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 どしん、と背中から体中に衝撃が走る。あまりの痛さに涙が出そうになった。

 私は、一瞬、何をされたか分からずに、呆然と目の前のサクを見上げた。

サクはめいいっぱい怒りを含んだ目で私を見下ろしている。背中には、壁。 思いっきりサクに突き飛ばされたのだ。

 「ふざけるなよ」

 静かな声にも怒りが満ちている。

 「これを売るなんて、絶対に許さない」

 その言葉を聞いて、私は兄を心の中で精一杯呪ったのだった。


 兄から電話があって、次の日、私はサクの家にご飯を置きに行ったついでにギターを回収して行こうと思った。

 サクが食べている間に、世間話のように兄の電話の話をして、そうしてギターを手に取ろうとしたその瞬間、視界が反転して、直後に背中に壁が当たって、ものすごい痛みが来たのだ。

 サクの目はとても怖くて、力もあって、今まで年下だと思ってナメて掛かっていた私は、恐ろしくなってしまった。

 そうだ、サクは人間の男の子なんだ。

 それでも、なんとか勇気を振り絞って言う。

 「だって、兄貴が売れって言ってたわよ。サクの家賃を払うために」

 声が震えそうになっているのを気づかれなければいいと心底思う。

 サクはそんな私を冷たい目で睨みつけたまま、手を伸ばしてきて、ぐい、と私の腕を引っ張って無理矢理立たせる。

 「ちょ、何……」

 そのまま乱暴に引っ張って玄関まで大股に歩いて行く。途中、置いてあった私の荷物を、無理矢理私の手の中に押し付けた。そうして放り投げるような乱暴さで玄関から追い出すと「もう、二度と来るな」と冷たい声のまま言って、バタンと大きな音を立ててドアを閉めた。

 しばし、呆然と閉まったドアを眺めてしまった。

 何よ。

 そんなに怒らなくてもいいじゃない。

 「いったぁい……」

 呟いて、掴まれた腕の所の袖をまくって見てみると、赤く腫れていた。ゴツゴツした、力強い大きい手。

 サクにはなんだか似合わない気がした。


 そんなことがあって、私はどうしてもサクの部屋に行くことができなくなった。

 サクが可愛げのないのは我慢できる。そういうのは全然平気だ。憎たらしいのは、不器用さ故だと思うこともできた。でも。

 でも、私はサクが怖くなってしまったのだ。今まで私は、ペットを預かった気でいた。だけど、サクはちゃんと男の子だったのだ。

それが、怖かった。


 「水乃、今日の放課後、買い物行かない?」

 そう、友人の藍に声を掛けられたのは、それから一週間程した時だった。

 「私は良いけど、受験勉強、大丈夫なの?」

 私は学校の推薦を狙っていて、ほぼ確定だと言われているから成績を保っていられるくらい勉強しておけば、必要以上にがり勉する必要がない。だからこそ、サクのおさんどん係りもできたのだ。友人たちは、必死になって勉強していて、遊ぶわけにもいかなかったから、放課後はあいていたし。

 「たまには息抜きしないと、これじゃあいつかストレス溜まってパンクするわ」

 彼女は笑いながら「それに」と付け加える。

 「最近、なんか水乃ってばすごくつまらなそうなんだもん。たまには遊んであげなきゃ、拗ねちゃうでしょ?」

 その台詞に、私は苦笑する。

 「何言ってるの?勉強サボりたい口実に私を持ち出して」

 私が言うと彼女は舌をぺろりと出して言う。

 「まぁ、それはともかく付き合ってくれるでしょ?推薦で余裕の水乃ちゃん」

 「しょーがないわね」

 私はわざとらしく偉そうに頷いた。


 久々に友人と遊ぶのは楽しかった。

 お気に入りのお洒落な喫茶店でお茶をして、ぎゃあぎゃあと騒ぎながら、お洋服を買って。

 ここ数日間感じていた心のもやもやが吹き飛ぶような感じがした。

 駅で友人と別れて帰宅する頃には、もう、夜の11時頃になっていた。

少々遅くなりすぎたことを反省しつつ、駅の前のロータリーを抜けようとした時だった。

 駅の前で起こっている騒ぎに気が付いたのは。

 ここら辺は、時々ガラの悪い連中がたむろしているからあまり係わり合いにならないほうが良い。

 視線を合わせないように、遠巻きに通り過ぎようとした時、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。何か、言い争うような声。

