第1話 異世界観光
上も下も、どこを見渡しても真っ黒な空間。奥行きすらわからないほど果てしない暗闇のなかで、ふと悟る。
──そうか、俺、死んだのか……。
事故だったか、病気だったか。最後にどうやって命を落としたのかだけ上手く思い出せない。
まるで世界の果てに放り出されたような不気味な静寂の中、俺はただ呆然と己の『死』を受け入れかけていた。
──その時だった。
すると突然、暗闇の奥から人影が現れた。
息を切らし、焦った様子で走ってくるのは60代前半ほどの男。——その顔を見て息をのむ。以前、某万博で見た「未来の自分」の姿にそっくりだったのだ。
俺も慌てて彼の方へと駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
そう声をかけようとした瞬間、彼は有無を言わさず俺の額に手を触れた。
次の瞬間、目の前がまばゆい光に包まれていく。
──ハッと気がつくと、見知らぬ森の中に倒れていた。
呆然としている間もなく、突然、脳内に直接大量の情報が流れ込んできた。
怒涛のように押し寄せる知識を処理しながら、俺は思わず呟く。
「……え? ここ、異世界なの……?」
流れ込んできた情報を、頭の中で大まかに整理してみる。
一、ここは異世界。
二、あの老人は未来の俺で、自分自身の知識や記憶を授けに来たこと。
三、今の俺は、異世界語の知識や世界の基本情報、そして彼が編み出した『魔法のすべて』を知っていること。
「え? 最高じゃん」
一瞬、テンションが跳ね上がった。
だが——魔法を使うには『魔力』が必要で、今の俺にはそれが一切存在しないことにも気づいてしまった。
いやいや、一番重要なところで何やってんの未来の俺!?
体内に魔力を溜め込む方法がないか必死に脳内検索してみたが、そんな情報はどこにもない。
これからどうしたもんか……
仕方ない。再び脳内検索を開始する。
——パチン!
「よし、ここからすぐ近くに村があるな」
状況把握完了!とりあえず、まずはその村を目指して旅立ち、適当に匿ってもらうとしよう。
歩きながら、頭の中で改めていろいろと考察してみる。
そもそも、なぜ未来の俺はあんなに焦っていたのだろうか?
誰かに追われていた? それともシンプルに時間制限があったのか。
焦るあまり、俺にすべての記憶を託す時間がなかったのかもしれない。
……いや、待てよ。容量の問題か?
託せる情報量に上限があって、魔法とこの世界の基本知識にほとんどの容量を使ってしまった……とか?
そんな事を考えていると森の出口が見えてきた。
思わず、息をのむ。
地球でも、画面越しでしか見たことがないような絶景だった。
森を抜けると、眼下には緑の平原が広がり、その先には遥かに高い断崖絶壁が立ちはだかる。
崖の頂から一筋の滝が轟々と流れ落ち、その圧倒的な景色の麓、小さな村がぽつんと佇んでいた。
そこまで歩いていくと、村人の姿があった。
体格は地球人とそう変わらない。顔立ちは北欧系のイケメンだ。
彼も俺の存在に気づいたようで、気さくに声をかけてきた。
「君は?見慣れない格好をしているね。旅人かい?」
「……はい、そうです。当てもなく旅をしておりまして……」
答えた瞬間、自分でも驚いた。
口から出たのは、聞いたこともない未知の言語。それなのに、まるで幼少期から使い慣れていたかのように、滑らかに言葉が紡ぎ出されたのだ。
(すげえ……! 本当に言葉がわかるし、喋れる……!)
