出の事情とか、そういうのは流石に聞けなかったけど、兄とサクが出会った詳しい経緯などはわかった。どうやら、サクは当時、友達数人でツルんでバントまがいのことをやっていたらしい。中の1人にすごく調子のいい子がいて「東京に行って売れっ子になってやろうぜ」と言われて、なんとなく一緒に上京したものの、結局そのバンドはすぐに解散。でも、サクは他のバンドの助っ人とかをして、連日バイトをしながら東京に残ったらしい。どうも、そこら辺事情が判然としないけど、多分、家に帰りたくなかったんじゃないかな、って気がする。それはともかく、それで、その時、助っ人をしたバンドの人のツテで兄に紹介されたらしい。

 そんなことをぽつりぽつりと話すサクの声には感情はこもってなくて、まるでどうでもいいことのように話していた。

 サクがむしろ少し楽しそうに話すのは兄との生活が始まってからのことだ。

 兄とサクは東京でもこんな部屋に住んでて、サクが夕方で兄が深夜のバイトをしていたからベッドは時間で交代制だった、とか、部屋で焼肉をして大家さんに大目玉食らった、とか。


 「水乃、何やってるんだ?」

 私がサクの部屋で、数学の問題集を広げていたらサクが覗き込んでいた。

サクは私を「アンタ」とかしか呼ばなかったんだけど、最近ようやく名前を呼んでくれるようになった。というか、私が無理矢理呼ばせるようにした節はあるんだけど。

 「お勉強。明日小テストなのよ。……サクは勉強しなくていいの?」

 「どうせ中学なんて成績悪くても卒業できるし」

 「こらこら」

 その時、話題の関連性からか、ふいにサクに進路のことを聞いてみようと思っていたことを思い出した。

 「サク、中学卒業したらどうするつもりなの?」

 サクは面白くもなさそうに私の問題集を見ているまま「別に」と言う。

 「別に、って?」

 私が問いただすと、少し視線を逸らして言う。

 「あんまり、考えてないけど。でも、このまま働くんじゃないかな」

 「そんないい加減な。……やりたいこととか、あるわけじゃないの?」

 サクはよくギターを弾いているけど、バンドなどに所属しているワケではなさそうだ。

 兄貴のように音楽をやりたいからあんまり進学に熱心ではない、ということでもないらしい。

 「やりたいことはないけど、早く自分で稼げるようになりたい。独立したいんだ」

 サクのその口調はひどく切羽詰ったものだった。

 「独立、ったって、就職活動とかもしてないんでしょう?」

 それ以前に、学校に殆ど行ってなかったんだから。

 「とりあえず、働ければフリーターでもなんでもいい」

 その言葉に、私は呆れる。

 「そんなこと言って。将来困るわよ?」

 サクは私が手に持っていたシャーペンを横から軽くもぎ取ると、私が悩んでいた問題にすらすらと横から何か書き込む。書き込みながら「先の事とか、あんま考えてない」と言った。

 サクの手から返ってきた問題集には、サクらしい、乱暴な字で数式が書かれている。

 そっかぁ。こうやって解くんだ。

 ……って、嘘。

 「何、サク。まだ中学生のクセしてなんでこんなもん解けるのよ」

 別に、私は理系に進むつもりはないから、そこまで高度な問題をやっていたワケではないけれど。それでも、そこらの中学生が解ける様な生易しい問題ではない筈だ。しかも、それでなくても学校に殆ど行ってないようなサボリ魔のサクが。

 「昔とった杵柄」

 サクは何でもないようにそう言うけど。

 もしかして、この子、頭良い?

 「なんでそんな杵柄とってんの?」

 私が聞くと、もう、この話はおしまい、とでも言うようにサクは立ち上がる。

 「俺、昔ユートーセイだったから」

 そう言って、バイトに行く支度をし出す。

 優等生が、どうしてこんなになっちゃったのよ?

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