 慌てて騒ぎの方を見る。

 数人の背の高い男が、荒っぽい声を上げて、誰かを取り囲んで怒鳴っている。その人達の隙間から、チラリと、比較的小柄な、見慣れた細い体と黒髪が見えた。

 ―――サクだ。

 私は動転した。

 だって、サクを囲んでいる人達はとても怖そうで、それが皆で怒ったようにサクを責め立てている。なのに、サクは怯みもしないで、あの、無愛想な低い声で応戦している。あんなのは、逆に相手の神経を逆撫でするだけなのに。

 案の定、誰かがひときわ大きな声で怒鳴ると、サクのお腹を殴る。

 うわっ、痛そう……。

 サクの細い体がぐにゃりと曲がって、よろめきながら、それでもサクは顔を上げて男を睨む。

 駄目だよサク。それじゃあ相手を挑発してるのと同じだ。

 男は、今度はサクを蹴り上げる。他の男も加勢しようとしている。サクの体はあんなに細くて弱そうなのに、どこにそんな力があるのかと思うほど、ダメージを受けても、相手を睨む。それどころか、反撃しようと拳を繰り出す。何度かそれは当たって、相手に相応のダメージは与えられるけど、だけど多勢に無勢だ。サクの劣勢なんて目に見えている。

 いつのまにやら、遠巻きにソレを見る人が増えていた。皆、顔をしかめて見ている。それでも、誰も止めようとしない。

 サクが、とうとう耐え切れなくて地面に倒れこんだ。

 その上に、誰かがのしかかって動けないようにして、もう1人が思い切り、足を振り上げようとする。

 やばい、と思った。

 あんなの食らったら、サクは殺される。

 そう思って飛び出して行ってしまった自分は、もしかしたらサクに少しは情が移ってしまったのかもしれない。

 無我夢中で、足を振り上げる人を押して、その人がバランスを崩して躓いた隙に、サクの元に駆け寄る。サクの上にのしかかってた人が一瞬、呆気に取られたような顔をしたけれど、その後すぐに怒った顔になって「なにすんだ、てめぇ」と言って、その直後に私は頬に酷い痛みを感じた。予想はしていたんだけど。

 サクが驚いたように私を見た。

 「サクを、離してください」

 私が言うと、男は「はぁ?」とわざとらしく言ってニヤニヤと笑う。やだ。この人目がイッちゃってる。すっごい怖い。

 その人の手がこちらに伸びてくる。ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、周りの男たちもソレを見ている。

 嫌だ。

 自分で飛び出したくせに、私は怖くなってぎゅ、と体を硬くする。

 その時、押さえつけられたままのサクの体が急に跳ね上がった。サクの上に依然としてのしかかっていたその男は、その反動で地面に転ぶ。

 サクは、はあはあと辛そうに息をしながらも、ぼろぼろの体を起こした。

 口の周りに、血が付いている。殴られた衝撃で口の中でも切ったのだろうか。

 こころなしか、私を庇う様に立って、男たちを睨みつける。

 逆上したのは転ばされた男だ。立ち上がって、顔を真っ赤にしてサクに殴りかかってくる。私はサクを庇うように前に立って、ぎゅ、と目を瞑った。

だが、予想していた痛みは来なかった。

 運良く、丁度その時、男の1人が「やべえっ!サツだ!」と叫んだのだ。

その声に振り返ると、確かに数名の警察官がこちらに向かって駆けてくる。

きっと、見物人の誰かが通報したのだろう。

 「逃げるぞ」と言って男たちがバラバラと駆けて行く。拳を振り上げたままの男は、少し悔しそうな顔をして、でも、やっぱり警察は怖いのか、男たちと一緒に駆けて行ってしまった。

 私がぼうっと、成り行きを見守っていたら、ぐい、と腕を引かれた。

驚いて見ると、サクが「逃げるぞ」といつもの無愛想な顔で言う。

 口調は無愛想だし、喧嘩の後でボロボロで、しかも血まで出ているのに、以前見たような怖い感じは全然しなかったから、私は落ちている自分の荷物をかき集めると、素直に従った。

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