未来の俺から授かった知識は伊達じゃなかった。
心の内で小さくガッツポーズを決めていると、青年は納得したようにうなずき、親しみやすい笑顔を浮かべた。
「やっぱりか。このあたりじゃ見かけない珍しい服を着ているから、そうかなと思ったんだ。俺はカルム。この村で木こりをしているよ」
「俺は――」
一瞬名乗りに迷ったが、偽名を使う理由もない。
「――レンと言います。カルムさん、ぶしつけな質問なんですが、ここはなんという国……いえ、地域なんでしょうか?」
「レンか、よろしくな。ここは『アルテシア王国』の最北端、ダクア村さ。見ての通り、滝と切り立った崖くらいしかない小さな村だけどね」
カルムはそう言って、背後にそびえる大滝を親しげに見上げた。
脳内検索を走らせてみると、『アルテシア王国』という名称と地図の情報がスッと頭に浮かび上がってくる。知識のデータベースは完璧に機能しているようだ。
「そうなんですね。実は旅の途中で少し迷ってしまって……しばらくこの村で羽を休めさせてもらうことはできますか?」
「もちろん大歓迎さ! 旅人なんてめったに来ないから、村の奴らも喜ぶよ。よければ、村長の家まで案内しようか?」
「助かります、ぜひお願いします」
カルムに案内されるがまま、村の奥へと歩を進める。
俺が知りたいのは、とにかく一つだけ。
——この世界における、魔法の『正確な使い方』だ。
知識としては頭の中にあるが、実際にはどう扱われているのか、そして『魔力がない人間』がどう扱われるのかを確かめたかった。
やがて、村の中心部にある一際大きな家へとたどり着く。
立派な木造の屋敷だ。未来の自分から授かった知識のおかげで、この地域の挨拶の作法もマナーも完璧に頭に入っている。失礼のないよう、自然な所作で身なりを整えた。
カルムがコンコン、と扉をノックする。
「村長、カルムです。珍しい旅人さんをお連れしましたよ」
「ほう、旅人とな……? 入っておくれ」
奥から聞こえてきたのは、落ち着いた重厚感のある老人の声だった。
重厚な木製の扉が開くと、そこには立派な髭を蓄えた、優しそうな老人が机に向かっていた。彼がこの村の村長だろう。
「初めまして、村長さん。突然の訪問をお許しください。旅の途中で立ち寄らせていただいた、レンと申します」
頭に刷り込まれた知識通りの作法で一礼すると、村長は驚いたように目を丸くした。
「おお……これはこれは。実に礼儀正しい青年だ。この最北の村にようこそ、レン殿。……それで、旅の者がこんな辺境に何の用かな?」
「ありがとうございます。実は……旅を続けるにあたって、一つお伺いしたいことがありまして」
俺は単刀直入に、ずっと気になっていた核心を切り出した。
「この世界での『魔法の使い方』について、基礎的なことを教えていただけないでしょうか」
その問いを聞いた瞬間、村長とカルムは一瞬不思議そうな顔を見合わせ、それから温かい苦笑いを浮かべた。
「ははは、魔法の使い方とな? 旅人ともあろう者が珍しいことを聞く。……まあ良い、この世界じゃ子供でも知っている基本中の基本じゃがな」
「あはは、すみません」
「いいんじゃよ。この空気中には常に魔力が満ちておる。それが自然と体内に蓄積され、それを引き出して行使することを、我々は『魔法』と呼んでいるのじゃ」
「その魔力は、どうやって体内に溜め込むのですか?」
「そりゃあ、普通に過ごしておるだけで良いぞ? 我々には生まれつき、そういう器官があるからの」
「確かに……そうですよね……」
ショックすぎる。この世界の人々には当然あるのだろうが、俺の身体はただの日本人だ。そんな器官があるわけがない。
「あの……なら、生まれつき魔力を溜め込む器官がない人は、どうすればいいんですか?」
藁にもすがる思いで聞いてみる。
「ふむ、たまにそういう人間もおるそうじゃな。そういう者たちは、魔力に満ちた秘湯へ浸かりに行ったり、特別な薬草を食べたりして、他の器官を少しずつ『魔力を溜め込む器』に変えていくそうじゃよ」
おっと? それなら俺にもできるのでは?
憧れの魔法、使えちゃうのでは!?
「それらは、どこにありますか!?」
身を乗り出して尋ねようとした——その瞬間、村長が答えるより早く、頭の中から過去の(未来の?)記憶がじんわりと湧き上がってきた。
かすかに思い出す温泉の記憶。
詳細な位置までは分からないが、おおまかな場所の心当たりはある。たしかに未来の俺も、この温泉を目指して旅をしていたっぽい。
なら、目的は決まった。
世界中の国々を巡りながら秘湯を探しながら、魔法を使えるようになって、この異世界を全力で観光してやる!
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